白い夜、静な雪

製本業者

静寂なる世界

気がつくと、音が消えていた。


恐怖すら覚える静寂の中、彼はマウスを握る手を止め、耳を澄ます。

いつもならこの時間でも聞こえるはずの遠くの車のエンジン音も、誰かの足音も、すべて消えたかのようだった。微かな機械音さえも消え、世界が密閉された箱の中に閉じ込められたような感覚に襲われる。


喉の渇きを覚え、コーヒーでも入れようと席を立つ。寒さを感じながら、ふと「マスクをしておく方が良いかもしれない」と頭をよぎる。それでも、薄暗いキッチンへと足を進めた。電気ケトルに水を足し、スイッチを押す。わずかな水音が一瞬響いた気がしたが、それもすぐに静寂に飲み込まれた。


カーテンの隙間から外を見やると、街路がうっすらと雪で覆われている。かすかな月光が銀色のベールのように広がり、夜の静けさをさらに際立たせている。

「どおりで寒いわけだ」

自分に言い聞かせるように、彼はぽつりとつぶやいた。吐息が微かに白く漂い、消えていく。薄ら寒さと、音の無い世界に押しつぶされそうな感覚を、無理やり振り払うようにして動きを続ける。


湯が沸くのを待ちながら、棚からインスタントコーヒーの瓶を取り出し、耐熱ガラスのコップにスプーンで掬い入れる。カップに小さな粒が落ちる音が……妙に鮮明に響くかと思えば、次の瞬間には完全に吸い込まれたように消えた。


そして、その時になって彼は気づいた。

ケトルから湯が沸く音がしていない。スイッチは確かに入れたはずだ。目を凝らすと、ケトルの口元から白い蒸気が薄く立ち上っている。だが――音が無い。湯が煮える小さな音すら、完全に消失している。


――この静けさは異常だ。

背筋を冷たい何かが這い上がる。無意識に息を止め、リビングルームへ目を向けた。闇に沈んだ部屋は、まるで見慣れた自室とは別の場所のように感じられる。壁の時計も、電子機器の明かりも、すべてが沈黙している。


静寂に押しつぶされそうな中、彼はかすかな期待を込めてもう一度ケトルに目を戻した。しかし、そこにあるのはただ蒸気を吐きながら沈黙を保つケトル――そして、不気味なまでの静寂だけだった。


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