第2話 

 その後、渋々帰宅した。

 苛立って煙草を一箱消費し、スコフィールド邸ではさっそくビールを一本開けた。

 冷蔵庫を開けてみて、アリスのことを思い出す。


 ──まだ怒ってんのかなあ。


 幸い、まだアリスは帰ってきていない。だがいつかは顔を合わせなければならない。それが憂鬱だった。

 

 ビールを一口呑んで、しゅわしゅわの炭酸が喉を通っていくこの感覚に身体全体が痺れた。ビールとつまみを両手に居間へ行き、仕事で疲れた一般的なサラリーマンよろしく神山はテレビをつける。


「え?」


 声が洩れた。

 ニュース番組を開いたが、なんと衝撃的な内容が報じられていた。まさか意図せぬところで、こんな──。

 

「怖いですよねー」


 背後から声がした。

 振り向くと、神山の椅子のそばに舞子が立っていた。今日の彼女はなぜかサンタさんコスチュームである。うむ、こう、なかなかいいボディラインをしている。性格のいい美人を前にすると、過去のトラウマなんかも忘れて素直に見惚れてしまう神山であった。

 歳を重ねたからかもしれない。


「あ──いや、それより」

「?」

「これ、他のところでもあったんですか……」

「はい、そうなんです。

 名づけて『クリスマス・ケーキ、飛ぶ』」


 そう、いま神山はニュース番組を観ているのだが、スーパーナチュラル・イン・クリスマス、という見出しがそこにはあった。アナウンサーと番組内で流れている動画によると、クリスマス・ケーキが浮遊してどこかへ飛んでいくという怪現象。今日、神山が実際に見たものとまったく同じだ。


 まさか、俺のところ以外もこんな……。


 と、そこで電話が鳴る。

 取ってみると、予想どおり、青木からだった。


「クリスマスに悪いな。

 ニュース見たか」

「ええ。じつはこれ、俺もやられたんですよ」

「マジか……」


 はい、とうなずく。


「特務案件、でしょうね」

「ああ……来れるよな」

「もちろんです」


 捕まえてやりたい一心だった。

 せっかくあいつのために予約していたのに、それを横から掻っ攫っていきやがって。神山は怒りの炎を燃やした。


「すいません、ちょっと俺、行ってきます」

「はーい、行ってらっしゃーい」


 シビックを乗り回し、すぐに青木の自宅へ向かった。彼はすでにアパートの外に出ていたのでスムーズに迎え入れることができた。それからすぐに月浜署へ行って六課の作戦室に入った。


 すでにそこには同僚たちと鳴沢警部が待っていた。

 同僚たちの中には歯軋りをしたり涙を流したりしている者が何人か見受けられた。おそらく、この事件の被害に遭った人なのだろう。


「遅いですよ」

「これでもけっこうダッシュで来たんだがなあ」


 鳴沢と青木が言い合い、すぐに緊急作戦が開かれた。

 同僚の一人が照明を操作して部屋が薄暗くなった。壁に収納していたスクリーンを下ろして、天井に備えつけられたプロジェクターがそこに色をつけた。


 映ったのはなにかの映像だった。

 内装からしてケーキ屋の中だとわかる。


「これは、実際に現場となった監視カメラの映像です。まず、どれもケーキが浮遊し、ひとりでに外へ逃げていく様が見受けられます。被害者に共通しているのはケーキを予約しており、受取に来た人たち。被害者個人に共通点はなかったので、ケーキのみを狙った無差別窃盗事件となるでしょう」

「店はどうだ?」


 青木が訊いた。


「店もとくにこだわりがあるわけではなさそうです。

 ただ、個人経営であったりチェーン店であっても少数の老舗であったりと、有名店から盗むことはないみたいですよ」

「デカい獲物じゃなく、小せえ獲物だけを、ってか」


 そういうことです、と鳴沢が同意した。

 たしかに。

 神山が予約していたところも、調べてみると百年ほど続いている老舗らしかった。ただ、名前の無難さと現店主のマネジメントに欠けた経営能力が足を引っ張っているため、なかなか有名にはならない。


しかし、むかしはかなり人気のあったところだと聞いた。


「ですが、このとおり手段がわかりません。ケーキボックスを浮遊させたのが能力だとしても、能力の効果範囲が広すぎる。過去の能力者の記録から見て、能力の及ぶ距離は最大半径五十メートル。走ることが得意な人間であれば、五秒ほどでたどり着けてしまうほどの短距離」

「……とすると、なにか物を使ったんじゃないんですか」


 眼鏡をかけた同僚の一人が言った。


「なにかこう、釣り糸みたいな感じで」

「糸……?」

「たとえば、ほら、監視対象にもなっているクオン。

 あいつは〈幻糸〉とか使っているじゃないですか」

「なるほど」


 あり得ない話ではない。

 神山の知る名でいうとクオンとは青木葵のことだが、彼女は茶々を入れるのが好きで困った性格をしている。いたずらっ子だ。むしろしそうだ。いやする、ぜったいする、うん、あいつが犯人で間違いねえ!!


「ではさっそくクオンを見つけましょう行きましょう」


 神山は言った。

 あまりに早計な判断に、そこにいる一同が訝しんだ。


「ど、どうしたんだ、神山」


 青木が訊いた。

 神山は答えた。


「行きましょう」

「いや待て」

「早く捕まえないと……‼」

「だめだこいつ、早くなんとかしないと」

「ちょっと、このもやしどうしたんです」鳴沢が言った。

「こいつもやられたらしいんだよ」


 あぁ、と鳴沢は同情の目をもやしに向けた。

 一方、もやしは「行きましょう」とただ繰り返すだけのボットとなりつつあったが、青木に頬を叩かれて治った。もやしというよりは一昔前のブラウン管テレビのようだ。


 ブラウン管もとい神山瞳也は我に返ると、


「でも、可能性はあります。

 張り込みをしてみる価値はあるかと」

「まあ、そうだが……まずは絞ってからだ」

「絞る、とは?」


 青木がやけに含んだ視線を鳴沢に向ける。

 彼は仕方がなさそうに肩をすくめて、言った。


「わかりました、令状はお店のほうへファックスしておきましょう」


 青木は満足そうに笑った。


  *


 二人が向かったのは、神山が予約していた店だった。月浜署からいちばん近い。監視カメラの映像を見せてもらったり、予約リストを見せてもらったりした。この店で被害に遭ったのは神山一人だけだった。


 次に向かったのは、一度、夢野と来た店だった。彼女がデートしようぜなどと言って、一日中付き合わされた末にここに入った。一つ一つのスイーツはけっこう安いうえ、プチバイキング形式となっている。味もいい。でありながら、人気はいまひとつ。年々売り上げも落ちてきていると聞いた。

 ここでも同じようなことをしたが、被害に遭ったのはまた一人だけ。


 一つの店につきケーキ一個だけ狙っている。通常より警戒態勢にあるため盗みにくいのだろう。

 

なら、この連続窃盗事件にはきちんと終わりがある。

条件として味はいいのに人気の出ない店と、予約されたクリスマス・ケーキのこの二つ。とくに前者は犯人にとって盗みのルートを定めてしまう恐れがある。だから一つに一個のケーキのみ。この双木市はあくまで地方都市だ。そこまでケーキ屋が多いわけではない。自然と次の標的もわかるだろう。


他の捜査チームと情報を共有していくと、残りが四店舗だということにたどり着けた。その四店舗に人員をあてて張り込みをさせた。とくに寂れた店には徹底的に、それほどでもない店はほどほどに。


神山と青木は、そのほどほどの店の張り込みにあてがわれた。

できることなら、徹底的に張り込ませている店のほうに生きたかったが、致し方あるまい。いまの自分がやるより、数段上手うわてのプロフェッショナルがやるほうが確実に捕まえられる。


神山はうんうん、とうなずいて自分を言い聞かせた。


「アリスはがっかりしてたか」


 青木があんぱんを頬張りながら訊いた。


「いえ、まだ会ってなくて」


 神山は牛乳を飲んでから答えた。


「留守だったのか」

「そういうわけじゃないんですが……喧嘩中なんです」

「なんだよ、妙に煮え切らねえと思えば、ようは痴話喧嘩かい。

最高だな、おまえ」


 神山はむっとする。

 痴話喧嘩ほど可愛らしくはないが、大喧嘩というほど騒々しいものでもない。きっかけはさしてふつうのもので、勝手に神山がアリスのケーキを食べてしまったことなのだ。

 言い訳をさせてもらうが、小皿にサランラップをする形で保存されていたそのチョコレートケーキは縁のほうに付箋が貼られていたのだ。そこには差し入れ、という文字。これは舞子さんからの粋な計らいかな、と思いつつ食べたら、ばったりアリスと遭遇。そして理由も説明されないまま、アリスにはさんざん怒られた。


 たしかに勘違いした俺が悪いが、そこまで怒るもんかな……と思った神山は意を決してアリスの行きつけであるケーキ屋でクリスマス用のものを予約した。


 そして、それが奪われた。

 くそったれケーキ泥棒に。


「そういえば、ここでまだ受取に来ていない人って?」

「ああ、残り三人となっている。

 高橋、三田村、真堂……って書いてあった」

「へーえ」


 三人って、けっこう少ないな。

 クリスマス・イヴだぞ、今日。


「お、来たぞ」


 青木が言った。

 ケーキ屋の反対にあった自然公園の駐車場に停めて、真正面から全体を眺めることのできる位置にある。まさに僥倖ぎようこうだった。

 神山は身を乗り出して、ウィンドウ越しに客の姿を見つけた。

 少年である。制服を着ているので高校生だろうか。あれはたしか双高(双木高等学校)の制服……でも、あっちはすでに冬休みのはず。補修の帰りがけに寄ったのだろうか。


だとしても、このケーキ屋は学校からかなり遠いところにある。実際のところどうなのだろうか。


 精悍な顔つきの好青年。

 中学や高校でサッカー部などに所属していそうな、いかにもな優男だ。むかし、神山が気まぐれで参加したサークルのコンパで、ふいに隣に座ってきた男があんな感じだった気がする。


 学生時代、ああいう人間は苦手だったが、いまになって思う。

 ──ふつうに良い奴。その確率が高い。もっと仲良くすればよかったなあ、と神山は思った。さすがに毎週飲み会開かれちゃたまらんが。


「入っていったな」


 そこでしばらく待つ。

 ……そして、出てくる。

 ケーキボックスを入れた紙袋を手にして、嬉しそうに唇を綻ばせる少年。油断するな、油断するなよ、と心の中で唱える。まあ、ここはあまり確率の少ない場所だ。そう都合よく来るわけが……、


「見ろ、紙袋がごそごそ行ってやがるぞ」


 青木は言って、ドアを降りる。

 神山は車に乗ったままそれを眺める。まさか、嘘だろ。混乱を押し殺してなんとか正体を突き止めるための方法を考えた。


 ……あれを使うしか。


 覚悟を決めたとき、視界にいた少年が妙な動きをした。注視すると、彼にはまるでなにかが見えているようで、紙袋の上あたりを手で掴んだ。が、次の瞬間には手のひらを見つめていた。


 その隙を突くがごとく、白い紙袋からケーキボックスが無理やり出てきた。中空であちこち行き来しながら、最終的にはまた建物の上のほうへ逃げていく。神山は車を回して青木を乗せた。


 幅の広い車道を行きながら、ボックスの残影さえも捉えるように視線を巡らせた。通る信号はどれも青のまま。神山のときのように周囲の建物も少なく、どれも低いので目標を見失うことはなかった──が、


「くそっ、やべえぞ。

 次で信号が──!」

「青木さんブレーキ任せましたッ!」

「えっ、あっ、ちょっ!」


 神山は足を上げて青木の片足が入る余地を作りつつ、瞼を閉じた。

 視界をゼロに。

 カラーフィルムからモノクロフィルムへ変更。

 目の中であらゆる工程を済ませたあと、再び瞼を開ける。


 モノクロの世界。

 なにもかもがシルエットでできている。

 神山はすぐさまボックスのほうを見た。四角いシルエットが浮遊しているのが見えて、目を凝らす。


 すると、そこには糸状の青色の靄があった。その糸はボックスに繋がれており、ボックスはそれに引かれているように移動している。


 ブレーキがかかり、車が停車する。


「……はぁ、はぁ、はぁ

 無茶なことさせんじゃねえぞ!」

「す、すみません。

 でも、ちょっとわかりましたよ」

「あ?」

「あのボックスに、なにか特殊な糸を用いられているようです」

「……ってことは、」

「可能性は高いですよ」

「デジャヴだな。

 夏のときもこんな感じじゃなかったか?」


 そんなこともあったな、と神山は思いながら鞄の中に手を入れる。取り出したのは眼鏡ケースで、中に収納していた縁のない丸眼鏡をかけた。


「なんで眼鏡?」

「力を使ったからです」

「でもありゃあ視力を失うって話じゃなかったか」

「〝視た〟だけですから。

 中途半端に使うと、視力も中途半端なところまで下がるんです」

「それで眼鏡か。

 ま、視えるだけありがてえな」

「まったくです」



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くりむぞん・かーにばる! 静沢清司 @horikiri2

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