第6話 邂逅
無蔵と有為の剣は、何度も火花を散らす。
有為の白い着物はすでに跳ねた泥で汚れ、馬の尾のように長い髪は何度も斬られ、不格好。
一方、無蔵は草履の緒が切れ、裸足。着物のあちこちが斬られ、ひらひらと揺れ、その奥の肌は血に染まっている。
ひゅん。風の斬る音。有為の剣が無蔵の頬へ飛ぶ。無蔵は薄皮一枚で避け、なおかつ有為の鎖骨めがけて横一線。有為も半身を動かし回避する。
一歩、二歩、と互いに距離をとる。無蔵は頬から流れる血を舌でなめとり、有為は親指で鎖骨の血を拭きとる。
互いに一歩も引かない。傷は増え、息も肩でするほど絶え絶え。
それなのに、どちらの目にも恐れはない。あるのは狂気に染まった喜びと快楽。
遊び足らない。二人の目は、子供のように爛々と輝いていた。
月が隠れる。互いの息が徐々に落ち着きを取り戻していく。
「お互い、難儀じゃのう」
脈絡なく、無蔵が言う。
「まったく」
有為が笑う。周囲の人間には分からない言葉が、二人の間にかわされる。
月明かりが二人の間を照らす。
二人は剣先をあげ、構える。風は失せ、葉擦れの音も消える。完全な静寂。
両者の心臓が跳ねる。二人は瞬く間に踏み込み、前へ出る。もう一歩で互いの間合い。
「―――っつ!」
両者が二歩目を踏みしめた時、木陰の奥から人影が割り込んできた。
現れたのは、少女。金色の髪を振り乱した少女は二人の間にタタラを踏みむように割り込み、盛大に転んだ。
無蔵と有為は少女を見て、力ない二の足を踏む。突然のことに、呆然と少女を見ていた。
「〈まったく。時間ばかりが無駄になる〉」
茂みから悠然とした声。異国の言葉。
「〈私の時間は金では買えんぞ、魔女〉」
現れたのは異国の服に身を包む長身の男。男は何かを引きずりながら、有為と無蔵の間を横切った。引きずっているのは、異国の司祭服をきた男。
「〈失った時間の代償は払ってもらう。この男のようにな〉」
長身の男は引きずっていた男から手を放す。ゴンと地面に鈍い音が響く。
「〈うぅ……〉」
「〈ルー!〉」
少女は唸り声をあげる男へ、手を伸ばす。少女の青い目は、涙で濡れていた。
「〈この男の命が惜しければ、抵抗せずこちらへ――〉」
長身の男が少女に手を伸ばした瞬間、無蔵の剣が男の眼前を斬る。男はそこで初めて無蔵の存在を認識した。
「〈なんだ、いたのか〉」
「己……な、な、なっ! なにしてくれとんじゃああああああああああああああああああ!!」
無蔵の剣が男へ縦横無尽に襲いかかる。
「わちゃあとありっこの、最高の時を、己は、己はよぉ!」
「〈何を言っているのだ、こいつは〉」
「何ばいうちょる!」
怒る狂った無蔵の剣に先程までの鋭さはなく、男の眼前で空を斬るばかり。
しかし、その背後から、殺気。男は背筋が凍る。
「〈土〉」
男はとっさに背中に土壁を作る。だが、土壁は真っ二つに両断。男の襟足がパラパラと地面へ落ちる。
有為は無言での脇腹への二の太刀を浴びせる。その顔は翳が差し、怒りの目が据わっている。
男は体を入れ替え、二人の間から抜け出す。
「〈まったく。極東の蛮族は話が通じないのか〉」
「なに、よそ見してんじゃボケ!」
振り向いた瞬間、無蔵の太刀が男の頬を斬る。男の頬に血が伝う。
「〈……〉」
男は頬に触れる。血の赤が指に滴る。そして男は、目を瞑った。
「去ねや!」
無蔵と有為は男の左右に回り込み、剣を振り上げる。
雲が月を隠す。周囲が暗闇に包まれ、二人の切っ先の行方を隠す。
「――なっ」
暗闇の中、有為が驚きに声をあげる。雲間から月明かりが地面を照らす。
「――ごふっ」
無蔵の口から血が噴き出る。同様に、有為の口端から血が垂れる。
「〈蛮族風情が〉」
男の両手が無蔵の胸と有為の肩に突き刺さっていた。
男の手は尖った土で覆われ、その表面が燃えている。
二人の剣は男の首を正確に狙っていた。しかし、男の首から胸まで金属のようなもので覆われ、打たれた箇所はひび割れている。
有為と無蔵はその場に倒れる。地面に二人の血が広がっていく。
男は服についた土ぼこりを払い、二人を見おろす。その手はいまだに火で燃えている。
「〈――何のつもりだ〉」
男は冷たく見おろす。二人の前に立ちはだかる少女を。
「〈この人たちは殺させない〉」
「〈お前は自分の立場を理解しているのか。お前は私に殺されないよう、ここまで逃げ回っていたのだぞ〉」
「〈そうよ。でも、もう逃げない。もう誰も、私の前では殺させない!〉」
男は何も言わず少女を見おろす。路傍の石を見るように、無心に、露ほどの興味もなく。
「あめぇ」
背後から声。振り返ると無蔵と有為が立ち上がっていた。
「首斬るまでが斬り合いやえ」
「頭に上っていた血が抜けて、いい感じですよ」
男は眉を上げ、目を丸くする。
「〈ほう。まだ息があったか〉」
「だーかーらーっ」
無蔵が剣を構える。無蔵本来の低い姿勢の構え。無蔵は一歩で、男の間合いに入る。
「なに言うちょるか、わからんぜ!」
無蔵の剣は男の首へ向かう。
呼応するように有為も土を蹴り、男の腹部へ刀を向けた。前後から挟むように、二人の刀が男へ向かう。
「〈時間の無駄だ――風〉」
木の葉が舞う。巨大な竜巻のような風が、男の周囲に渦巻く。風は火を含み、火柱となる。
「だから、どうしたぁ!」
無蔵は剣を構えたまま炎の渦に突っ込む。
「はあぁ!」
有為は剣で炎の渦を斬り、変わらず斬りかかっていく。
「〈土、火――回転〉」
しかし、それは男の思惑通り。
男は両手の土を圧縮、火で研磨することで両腕は鉄を生みだす。さらに鉄を炎で変形させ、槍のように変化させる。仕上げに風で表面を研磨する。
男の両腕に纏った土は鉄となり、それはドリルのように回転させる。
それは、炎で歪んだ刀をゆうに砕いた。
そして、男の手は無蔵の肩を、有為の首筋をえぐった。
「かはっ」
「ぐっ」
無蔵は血反吐を地面にまき散らし、倒れる。
「〈ほう。まだ動けるか〉」
有為は首筋を手で押さえながら、折れた刀を男に向ける。目の下は黒く淀み、顔色は青白い。
だが、有為の目にはいまだに生気が宿っている。手負いの獣がみせる圧が、そこにはあった。
男はその目を見つめ、ふむ、と顎に手を当てる。
「〈炎さえ切り裂く剣の腕、死さえ恐れぬ執念……〉」
男は有為を見つめ、頬を緩ませる。
「〈まさかこんな極東で、私が求めていた素材が見つかるとは――まさに行幸〉」
睨む有為に、男は両手を広げる。なにを、と戸惑う有為に、男は背に風を起こし、一気に距離を詰める。男は有為の口に手を当てる。有為は息を吸った瞬間、眠るように気を失う。
「〈フハハハハハ……これでようやく、一族の悲願がかなう〉」
「ありぃ……」
無蔵は地面に這いつくばり、有為に手を伸ばす。 男は無蔵を見おろし、腕を振り上げる。
「〈お前は、いらない〉」
「〈やめて!〉」
無蔵の前に、少女が覆いかぶさるように身を投げ出す。
「〈殺さないで! その人だって、関係ないでしょ! あなたの狙いは私でしょ〉」
「〈図に乗るなよ。魔女一人を捕まえるためだけに、上級執行人である私がこんな極東まで来るとでも? それほど、お前に価値があるとでも?〉」
男は少女を見おろし、嘲笑する。
「〈私は、一族の悲願を叶えるためにここに来た。お前はそのついでだ〉」
男は鉄の腕を空に掲げ、無蔵の頭に視線を向ける。
「〈いやあ!〉」
「ワン」
男の腕が止まる。少女も、へ、と振り返る。
草むらから犬が飛び出してきた。男の足に縋りつき、足に噛みつく。
「〈……?〉」
男は微動だにしない。犬の牙は男を傷つけるほど鋭くない。ゆっくりあまがみされているような感覚に、男は首を傾げ、足蹴にする。しかし、犬は男の足にまとわりつき、離さない。
痛くないけど、動くには邪魔。
「〈鬱陶しい〉」
男は苛立ちに、犬の背中を鉄の腕で突き刺す。
次の瞬間、犬は風船のように破裂する。同時に、白い水蒸気が煙幕のように周囲へ満ちる。
「〈なんだ、これは〉」
男が戸惑っている中、少女の肩に一羽の赤鳥が止まる。
すると、六芒星が紫の光を放ち、地面に現れる。
男が風を起こし、水蒸気の煙幕を振り払う。
そこに、少女と無蔵の姿はなかった。
キキは突然のことに、呆然としていた。
さっきまで林の中にいたはずなのに、紫の光に目を閉じた数秒の間で、場所が変わっていた。
そこは河川敷。草むらの中で、顔をあげれば目の前にのどかな川が流れている。
どういうことなのか。キキは状況が理解できず、動けずにいた。
「危ないところでしたね」
横から声が聞こえ、キキは肩を揺らす。周囲を見渡しても声の主はいない。
「どこから声が……誰かいるんですか」
ああすみません、声が近づいてくる。現れたのは、先程の犬。
「このような姿で申し訳ない。私はあなたの協力者です。警戒なさらずに」
犬が流暢に話していた。言葉も通じている。どうして。
「極東では犬も口を聞けるのですか?」
犬はきょとん顔。少しの間があってから、ふふっ、と犬が笑った。人間のように。
「ここ日本でも、犬はワンかクウしか鳴きませんよ。これは私の式神。私はこの式神を操ってあなたと会話しているだけなんです」
「式神? あなたは一体……」
首を傾げるキキに、犬はこほんと喉を鳴らすと、恭しく頭を下げた。
「申し遅れました。私は陰陽師、安部秋世。あなたをここに呼び寄せた者でございます」
「あ、あなたがルーの言っていた協力者さんですか」
「ええ。まあ、詳しい話はまずは後回しで。それより、その方は」
犬はキキの横を見遣る。キキの横に、グレイトニクスに胸と肩を貫かれた男性が倒れていた。
「一緒に転移したようですね。お知合いですか?」
キキはうすぼんやりとした目で男を見つめ、ああっ、と抱き着くように男の顔を見た。
男の目は見開き、動かない。
「うそっ、そんな――」
犬が男の心臓に耳を当てる。犬はゆっくりと首を振り、告げる。
「心臓が止まっている――彼はもう死んでいます」
混混沌沌ー人斬りと魔女ー 由里 @yuri-tatara
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