第5話 兄妹
「頂きます」
小さな机の前に座り、勝頼は手を合わせる。
「どうぞ、召し上がれ」
有為は机の食事を前に、手をだす。机の上には冷麦と焼き魚とわかめと豆腐の味噌汁。
勝頼は魚に箸を入れ、骨を皿の端によけ、口に運ぶ。
「どうですか」
「……うまい」
ふふん、と有為が鼻をならし、ニマニマと口元をほころばせる。
「なんだ」
「いいや。兄上は感情がよく顔に出るなと思いまして」
「じろじろ見るな。お前も食べろ」
はーい、と有為は箸を手に、頂きます、と食事を始める。ずずと汁を口に含み、ほわあ、と幸せそうに息を吐く。お前の方がよっぽどわかりやすい、と勝頼は内心思いつつ食事を続ける。
「そういえば、今日の会議はいつもより長かったですね。何かあったのですか」
有為は骨のついた魚の切り身を口に運ぶ手を止め、尋ねる。勝頼は、ああ、と思い出したように口を開いた。
「お前には伝えておかねばならなかった――昨日、暗刀により若年寄が殺された。そして、暗刀による暗殺計画が近々実行される情報を掴んだ。そこで、お前からかねてより聞かされていた暗刀の情報をお奉行に伝えた。俺は危うく切腹寸前だったぞ」
「それは、すみません。それで、今後、奉行所としてはどう動かれるのですか」
「奉行所としては、標的となっている要人の警護とそれにあわせた警備体制を組む。だが、あくまで暗刀には気付かれないようにする。計画が漏れたことを知れば、あちらも決行を中止するやもしれん」
「最優先は、暗刀の捕縛、ですね」
「そうだ。そして、その要はお前だ、有為。警備体制はあくまでお前と暗刀が一対一になるためのもの。お前が暗刀を逃がすことがあれば、誰も暗刀を捕まえられないと心得よ」
勝頼が顔を上げる。有為が悲しそうに勝頼を見て、笑っていた。
「兄上は、本当にわかりやすい」
勝頼は視線を逸らす。本心を見透かされ、心の中で自分を𠮟責した。
(だから俺は、いつまで経っても弱いままなんだ)
「兄上、自分を責めてはなりませんよ」
勝頼は内心ぎくりとする。有為は持っていた箸をおき、首を振る。
「これは僕が選んだことです。兄上に責は一切ない」
「だが、俺がもっと強ければ」
(腰抜けが!)
あの日の父の言葉が、今も脳裏にはりついて離れない。父の苛烈な目が、激しい打ち込みが、罵詈雑言がつい昨日のことのように思い出された。
「俺が弱いから……俺が、お前の未来を奪って――」
勝頼が言いきる前に、有為はおもむろに立ち上がる。見上げる勝頼に、有為は無言で背を向ける。
「道場に来てください」
離れにある道場に有為と勝頼は入る。道場は暗く、照らすのは冷たい月光だけ。
道場の壁には代々永斐家の当主の肖像画が飾られていた。一番右に先代永斐家当主であり父、永斐勝重の肖像画が飾られている。父勝重は立派に反った口ひげに、武骨な顔立ち、そしてギラギラと光る眼が特徴的であった。
勝頼は自然とその目から視線を逸らした。
「木刀を」
有為は壁にかけられた木刀を手に、道場の下手に佇む。勝頼も木刀を手に取ると、上手に移動する。対面した有為は静かに息を吐く。
「お願いします」
有為は木刀を構える。勝頼も息を吐く。道場に緊張が張り詰める。
勝頼も木刀を構える。
「お願いします」
静寂。冷たい床に素足の干渉が伝わる。小さなほこりが月明かりに照らされ雪のように舞う。
「はあぁっっ!」
先に踏み込んだのは勝頼。勝頼は長身を生かした脳天への面。
「ふっ!」
有為の息を吐く音。同時に、勝頼の喉仏に何かが触れるような感触。
「これほどまでか」
勝頼の面への一撃は有為が半身をずらしたことで空振り。そして、有為の剣の切っ先が勝頼の喉に薄皮一枚触れていた。先んじた勝頼の剣を完全に見切ったうえで、最小の動作で剣を回避、互いの間合いを計ったうえで剣の先が触れるか触れないかのとこで止める剣の技量。
敵わない。どれだけ修練を重ねても、この領域に自分が到達できるなど想像すらできない。
「兄上は弱いわけではありません」
有為は剣を払うように降ろし、腰に据える。
「僕が強すぎるのです」
有為は寂しげに笑う。
「これは努力で埋められるものではない。兄上も感じたでしょう。この力は、僕が生まれもって授かった才であり、これを活かすことが僕に与えられた天命なのです。そこに僕の意思は関係ない」
「だが、それは――」
有為の言い方は、まるで業を背負うかのようなもの。
「それで、お前は幸せなのか」
「言ったでしょう。僕の意思は関係ないんです」
「それでもっ! お前は傀儡ではない。幸福を求める権利は、人には、お前にはあるだろう」
本音を聞きたかった。兄であり、家族である自分には打ち明けて欲しいと願った。
だから、自然と口に出た。
「うい! お前は女として、幸せを求めてもいいのだ」
有為は一瞬息を止める。そして、また悲しそうに笑う。
「それは、その名と共に捨てました」
お前、と勝頼がいいかけた時、道場の扉ががらりとなる。
「お二人とも、ここにおられましたか」
それは一番組の同心。一番組は今夜要人の警護に当たる組だ。
「何用だ」
同心は荒れる息を整え、ごくりと喉を鳴らし、言った。
「暗刀出没! 急ぎ現場へ」
勝頼と有為は顔を見合わせる。木刀をその場に捨て置くと、真剣を手に走りだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます