第3話 ポンコツとポンコツ
コツブさんは薄く笑った。
「本当は──」
「やっぱり、闇バイトなんだ!」
わたしは悲鳴をあげた。
だまされた。ちょっとコツブさんのこと信じたわたしがバカだった。アホだった。
わたしがポンコツだからって、ここまで長く引っ張って「闇バイトでした」って種あかしするなんて、ひどすぎる。あずきちゃんのことも愛莉ちゃんのことも、全部全部、嘘なんだ。
「ひどい。ひどすぎる。ぷりぷりの乙女の心をあんたは踏みにじった!」
「美鈴さん」
「荷物を持つって言ったのも、横を歩いてって言ったのも、全部わたしをだますためだったんでしょう」
「美鈴さん」
「愛莉ちゃんの話だって嘘。必死に猫探して、バカみたい。コツブさんなんか、一生ポン酢が見つからない呪いにでもかかればいい」
「聞いてください」
「聞かないもんねー。今すぐバイト代を置いて去れ! このあんぽんたん!」
その時、足元から「にゃあ」っと太い声が聞こえた。
わたしたちは口論を辞め、ゆっくりと視線を足元へと落とした。
「あんた、さっきのボス猫じゃない」
やれやれといった様子で、後ろ足でボス猫は首をかいた。
暗闇にボス猫の細かい毛が雪みたいにふわりと舞って、落ちていく。その先に、あずきちゃんがいた。
「あれって」
わたしが指差すと、コツブさんはうなずいた。
「でも、なんか変ですよ」
あずきちゃんの姿が変だった。輪郭がぼやけていて、淡く毛先が光っている。その不思議な光からは、生命の温かみを感じない。まるで、遠くの星を眺めているみたいな感じだ。
「コツブさ──」
言いかけたわたしの唇に、コツブさんの指がそっと重なった。コツブさんは人差し指を自分の唇にあて「静かに」とわたしに合図を送った。
「美鈴さん、ごめんなさい。俺がポンコツだから、肝心なことを話していなくて。それから、隠していて。これが終わったら、全部話しますから。見守っていてくれますか?」
コツブさんが少しかがんで、わたしと視線を合わせた。わたしは、幼い子どもみたいにうなずく。未知で不思議で、謎めいた神秘的な何かが起きるような予感がした。
それは、ポンコツなりの直感だった。
コツブさんは微笑むと、わたしの頭にそっと手を置いた。
長い前髪のすき間から、コツブさんの瞳が見えた。青みがかった灰色の冬の朝みたいな、澄んだ色をしていた。
「おいで、あずき」
夜の中にコツブさんは立っていた。
「俺が君を送ってあげる」
コツブさんが足を踏み出すと、暗闇がにじんでぼやけていくような気がした。小さな風が、地面から巻き上がる。清らかな水が、溢れて流れるようなさざなみがどこからか聞こえてくる。
コツブさんは真っすぐに、あずきちゃんの元へ歩んで行き、片膝を立てて座った。右手を差し出すと、あずきちゃんの鼻先がコツブさんの手にのる。
顔をコツブさんの手にのせたまま、あずきちゃんはじっと動かなかった。コツブさんも動かなかった。
ボス猫とわたしはその様子を見守った。息をする音さえ、大きな音となって、コツブさんたちが作り出している静謐な空間を壊してしまうのではないかと思われた。
「つらかったな」
コツブさんの声が震えていた。泣いているのかもしれない。
あずきちゃんを腕に抱いて、コツブさんは立ち上がった。
「大丈夫。きみの大切な友人に伝えるから」
コツブさんはあずきちゃんに顔を寄せて、何かをつぶやいたようだった。すると、あずきちゃんの体が明るく光った。体は飴細工のように伸びたり縮んだりして、コツブさんの両手のひらにのるくらいの大きさに変貌していく。
一陣の風が巻き上がった。風はコツブさんたちの周りをぐるぐるとめぐる。光の玉になったあずきちゃんを撫で、コツブさんの長い前髪を巻き上げる。
風の中でコツブさんは天をむいた。その瞳が輝いて見えた。コツブさんは風の中で、心地良さそうに目を閉じる。
懐かしいにおいがした。
澄んだ竹林のようなにおい。
わき水のにおい。
冬の星空のにおい。
記憶の奥深くにある、古くから知っているようなにおい。
その香りで胸がいっぱいになり、わたしの目からは、涙があふれでていた。
幸せであれ。
幸せであれ。
大好きな娘。
わたしの、たいせつな、ともだち。
ずっと、
だいすきな、
ともだち。
夜空に向かって星がのぼっていった。 淡く青白い尾をひくその星は、空のてっぺんにつく頃に猫の形になり、そして祝福するように弾けた。
光の粒が夜空に散りばめられていく。ちかちかと星は瞬き続けていた。「さようなら。またね」と手を振っているように、くり返しくり返し、地上に向けて光を放っている。
夜が明けようとして、空が透明になっても、星は瞬きをやめなかった。
「
夜と朝のあいまいな空の下で、コツブさんは言った。左手にはコロンと丸い陶器の香炉が握られている。
「彷徨っている魂を香炉に入れ、香を焚いて天まで送るのが香炉師の役目です。俺の幼馴染が探し屋という仕事をしていまして、愛莉ちゃんは彼に猫を探して欲しいと依頼しました。依頼をこなしているうちに幼馴染は気がついたのです。あずきは、もう亡くなっていると。それで俺に依頼してきた、という訳なのです」
こくり、とわたしはうなずいた。先ほどの光景が目に焼きついて、離れなかった。コツブさんの話も、もう嘘だとは思わなかった。
「あずきは、散歩の途中で後ろから来た車にひかれたそうです。体は宙に投げ出され、冷たいコンクリートに打ち付けられました。千切れそうな体を引きずりながら、最期に愛莉ちゃんの姿を一目見ようとしましたが、途中で亡くなってしまった」
——幸せであれ。幸せであれ。
あの時聞こえた声は、あずきちゃんの声だったのだ。
——ずっと、だいすきな、ともだち。
「探し屋にはあずきの言葉を伝えます。愛莉ちゃんは、悲しむでしょうが……」
コツブさんが空を見上げたので、わたしも後を追って空を見た。
透明に、限りなく透明になっていく空。まだ、星が輝いている。
「そうですね」
わたしが鼻をすすると、コツブさんがハンカチを取り出した。大判のハンカチが目の前に差し出されている。
「どうぞ」
「でも」
「女の子が泣いたらハンカチを出せって、姉ちゃんが言ってたので」
わたしはハンカチを受け取って、そっと目尻をふいた。コツブさんのにおいがした。やさしいにおいだった。
「もしかして、荷物を持とうとしてくれたのも?」
「はい。姉ちゃんが女の子の荷物は持ってやれって言っていたので」
わたしはぷっと吹き出した。
「じゃあ、横を歩いてって言ったのもお姉さんの教え?」
「あ、いえ。それは、その」
長い前髪からコツブさんの目が、左右にせわしなく動いているのがわかった。
「鳥目なんです、俺」
「とりめ?」
「夜盲症、といえばいいですかね? 暗いとよく見えないんです。それでか、暗いところが怖くって」
ああ、とわたしは記憶を遡ってコツブさんの不審な動きを思い出す。叫び声をあげながら夜道から飛び出してきたり、横を歩いてくれと頼んだりしたのはそういう訳だったのだ。
「夜に猫を探すバイトを募集したのも、夜一人でいるのが怖くって、誰かそばにいて欲しかっただけなんです」
でも、とコツブさんは目を細めてやさしく笑った。
「美鈴さんは一生懸命でしたね。俺、うれしかったです。やっぱり今日の俺のラッキーパーソンは美鈴さんで間違いないです」
胸の奥がむずむずした。たぶんきっと、心がある場所。理由もなくうれしくなって、幸せな気持ちになって、もっと笑っている顔が見たいって思った。
また会えますか? と聞こうとしている自分に驚いて、わたしは唇をきゅっと引き締めた。
「あの」
「あの」
同時に喋り出して「どうぞ」「どうぞ」と譲り合う。
「コツブさんからどうぞ」
わたしは少し目を伏せる。「また会えますか?」なんて聞いてくれたら、どうしよう。どうしよう。
「じゃあ、俺から」
コツブさんは頭をポリポリとかいて、それから口を開いた。
「すいません! 現物支給のバイト代、家に忘れてきちゃいました」
わたしは手の中にあるハンカチを強く握りしめた。
「は?」
「本当にすみません!」
深々と頭を下げたコツブさんは、右手をポケットに突っ込むとジャラジャラと音を立てて、わたしの目の前で手を開いた。
「奇跡的に入っていた小銭で、コーヒーおごります!」
だから、ともう一度コツブさんは頭を下げる。
「もう少しだけ、俺と一緒にいてくれませんか?」
わたしは腕を組んで、少しの間考えているフリをする。
ずれているのかもしれない。
バイト代は忘れるし、姉ちゃんの言うこと絶対な男だし、推しの話になると早口になるし、夜が怖くて叫んじゃう人で、香炉師とかいう謎の仕事をしている人。
ポンコツで、やさしい人。
そんな人に興味を持ってしまったわたしは、たぶん、いや、絶対にずれている。
「悪くない提案です」
わたしは差し出されたコツブさんの手を、そっと握り返した。
夜、猫を探すバイトです あまくに みか @amamika
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