第2話 ポン酢とコツブ

 困ってわたしは両手をもじもじさせた。どうしたらいいのだろうか。


「深い意味はないのですけれど。なんていうか、その、あの」


 男は言葉をひねり出そうとしている。ますますアヤシイ。しばらく「あの」「それが」をくり返してようやく、妙案が思いついたのかパッと顔をあげた。


「女性が夜道を歩いていると危険だからです」


 あなたと歩いている方が危険そうだけれど、と言いそうになったのをわたしは堪えた。


 ここまできたら早く猫を見つけて、バイト代をもらって帰ろう。そうしよう。


「猫を探しましょう」


 わたしは落ち着いた声で男に語りかけた。


「……はい」


 小さな声で男がうなずく。これではどちらが雇い主なのかわからない。

 わたしたちは、やっと夜の道へと足を踏み入れた。


「そういえば、何て呼べばいいですか?」

「猫ですか?」

「いえ、あなたです」


 万が一、男が悪いことをしそうになったら警察に駆け込もう。そして男の名前が何かしら(例えば逮捕とか)の手がかりになるかもしれない。


 わたしはそう考えにいたって、今日のわたし天才では? とテンションが少し上がった。


「コツブです」

「はい?」

「コツブって呼んでください」


 ああ、なるほど小粒ね、とうなずきかけて首を横に振った。

 この人はわたしをからかっているのだろうか。


「だから、猫じゃなくて!」


「俺です! そう呼ばれているんです。本当に」


 コツブさんが大きな声をあげた。わたしがその声に体を震わせたからか、コツブさんの声はみるみる小さくなって、最後の「本当に」は懇願しているように聞こえた。


「そう、なんですね」


 冷静に考えれば、失礼なのはわたしの方かもしれない。闇バイトだと思って、変態だと思って、それから名前も猫と間違えて。


「俺、本名が好きじゃなくて。ごめんなさい」

「あ。いえ。こちらこそ。すみません」


 気まずさを感じて、わたしはしゃがみ込んで車の下をのぞいてみたりする。猫の姿どころか、暗くて何も見えない。コツブさんとわたしが道路の砂利を踏みしめる音だけが聞こえる。他の生き物がいなくなってしまったみたいな路地だった。


「あずきっていう名前です。探している猫の名前」


 沈黙に耐えかねたのか、コツブさんが言った。


「肉球が小豆みたいな色をしているから、あずきって名前にしたそうですよ」


 わたしがコツブさんの方を向くと、コツブさんはタイミングを合わせたようにしゃがみ込む。わたしの反対側にある、植木のすき間に猫を探し始めた。だから、コツブさんと背中合わせになるようにしゃがんで、道路のすき間に猫が落ちていないか探し始めた。


「コツブさんの猫じゃないんですか?」


愛莉あいりちゃんという七歳の女の子からの依頼です。俺が直接受けた依頼ではないので、伝聞みたいな言い方になってしまって、申し訳ないのですけれど。あずきは、二週間前に突然いなくなってしまったそうです。おそらくこのエリアにいると思うんです」


 七歳の女の子の友だちである猫のあずきちゃん。七歳の女の子にとっての二週間はどれだけ長いだろうか。


「絶対見つけましょう、あずきちゃんを!」


 立ち上がって、わたしは夜の道を切るように進んでいった。後ろからコツブさんが「あ、離れないで」と言っていたけれど、気にしなかった。


 愛莉ちゃんのためにも、それから失礼な態度のお詫びにも、コツブさんの役に立ちたかった。


「にゃー、にゃー」

 わたしは呼びかけてみた。

「にゃー、にゃー」


 車のいないコインパーキングに足を踏み入れた時、薄闇の中を小さな影が横切った。


「コツブさん、きてきて!」

 

 振り返ったわたしは、こちらに駆けてくるコツブさんの姿に向かって、早く早くと手招きした。


 小さな影はじっと地面に止まっている。こちらがそっと一歩踏み出すと、小さな影は警戒しながら立ち上がる。けれども、こちらの様子をうかがっているのか逃げる気配はない。この距離を少しでも縮めれば、たちまち小さな影は走り去ってしまうだろう。


 わたしは立ち止まって、小さな影を観察した。四本の足、長い尻尾に三角の耳。間違いない、猫だ。


「にゃー、にゃー」


 驚かさないように、小さな声で話しかけると猫の耳だけが反応する。


 荒い息が近づいてきて、コツブさんが一瞬息を飲み込んだ気配がした。コツブさんも目の前にいるのが猫だとわかったようだ。


「あずきちゃん?」


 小声でやさしく問いかけてみる。猫は動かなかった。


「愛莉ちゃんが、あなたを探しているよ」


 そう言った時、猫がこちらに向かって歩いてきた。わたしはコツブさんと顔を見合わせる。


 目の前に現れた猫は丸まると太ったキジトラの猫だった。ふてくされた顔で、両目を細めてわたしとコツブさんを見上げている。


「ちがいましたね」


 コツブさんが残念そうに息を吐いた。そんなに簡単に見つかるはずがない、そう言いたそうなコツブさんのため息に、わたしは肩を落とした。


「そうだ! ボス猫!」

「ボス猫?」


 まだ目の前にいる猫をわたしは指差した。


「見てください。この猫の態度。我々を前にしても動じず、天晴な猫です。豊満ボディもきっと筋肉です。つまり、ボス猫なんです。この猫は」


「なるほど?」


「こんな話を聞いたことがあります。地域のボス猫に『うちの猫に早く家に帰ってくるよう伝えて』と頼んだところ、飼っていた猫がすぐに家に帰ってきたという話です」


「つまり?」


「このボス猫に頼んでみましょう。あずきちゃんに会わせてって」


 コツブさんは「あっ」と小さな声を上げると、わたしの言いたいことを理解したようで、ボス猫の前にスマホの画面を差し出した。そして、コツブさんは裏声でこう言った。


「にゃ、にゃにゃにゃーん」


「猫語話せるんですか?」

 

わたしが驚くと、コツブさんは頬をぽっと赤く染めた。


「そんな訳ないじゃないですか。さっき、田村さんがにゃんにゃん言っていたので、その方が伝わるのかと思っただけです」


 座って人間の哀れな姿を眺めていたボス猫が、よっこらせと立ち上がった。くるりと体の向きを変え、わたしたちにお尻を見せつけると、パッと走り出し姿を消した。


「いっちゃいましたね」

「伝わったでしょうか?」


 わたしたちは同時に大きなため息を吐いた。


「すいません。俺、ポンコツで」

「わたしだって、ポンコツですみません」


「そんなことないですよ、田村さんは一生懸命探してくれているじゃないですか。うれしかったです。ありがとうございます」


『うれしかったです』って過去形だ、とわたしはコツブさんの言葉に悲しくなる。


 猫探しをあきらめましょう。もう、終わりです、とコツブさんが次の言葉で言い出しそうな気がして、わたしは引き留めたくて思わず口走った。


「ポン酢です」


「え?」


「わたし、ポン酢です」


「何を、言っているんですか?」


「わたしのあだ名です。田村美鈴はポンコツだから、ポンコツとみすずを合わせて、ポン酢って呼ばれていました」


 最初、ぽかんと半開きだったコツブさんの口が漫画みたいに楕円形に広がって、次の瞬間には「マ!」と訳のわからない言葉を発した。



「信じられないです。占い系VTuberのレイラさんをご存じです? 俺、めっちゃ好きで、彼女の配信は欠かさずチェックしているし、投げ銭もするし、とにかく好きなんですけれど、今日の彼女の配信で、獅子座のラッキーアイテムがなんとポン酢だったんですよ。い~や、ポン酢ってレイラちゃん! って思っていたんですけど、まさかの展開に驚きを禁じ得ないですね」



「うん。わかった。おちつこう」

「見てください、鳥肌たってます」

 

 袖をめくりあげて、腕を近づけてくるコツブさんをなんとかなだめて、落ち着かせる。


「ア、すいません。ついポン酢に反応してしまって」


 いささか冷静さを取り戻したコツブさんは、照れているのか頭をかいた。


「俺、たに小月っていうんです、本名」

「こつき?」

「小さい月って書いて、こつき。変な名前でしょう?」


 コツブさんはさっきボス猫が去って行った方向を見つめていた。(前髪のせいでどこ見ているかわからないけれど、たぶんそっちを見つめているような気がしたのだ)


「俺には姉がいて、ある時、姉ちゃんが『こつきはポンコツだから、小粒だな』って呼び始めたんです。姉ちゃんはしっかり者で、俺の師匠みたいなもんで、憧れなんです。だから、コツブの方がうれしくって」


「なんだか、似ていますね。わたしたち」

「はい」


 コツブさんは、もう一度頭をかいて、それから「実は」と切り出した。



「探しているのは、猫じゃないんです」

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