夜、猫を探すバイトです
あまくに みか
第1話 闇バイトと猫探し
ずれているのかもしれないと、ようやくそう思った。
「ふつう」の人より、感覚とか考え方とか、そういったあやふやで誰が決めたかわからない基準から、わたしはずれているのだと思う。
だから今、犯罪に手を染めようとしているのは、わたしがどうしようもなくずれているから起きてしまったことであって、どれだけ後悔しても、もう手遅れでしかないのだ。
LINEの受信音が鳴って、スマホの四角い光がポッと夜の中に灯った。
『それやばいって』
わたしが読んでいる間にも、佳苗は音速でメッセージを立て続けに送ってくる。
『今すぐ逃げな!』
『なんで?』の『な』を入力している間にも、佳苗のメッセージは止まらない。
『猫を探すバイトなんて、あるわけないじゃん!』
『闇バイトだよ、それ!』
その文字に驚いて、わたしはスマホを少しだけ遠ざけた。
闇バイト。
あたりをきょろきょろと見回す。集合場所であるこの路地には、街頭が一つしかない。街頭の明かりと夜の境目。その先の見えない空間から、凶悪な人間が今にも飛びかかってくるのではないかと思うと背筋がぞわりとして、スマホをにぎる指先がしびれた。
『猫は隠語で、高級車のこと』
『高級車を見つけて、地図にチェックさせる闇バイトだよ』
『少し前に話題になってたじゃん! なんでひっかかっちゃうかなぁ』
『とにかく早く逃げて!』
思わず後ずさると、こつんと背中に固いものがあたった。どきりとして振り返る。オレンジ色のカーブミラーにぶつかったようだ。薄汚れた鏡は、いびつな夜しか映し出していない。鏡のすぐ下に「注意」の札が貼ってある。
注意。注意。注意。
逃げて。逃げて。逃げて。
頭の中で反芻し、ようやく「足よ、動け!」と命じた時だった。
「うわああああ」
男が夜を突き破るようにして、飛び出してきた。そして、わたしの右腕をがっちりと掴む。
「うあああああ」
わたしも叫んだ。「きゃあ」なんて悲鳴がでなかったことに落胆しつつも、そうだ今はそんなこと考えている場合ではないと思い直して、腕にくっついている男を振り払おうともがいた。
「離してください! 離してください!」
腕をぶんぶん振り回すと男が腕からはがれた。地面にうずくまった男は、苦しそうにうめき声をあげている。わたしは早鐘を打つ胸を押さえながら、地面を這う男を見下ろした。
ガリガリに近い細身で、大学生くらいの年齢に見える。地面に転げた時、体を強く打ちつけたようで、痛そうにしている。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
そう声をかけて「そうじゃない、逃げるんだった」と我に返る。
「田村
男はゆっくりと体を起こして、立ち上がる。
「あ、はい。そうです」
「バイトに応募してくれた、田村美鈴さん?」
「あ、その。バイトの件なのですが」
「このエリアにいる猫を探して欲しいのです」
男が地図を差し出した。地図にはピンク色の蛍光ペンで大きな丸が記されている。
どうしよう。本当に闇バイトだ。断らないと。
わたしは覚悟を決めて男の顔を見上げた。
色白の男は長い前髪で目元がよく見えない。もしかすると、顔バレしないようにわざと長い前髪にしているのかもしれない。周到な男だ。
「あ、荷物。持ちますよ。重いでしょう?」
男がわたしのリュックの肩紐に手をかけた。
荷物を人質にして、わたしに逃げられないようにするんだ。助けを呼べないようにスマホも奪うにちがいない。
「だ、大丈夫です!」
叫んで男の手を払いのけた。男は驚いたのか、上半身を少しのけぞらせた。その様子にわたしは「しまった」と焦る。抵抗して、男が暴力をふるってきたりしないだろうか。拉致されたりしないだろうか。
不安と恐怖と混乱がおしよせ、わたしの頭の中はパンパンになってふくらみ、爆発し、そして、暴走し始めた。
「わたしマッチョなんです。日々鍛えているんですよ。リュックの中には四キロの砲丸が入っていて。筋トレのためにも荷物は自分で持ちたいかな、なんて」
「そうなんですか」
「そ、それにわたし、免許持っていないです」
「奇遇ですね、俺もです」
「だ、だから、えーっと、わたし高級車とか全然わからなくて」
「高級車?」
「知っている車といえば、ジムニーとリトラ車くらいです」
「その知識で十分な気もしますが」
男が満足そうにうなずいたので、わたしはよりパニックに陥る。
どうしたら穏便に、且つ平和的に逃げ出せるのだろうか。
「探して欲しいのは、この猫です」
「無理です!」
男がスマホの画像を差し出したのと、わたしが渾身の叫びをあげたのがほぼ同時だった。
「え?」
わたしの視線は、スマホの画面に吸い寄せられる。その画面に映っていたのは、高級車でもなく、車ですらなかった。
本物の猫だった。
「この、猫ですか?」
白と黒の毛色のハチワレ模様。金色の瞳が愛らしくこちらを見ている。
「はい。この猫ちゃんです」
「ねこ」
「もしかして、猫アレルギーでしたか?」
男が不安気にわたしの顔をのぞき込む。
「いえ、健康です」
闇バイトじゃなかった。なんだ。良かった。本当に、猫探しだった。
安心した途端、両足に力が入らなくなって、わたしはその場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか? あの、やっぱりリュック持ちますよ。四キロの砲丸が持てるか、自信ありませんけれど。がんばってみます」
「大丈夫です。砲丸は家に忘れてきたみたいです」
男が手を貸してくれたので、遠慮なくその手をにぎり返して立ち上がる。そうでもしないと、本当に立てる気がしなかった。
「じゃあ、猫。探しましょう」
気を取り直して、わたしは努めて明るい声で言った。闇バイトでないとわかったからには、きちんと給料分働かないと。
「あっちの方、行ってみましょう」
夜中に猫がどの辺にいるのかさっぱり見当がつかなかったけれど、猫を探すのは楽しい仕事だと思った。不安と恐怖が去って、急に元気がわいてきた。わたしは男をおいて、先に進む。
「田村美鈴さん、待ってください!」
やる気に満ちふれたわたしを男が引き留めた。
まだ、何かあるのかと首をかしげると、男はうつむき加減でぼそぼそとこう言った。
「先に行かないでください。出来れば、俺の横を歩いてください」
真意がわからず、男の顔をまじまじと見つめると、なんと頬が赤かった。照れているのだろうか。それとも──。
変態なのかもしれない。
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