第三話 雪と鬼
さらにその次の日、スミコの元に小学校から電話がかかってきた。誠一が大変な事をしたから、とにかく学校に来てくれと言うのだ。驚いてすぐに駆けつけると、誠一が上級生に暴力を振るったのだと言われた。
そんな事今まで一度も無かったから、信じられない思いだった。だが、事態は思っていたより深刻だった。どうやら上級生に馬鹿にされたのがきっかけだったようだが、誠一はそれに怒り狂い、上級生を突き飛ばした。
のみならず、落ちていた石で必要に頭を殴りつけたのだ。何の躊躇もなく、何度も何度も。そして、殴りつけている間、誠一は高らかに笑い、まるで何かに乗り移られたようであったらしい。
さすがにマズイと思った周りの子達が無理やり抑えに掛かった事で上級生の男の子は命に別状はないとのことだったが。やはり事が事なだけに大きな問題となった。
教師、校長はじめとする教師の面々が並ぶ。そして言葉を選びながら慎重に言った。
「誠一くんですが、その。ご両親のこともありますし…カウンセリングなど受けてみてはいかがでしょうか」
「カウンセリングですか…」
「ええ、やはり精神的に相当なストレスを受けていると思いますし…感情のコントロールが出来なくなっているのでないでしょうか。学校でお世話になっている先生を紹介しますので」
学校では手に負えない、暗にそう言われたのだ。信じたくは無かったが、事の重大さを考えると断ることも出来ず、スミコはただ平身低頭謝り続けた。
外は既に雪が舞っていた。予報ではこれから強くなると言うので、とりあえず今日は帰って後日また話し合う事にして帰路についた。
***
その日の夜、スミコは息苦しさで目を醒ました。
重い。苦しい。何だ。思わず目を開けると。
誠一がスミコに跨り首を絞めていた。恐ろしい顔つきで。口元だけが張り付いたようにニタニタと笑いながら。
その顔が。
ぐにゃり。
歪んだ。
目は窪みどろんと眼玉が零れ落ちる。
ぐにゃり。ぐにゃり。
顔は土気色に染まり頬が削げ落ちる。
ぐにゃりぐにゃりぐにゃり。
やがて幼い孫の顔は、口が目が鼻が顔にめり込んだように窪んでいった。
鬼だ。こいつは誠一じゃない。鬼だ。
スミコがそう思ったその時、頭に火花が散った様な衝撃を覚えた。
誠一が、いや、鬼が石で頭を叩きつけたのだ。
「くっ…」
鬼は迷わず再び手を振り上げる。スミコは二打目を避けようと必死で両手を掴んだ。
「うっ…ううう」
必死で手を捻り上げ、手元の石を叩き落とした。
ゴトリ。
頭上に石が転がった。誠一の姿をした鬼は思わぬ反撃に一瞬怯んだ。
スミコはそこで意を決した。
これは誠一じゃない。ごめんねせいちゃん。あなたを人殺しにはさせないから。
スミコは横になったまま石を掴み、思いっきり誠一の頭目掛けて振り上げる。
ゴンッ。
鈍い音が響き渡る。小さな鬼はその場に倒れ込んだ。
解放されたスミコはすぐさま鬼に覆い被さる。
そのまま無我夢中で石を叩きつけた。
何度も、何度も。
肉が飛び散り、頭の形が変わるまで何度も。
鬼がスミコの両手を掴んだ。凄まじい力で手首を捻り上げようとする。
まずい、このままじゃ。
スミコは迷う事なく鬼の頭の窪んだ部分に噛み付いた。生臭い液体に混ざってヌメヌメとしたものが口に潜り込んできた。しっかりとそれを咥え、そのまま引っ張り上げる。
ぶちっ。
ブチブチブチ。
頭蓋から引きちぎられるようにそれが飛び出してくる。そんな事はお構いなしに何度も噛みつき引っ張り上げる。
気がつくと鬼は動かなくなっていた。
ごめんね、ごめんねせいちゃん。でも、これであなたは人殺しにならなくて済んだのよ。
震える体を押さえ、姿勢を起こす。誠一から目を離し、立ち上がると。窓ガラスに自分の姿が映っているのが見えた。
そこには。鬼がいた。
口元は赤い血がぬらぬらと滴っている。唾液に混じった、誠一だったモノの臓物をだらしなくぶら下げたまま。ニタニタと嗤っている。
ぐにゃりと視界が歪んだ。
──僕も悪い子にしてたら食べられちゃうの?
誠一の声が脳内に響き渡る。
足元には、顔の半分が潰れてしまった誠一が横たわっている。愛すべき孫の変わり果てた姿。
それを見たスミコは。
発狂した。
「いやあああああああああああああ!!!」
後悔が憎悪が悲しみが。一気にスミコの元へ襲いかかってきた。
スミコはそのまま靴も履かず、外へ、雪の降り積もる街へ飛び出した。
雪は静かに、そして強く降り注いでいる。街の中心を雪を掻き分けながら、必死で走り続ける。
街はもうすぐクリスマスを迎える頃だ。どこかの家からは子供達の賑やかな声が聞こえる。すれ違う若い男女が腕を組みながら仲睦まじく歩いている。皆幸せそうだ。
この世界ではスミコだけが異質な存在であった。ここは、ここに居てはいけない。どこかへ、どこか遠くへ行かなくては。
「いやああああ!いやああああああ!」
何度も叫び声を上げながら一心不乱に走り続ける。
雪はますます強くなり、吹雪に変わっていた。街の隙間を、路地の裏を無我夢中で走り抜ける。
気がつくとスミコは街中が見渡せる丘の上までやってきていた。
「はあ、はあ、はあ…」
街の灯りが美しく輝いている。
なんて美しいのだろう。
まるで苦しみのない、幸せな世界。
少しの間その景色に見惚れていた。
ああ。全てが夢だったら良いのに。
この景色と同じ、全てが元通りに。
その時。
バチン!
何かに弾かれるように街の灯りが一斉に消えた。辺りは静寂に包まれる。
「え…な、何よ…」
月明かりだけが辺りを照らしている。降り積もった雪が心許ない灯りを吸収し出鱈目に反射した。
僅かな希望もすぐに奪われてしまう。私には夢を希望を持つ事すら許されないなんて。スミコは我慢できず叫び声を上げた。
「わ、わたしが、何をしたって言うのよ!なんでこんな目に遭わないといけないの!」
その声は虚しく降り積もる雪に沈みこんでいく。どうしようもなく昏く、眩しい世界。その中心に一人落とされてしまったかのようだった。
するとそこに。純白と静寂の支配するこの世界に。
三人の家族がいた。
愛しい誠一。息子の信二、妻の春江。ぼうっとこちらを見ている。肩には雪が積もったまま、ただそこにいる。
ぐにゃり。
三人の顔が歪んだ。
ぐにゃり。ぐにゃり。ぐにゃり。
違う、歪んでいるのは私の視界だ。
そこでスミコはやっと思い至った。
そうだ。全部私のせいじゃないか。
怨んでるのね。良かれと思ってやったのに。
ずっとそう。信二が仕事でミスをしたと聞けば、私はグチグチと責め立てていた。
──この出来損ないの能無し息子が。
──一家の恥晒しが。あなたにどれだけお金をかけたと思ってるのよ。
息子が死んでからはその矛先は春江に向かった。
──あんたがしっかりしてないからよ。あの子は、息子はおかしくなったのよ。
──信二だけが死ぬなんておかしいじゃない。ねえ、聞いてるの春江さん。
──春江さん、ねえ春江さん。
嗚呼。
私は鬼婆だ。弥三郎鬼婆だ。
家族は皆んな死んだ。母もとうの昔に死んだ。私だけが生き残ったのは。
私が鬼だったからじゃないの。
「ふ、フフフ…」
そうか。私は。仁平に選ばれたんだ。
「ふは、ふはは、ハハハハハ、ふはははは」
鬼婆は狂ったように嗤った。
そしてそのまま。吹雪の中を。腰まで積もった雪の中を、山に向かって歩き始めた。
日本海を中心に記録的な大雪が降ったこの日。
一人の年老いた老婆が雪山に消えていった。
平成十七年十二月二十二日。
北陸地方を襲った大停電の夜のことである。
鬼婆<オニバサ> 千猫菜 @senbyo31
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます