第二話 不幸な家の話

 『私たちの家系はね、呪われているの。あなたのずっと前のご先祖様がね、鬼になって私たちを呪っているの』


 『お、鬼…?』

 そんなの居るはずないでしょ。

 いよいよ母がおかしくなってしまったと思った。

 

 母の話は次の様なものだった。


 その昔、時代は江戸から明治に移り変わる頃のこと。矢座の家は村の中では有力な、所謂地主の家であった。


 その頃矢座家では、四男の仁平と言う男に頭を悩ませていた。この仁平という男、かなりの乱暴者で、村の娘に手を出す、一度激昂すると手のつけようがない程暴れるといった荒くれ者だったそうだ。

 

 年々仁平の様子は悪化していき、ついには村人達も仁平をなんとかしろと怒鳴り込んでくるようになった。どうにも困った矢座家は仁平を屋敷の奥の座敷牢に閉じ込めることに決めた。何故か仁平は、この時ばかりは大人しく牢の中に入った。矢座家にとっての悩みの種は、ひとまずの解決を見せたのだった。

 

 それからしばらくして、近くの町で暴行され殺害された遺体が見つかるようになった。犯人はいっこうに捕まらず、一人、また一人と被害者は増えていった。


 犯人は決まって夜闇に紛れて被害者に近づき、後ろから襲われたようなあとが見えた。そして、見つかった遺体はまるで岩で何度も、執拗に頭を殴られたように酷い殺され方をされていたという。

 

 ある夜のこと、矢座家の当主である小次郎が厠へ行く途中、仁平が座敷牢にいないことに気がついた。おかしいと思い隠れて様子を見ていると、座敷牢の畳の下から、仁平が出てきたのだ。しかも、返り血に顔を染めた姿で。

 

 町で起きている事件の犯人である事は明らかだった。地下に用意した抜け穴からこっそり抜け出し、町に繰り出しては犯行を行っていたのだろう。すぐに矢座家の男達は仁平をどうすべきかを話し合った。その結果、ある一つの結論に達した。

 

 矢座家はこの地で由緒のある家柄であり、この家から人殺しを出す訳にはいかない。幸いな事に、今のところ犯人に繋がるようなものは何もないのだ。このまま人知れず仁平を殺せば、全ては闇の中、丸く収まる。そう結論づけた。

 

 その夜、長男の小次郎を筆頭に、家の男達が数人がかりで仁平の寝込みを襲い、日本刀で切りつけた。


 仁平は切り付けられた腹を押さえながら抵抗の姿勢を見せた。が、多勢に無勢、簡単に男達に取り押さえられてしまった。


 「すまぬ仁平、この家から人殺しを出す事は出来ぬ。許してくれ」


 仁平はその一言で全てを察したようだった。

 ふははははと唸る様な声で嗤った。


 「なんと言う浅ましいやつらだ。そんなにおのれらが大事か?ああそうだ、俺は何人も殺してきた。貴様ら如きにやられるとはな」

 「この外道が!仁平よ、お前はもう矢座家にとって邪魔なのだ。大人しく死んでくれ」


 「家がどうしたというのだ。こんなシケた家などどうでもいいではないか。いいか、俺は鬼だ。鬼になったのだ。


 お前らの事を呪ってやろうぞ。この恨みはお前ら一族が根絶やしになるまで続くからな。精々楽しんで暮らすがいいわ。はは、ハハハ、はははははははは!」


 そう言うと仁平は自らの舌を切り絶命した。まるで狂った様な笑顔を浮かべたまま。


 それから矢座家に産まれる子は生まれつき体が弱く、若くして死んでしまうようになった。運良く大人になることが出来たとしても、仁平と同じ歳になるまでには決まって死んでしまうのだった。


 ******


 ここまでが、スミコが母から聞いた話である。母はその後、記憶の混濁が激しくなり、最後には娘のことも分からないようになった挙句にあっさりと死んでしまった。


 折しも言い伝えの仁平の歳と同じ頃であった。

 

 そして、信二もまた、亡くなった母と同じ歳、そして、仁平と同じ歳に死んだのだ。スミコ自身は何もなかったのだから、迷信だと思っていたのだが。


 それから、矢座家では次の悲劇が起きた。


 信二が亡くなってから三ヶ月後の事。妻の春江が死んだのだ。よく信二と二人で過ごしていたデパートの屋上から飛び降りて。

 

 新築のこの家にはスミコと誠一だけが残った。親に先立たれた誠一が不憫でならなかった。スミコは、私がこの子を守らなければ。私はこの子のために生きよう、そう心に決めたのだった。


 それから暫く経ったある日の事。


 この日は珍しくデパートに買い物に来ていた。誠一に誕生日プレゼントを買ってやる事にしたのだ。まだ小学一年生の幼い孫なのだ、欲しいものは沢山あった。

 

 その帰り道、デパートから自宅までの道のりを歩いていると。


 「ねぇみてお婆ちゃん!あの人かっこいい!ライダーブレイダーみたいだよ」


 スミコはふとそちらに視線を寄せた。


 「どうしたのそうちゃん、何もないじゃないの」

 「何言ってるのお婆ちゃん、ほら、あそこ、刀で敵をやっつけてるよ!」


 ライダーブレイダーは誠一の好きな戦隊モノのヒーローだ。武器の刀で敵を倒す姿を、テレビで何度も誠一と一緒に見ていた。


 スミコは再度其方に視線を送った。


 中年の男が一人、タバコを吸いながら歩いている。なんだ、やっぱり何もないじゃないか。そう思ったとき。


 ぐにゃり。

 歩いていた男の顔が歪んだ気がした。


 ぐにゃり。

 歪んだ顔から目がこぼれ落ちた。まるで卵の黄身だけをそっと掬って落としたようにどろんと。


 ぐにゃり。

 男の顔は三度歪んだ。目の周りは縁取られた様に昏い。鼻は削ぎ落ち、口はだらし無く弛緩している。


 とてもこの世の者とは思えなかった。


 「いやっ…!」

 誠一は…未だに男の方を見ている。

 「み、見ちゃだめよ!せいちゃん!」

 思わず叫び声を上げ誠一の目を覆った。


 「どうしたのお婆ちゃん、大丈夫?」

 再び視線を遣ると男は先ほどと変わらずタバコを吸っているただの中年の男に戻っていた。


 気のせいか。あれはなんだったのか。


 誠一の様子を伺うが、怪訝な顔でスミコを見ているだけだった。よかった。やはり気のせいだ。

 

 しかし、その夜の事。


 スミコは、誠一の傍らで寝ていると、妙な不快感で目が覚めた。体中が熱を持ち脂汗が出ている。


 風邪でも引いたのだろうか。困ったな、誠一に移しては大変だ。そう思いながらスミコは薄く目を開けた。


 すると。


 スミコの枕元に誠一がぼうっと立っていた。


 まるで別人のような表情だった。いや、とても子供とは思えないような凶悪な顔つきをしていた。その目は口は、ニヤニヤとスミコを値踏みするかのように眺めている。


 「ひっ…」


 思わず悲鳴をあげそうになるのを押し殺す。スミコは気づかないふりをして固く目を閉じた。


 起きているのを勘付かれないように誠一に意識を向けると、どうやら何かをぶつぶつと呟いているようだと分かった。寝たふりをしながら必死で聞き耳を立てる。


 何をしゃべっているの?全身の神経を集中して様子を伺うと、徐々に誠一が何を言っているのかが分かってきた。


 「俺が殺したのじゃ、ひゃひゃひゃ」

 嗄れた声だ。まるで老人のような声。


 「鬼じゃ、鬼が産まれたのじゃ」

 鬼…鬼とは…。


 まさか。でも…。


 どれぐらいそうしていただろうか。ふと気がつくと、いつものように可愛い寝息が聞こえてきた。ゆっくりと目を開けると、いつもの様に誠一は隣で眠りについていた。


 一体何だったんだ…。


 鬼…と言っていたが。


 それからというもの、誠一の様子がおかしいと思うことが増えた。


******


 ある日のこと。誠一は家に帰ってくるなり、どこかに遊びに出掛けていった。友達と遊んでいるのだろう、と帰宅するのを待っていたが中々帰ってこない。もう季節は冬になっているし、外は寒い。風邪を引いたら大変だと心配した。


 辺りも暗くなってきたので流石に探しにいくことにした。すると、いつも遊んでいる公園で一人うずくまっている誠一を見つけた。


 「せいちゃん、何してるの?」

 とふいに声をかける。誠一は夢中になっているのか、こちらに気づいていないようだった。


 肩越しに誠一の手元を見ると、何やら石を手に持ち地面に打ちつけているようだった。何をしているんだろう、と足元の地面を見ると無数の虫の死骸が転がっていた。


 誠一は捕まえた虫をバラバラになるまで石で叩きつけていたのだった。


 「ちょっと…せいちゃん!何やってるの!」

 「あ、お婆ちゃん、ごめんごめん、つい夢中になっちゃって」


 「な、なんでこんな事…」

 「わかったよ、もう帰るよ。あっ、ねえねえ今日のご飯なにー?」

 あまりにも悪びれもしない態度に腹が立ったが、結局強くは言えずに家に帰ることになった。

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