漂着神
斐古
漂着神
「おじいちゃん、今夜は嵐がくるって」
祖父に手を引かれた孫は、突然そうこぼした。
「嵐……?」
首を傾げる祖父に、やっと読み書きができるようになったばかりの幼い孫は、目の前の海を指す。
海は穏やかで、白波一つ立っていない。
「……どうして嵐が来るって分かる?」
祖父の疑問に孫は答えず、只々海を見つめては「嵐が来る」、「今夜は家にいてはいけない」と、独り言のように何度も何度も繰り返す。
普段の祖父ならば、孫の言葉を聞き流しては、信じなかっただろう。
しかし、その日はどうしてだか……祖父は孫の言葉を信じることにした。
その晩、祖父は孫を連れて古い友人の家に泊まることにした。
孫は既に床につき、祖父は友人と酒を交わしていた。
友人との昔話に花を咲かせて盛り上がっていると、ドアが『カタカタ……』と鳴り始める。
雨も降りだしたと思えば、たちまち豪雨へと変わる。
「お前さん、今夜はあの家に居なくて良かったな」
友人はそう呟いて、湯のみに酒を注ぐ。
祖父が漁師をしているということもあり、祖父と孫は海辺の小家で暮らしていた。
海が
何十年も漁をし、その小屋で過ごしていた祖父は、その度に「どんなに海が荒れていたって、波はココまで来やしない」、「だから心配ない」と、孫をあやしていた。
そんな祖父だったが……どうしてだかこの日は、「孫の忠告を聞かなければ」と思ったのだ。
その証拠に、何十年も海辺で暮らし、漁をしてきた祖父。
これは『漁師の勘』と言うやつなのだろうか。いつの間にか身についたそれは、海が荒れる時、いつだって前兆などに気づいていた。
だが、そんな祖父がこの嵐には全く気づかなかったのだ。
次第に雨風は強くなり、家が軋む音がする。まるで家中を、外から誰かに叩かれているようだ。
そう錯覚さえしてしまうほど、この嵐はどこか――――。
「気味が悪い……」
祖父はそう呟くと、酒を一気に呷る。
結局、孫の言った通り。この日は一晩中、嵐だった。
□□□□□□□□
翌日。
昨夜の嵐が嘘のように、穏やかな天気だった。
友人の家をあとにした祖父は、孫を連れて小屋へと帰った。
……しかし、小屋があるはずの海辺には、何も建ってはいない。
あるのは、浜辺に打ち上げられた魚や流木。それと無惨に崩れ去った、小屋の残骸だった。
驚いた祖父は、思わず孫を見下ろす。
――――もしあの時、孫が「嵐が来る」と言わなければ……。
――――もし祖父が、その言葉を信じずに、友人の家に行かなければ……。
今頃祖父と孫は、瓦礫に押しつぶされているか……あるいは今頃、海をさ迷っていたことだろう。
祖父は孫に、もう一度聞いてみることにした。
「お前……どうして嵐が来るって分かった?」
祖父の疑問に、孫は何かを探すように一時辺りを見回すと、祖父の手を引く。
祖父は手を引かれるまま、孫のあとを黙ってついて行く。
浜辺の終わりまで来た孫は、いくつも集まった一つの流木の塊の前で止まった。
祖父の手を離した孫は、その小さな手で流木を掴むと、どうにかどかそうと試みる。
見かねた祖父が、孫の手伝いをする。
すると、祖父の手のひらより少し大きいくらいの、人の様な形をした流木が現れた。
孫がその流木を指す。
「おじいちゃん、ここから声がしたの」
そう言って流木に手を伸ばそうとする孫を、祖父はそっと制する。しゃがみ込んだ祖父は、両手を合わせて拝み始める。
首を傾げる孫に、祖父は目を伏せながら言う。
「これはもしかしたら、海の神様かもしれん。お前もじいちゃんの真似をせぇ」
孫は祖父に言われるがまま、流木の前で一緒に両手を合わせる。
その後、祖父はその流木を持って近くの神社に参拝した。
そして浜辺の近くの洞窟に、小さな祠を作り、流木を祀ったのだった――――。
そして月日は流れ――――。
幼かった孫は成長し、歳を重ね、今では祖父と同じ歳になり、彼にも孫ができたのだった。
その孫を連れて、祖父と見つけた流木の祀られた祠へと参拝しながら、その話をする。
「私は全然覚えてはいないのだけどね。私の祖父が……お前のひいひいおじいさんが言ってたんだよ」
参拝し終え、立ち上がって孫の手を引こうと掴む。
……しかし孫は、祠から一向に動こうとしない。
疑問に思った祖父は、孫へと視線を向ける。
すると孫は、祠をジッと見ながらこう口にした。
「おじいちゃん、嵐が来るよ」
漂着神 斐古 @biko_ayato
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