第7話 それぞれの思惑

 風が吹いているわけでもないのに枝が揺れて、太い根が蛇のようにうごめく『樹』。

 やがてそれは、ぎし、みし、ときしむような音を立てた。


「いやいや、こんなのでも喜んでもらえてよかった」


 独り言のように答えてイーリスは笑い、空になった超級霊薬エリクシャーの薬瓶を懐にしまった。純粋な生命力と魔力の塊のようなこの霊薬れいやくは人間にとって最上級の希少薬レアアイテムであるが、魔物にとっても何よりのご馳走であり、栄養源となる。


「本当に助かったよ。君たち『樹人トレント』がいてくれなかったらユーナを失っていたかもしれない。それに昏睡したユーナを守ってくれたんだよね。ありがとう」


 イーリスがそう言うと、『樹』はまた軋むような『声』で返事する。

 『樹人トレント』とは樹木に似た魔物で、根を足のように動かして移動することができるが、普段は動かずにじっと普通の樹に擬態している。魔物の中でも知力と魔力が高く、人間の言葉を理解し、人間と同じように魔法を操る個体も確認されているが、そもそも生息数が少ないので生態を含め未知の部分が多い。

 イーリスは薬草採取のために森を歩き回っているうちに彼らと出会い、彼らの言語を学んだことで会話することができるのだ。

 そのおかげでイーリスは『森に住む隣人』として認められていて、その家族であるユリアーナがはんで昏睡状態になったとき、他の魔物に襲われないよう彼女を幹に引き寄せて守ってくれていた。飛んでやってきたイーリスにユリアーナの居場所を知らせるため、一瞬だけ擬態を解いてわざと魔物除けの鈴を鳴らしたのも彼だった。超級霊薬エリクシャーはそのお礼の品というわけである。

 もちろんこのように森の魔物と心を通わせるなどという行為は、おとぎ話以上にであることは言うまでもないだろう。


「じゃ、帰るね。おやすみ」


 ひらひらと手を振って、イーリスは帰路についた。


     ◇


 『ムラサキヤマキジタケ』の胞子に対する治療薬に関して、イーリスはユリアーナに言わなかったことがある。

 このキノコが非常に珍しく、魔物の棲む森にしか存在しないのは、栄養源が魔力であるという点と、キノコになるまでに必要な魔力を吸収できる対象が魔物しかいないからだと言われている。

 その中でも特に高い魔力を持ち、擬態で敵から襲われることが少ない『樹人トレント』に寄生することで安定して成長することができるとされ、この森では大抵の『樹人トレント』の幹に『ムラサキヤマキジタケ』が生えている。

 もちろん寄生されているあいだも魔力を吸われ続けるのだが、他の魔物とは違って『樹人トレント』が魔力を吸いつくされて死んでしまうことはない。それは元々の魔力量キャパシティが多いということもあるが、長年寄生されてきて『樹人トレント』自身がを身につけたからではないかと推測された。

 イーリスはそこに目をつけた。

 長い時間をかけて『樹人トレント』と交渉して研究し、樹液にその作用があると突き止めると、それを利用した『ムラサキヤマキジタケ』の胞子の吸魔作用を止める薬(泣くほど不味まずい)を作り上げた。

 そのことをユリアーナに秘密にしているのは、原材料が魔物の体液であるということを受け入れられるかどうかがわからないことと、薬の作製に必要な他の素材が希少品ばかりでイーリスの年収五年分くらいの金額になるからだ。特に金額のことを知れば、ユリアーナは酷く自分を責めることがわかりきっているので話さないことにしたのだ。


     ◇


 帰宅したイーリスは、玄関のドアを後ろ手に閉めると同時に「あぁ……」と疲れ切った声を漏らした。過度な魔力放出と数度に渡る魔力欠乏を短時間で繰り返した反動が一気に疲労となって、イーリスの華奢きゃしゃで小柄な身体を覆い尽くしたのだ。

 何かやらなきゃいけないことがあった気がするけど、このままベッドに飛び込んで寝よう。

 そう思い、実行しようとして――


「……?」


 ほのかに漂う、温かで少し香ばしいような匂いに気がついた。それが食べ物の匂いだとわかると、途端にイーリスの身体が空腹を訴えるように「くぅ」と可愛らしい声を上げる。

 考えてみれば、昼食を取ってから日付が変わって久しい深夜である今まで何も口にしていなかった。そうと気づくとますます空腹感が増すようだった。

 自室に向かっていた足をキッチンへ方向転換。そこから漏れる明かりを目にして、そういえばキッチンのランタンに火を入れたっけ、と思いながら部屋を覗き込む。


「ユーナ……?」

「あ……」


 イーリスの声に振り向いたのは、部屋で眠っていたはずのユリアーナだった。火にかけた鍋でスープらしきものを温めているらしく、ゆっくりとそれをかき混ぜている。


「何してるの、ユーナ。まだ魔力が半分も回復してないんだから寝てなきゃダメでしょ」

「そうなのですけれど……おなかが空いてしまって、眠れなくて。お昼ごはんも食べられなかったものですから」


 困ったように眉を寄せて、ふふっ、とおかしそうに笑う。

 イーリスはそんなユリアーナに目を細め、頬を緩ませた。


「……そっか。ならしょうがないね」

「イーリスはどこかに行っていたんですか?」

「ん……まあ、湖まで。ユーナのバッグを取りに。薬草が入ってるし、ナイフも回収しないと不便でしょ」

「そうでしたか。すみません、こんな夜中にわざわざ……」

「気にしないで。それよりユーナ、スープは余ってる? わたしにもちょうだい」

「ええ。もちろんです。一緒に食べましょう」


 ユリアーナは声を弾ませ、手にしていた皿に目一杯スープと具を盛り付けてスプーンを添え、テーブルに置いた。

 どうやら湖に行った本当の目的には気づかれていないと内心で安堵し、イーリスは席に着いた。その向かいに同じくスープを盛った皿を置き、ユリアーナも着席する。


「いただきます。……わ、美味しい。いい味だよ、ユーナ」

「急ごしらえですけれどね。ありがとうございます」


 即席というにはよく煮えた野菜をぽいぽいと口に放り込み、イーリスは温かく美味しい食事に相好そうごうを崩した。使われている薬草のおかげで、空腹だけでなく疲労も消し飛ぶような、ユリアーナの愛情と滋味にあふれる気遣いのこもったスープだった。

 ユリアーナはおなかが空いたから作ったと言ったが、これはどう見てもイーリスに食べさせようと考えて作られたものだ。味付けが明らかにイーリスの好みに合わされているのですぐにわかる。夕食も取らずに薬を作り、ずっとそばで見守ってくれていたことへのお礼の一品だった。

 ただ、初めからそうだと言えばイーリスは料理するより休めと返すだろう。だからユリアーナは自分のために作ったということにしたのだ。

 その心遣いを察したイーリスは、何も言わずそれを受けた。よくできた伴侶ヨメだと内心で嬉しさを爆発させながら。


「…………」


 だがユリアーナはそれだけでは足りないと思っていた。てんこうで常識外れで、だけど誰よりも優しい主人に対するお返しがこの程度では不十分だ、と。

 もう少しだけ必要がある。

 そう考え、ユリアーナは意を決して問いかけた。


「……イーリス、一ついいですか?」

「ん? なんなりとどうぞ」

「あなたからこけ水草みずくさのようなにおいがしますけれど、湖に落ちたんですか?」

「あー……そういえば、飛ばされた速度のまま地面に落ちたら大惨事になりそうだからって、湖にダイブしたんだった。それから着替えてないし……ごめん、臭かったよね」


 腕や服をいで、申し訳なさそうにイーリスは頭を下げる。

 ユリアーナはふるふると首を振って、


「そういう私も昼間に汗をかいて、そのままなのです。キノコの胞子も体についているかもしれません。ですので、食べ終えたらそれを流そうと思うのですが――」


 ふ、と頬を赤らめ、しかしまっすぐにイーリスを見つめて。


「一緒にお風呂、入りましょう」

「…………!」


 無論、イーリスがこの提案を拒否するはずがなかった。





       完

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眠り姫を起こす方法(二回目) 南村知深 @tomo_mina

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