第7話 それぞれの思惑
風が吹いているわけでもないのに枝が揺れて、太い根が蛇のようにうごめく『樹』。
やがてそれは、ぎし、みし、と
「いやいや、こんなのでも喜んでもらえてよかった」
独り言のように答えてイーリスは笑い、空になった
「本当に助かったよ。君たち『
イーリスがそう言うと、『樹』はまた軋むような『声』で返事する。
『
イーリスは薬草採取のために森を歩き回っているうちに彼らと出会い、彼らの言語を学んだことで会話することができるのだ。
そのおかげでイーリスは『森に住む隣人』として認められていて、その家族であるユリアーナが
もちろんこのように森の魔物と心を通わせるなどという行為は、おとぎ話以上に常識外れであることは言うまでもないだろう。
「じゃ、帰るね。おやすみ」
ひらひらと手を振って、イーリスは帰路についた。
◇
『ムラサキヤマキジタケ』の胞子に対する治療薬に関して、イーリスはユリアーナに言わなかったことがある。
このキノコが非常に珍しく、魔物の棲む森にしか存在しないのは、栄養源が魔力であるという点と、キノコになるまでに必要な魔力を吸収できる対象が魔物しかいないからだと言われている。
その中でも特に高い魔力を持ち、擬態で敵から襲われることが少ない『
もちろん寄生されているあいだも魔力を吸われ続けるのだが、他の魔物とは違って『
イーリスはそこに目をつけた。
長い時間をかけて『
そのことをユリアーナに秘密にしているのは、原材料が魔物の体液であるということを受け入れられるかどうかがわからないことと、薬の作製に必要な他の素材が希少品ばかりでイーリスの年収五年分くらいの金額になるからだ。特に金額のことを知れば、ユリアーナは酷く自分を責めることがわかりきっているので話さないことにしたのだ。
◇
帰宅したイーリスは、玄関のドアを後ろ手に閉めると同時に「あぁ……」と疲れ切った声を漏らした。過度な魔力放出と数度に渡る魔力欠乏を短時間で繰り返した反動が一気に疲労となって、イーリスの
何かやらなきゃいけないことがあった気がするけど、このままベッドに飛び込んで寝よう。
そう思い、実行しようとして――
「……?」
ほのかに漂う、温かで少し香ばしいような匂いに気がついた。それが食べ物の匂いだとわかると、途端にイーリスの身体が空腹を訴えるように「くぅ」と可愛らしい声を上げる。
考えてみれば、昼食を取ってから日付が変わって久しい深夜である今まで何も口にしていなかった。そうと気づくとますます空腹感が増すようだった。
自室に向かっていた足をキッチンへ方向転換。そこから漏れる明かりを目にして、そういえばキッチンのランタンに火を入れたっけ、と思いながら部屋を覗き込む。
「ユーナ……?」
「あ……」
イーリスの声に振り向いたのは、部屋で眠っていたはずのユリアーナだった。火にかけた鍋でスープらしきものを温めているらしく、ゆっくりとそれをかき混ぜている。
「何してるの、ユーナ。まだ魔力が半分も回復してないんだから寝てなきゃダメでしょ」
「そうなのですけれど……おなかが空いてしまって、眠れなくて。お昼ごはんも食べられなかったものですから」
困ったように眉を寄せて、ふふっ、とおかしそうに笑う。
イーリスはそんなユリアーナに目を細め、頬を緩ませた。
「……そっか。ならしょうがないね」
「イーリスはどこかに行っていたんですか?」
「ん……まあ、湖まで。ユーナのバッグを取りに。薬草が入ってるし、ナイフも回収しないと不便でしょ」
「そうでしたか。すみません、こんな夜中にわざわざ……」
「気にしないで。それよりユーナ、スープは余ってる? わたしにもちょうだい」
「ええ。もちろんです。一緒に食べましょう」
ユリアーナは声を弾ませ、手にしていた皿に目一杯スープと具を盛り付けてスプーンを添え、テーブルに置いた。
どうやら湖に行った本当の目的には気づかれていないと内心で安堵し、イーリスは席に着いた。その向かいに同じくスープを盛った皿を置き、ユリアーナも着席する。
「いただきます。……わ、美味しい。いい味だよ、ユーナ」
「急ごしらえですけれどね。ありがとうございます」
即席というにはよく煮えた野菜をぽいぽいと口に放り込み、イーリスは温かく美味しい食事に
ユリアーナはおなかが空いたから作ったと言ったが、これはどう見てもイーリスに食べさせようと考えて作られたものだ。味付けが明らかにイーリスの好みに合わされているのですぐにわかる。夕食も取らずに薬を作り、ずっとそばで見守ってくれていたことへのお礼の一品だった。
ただ、初めからそうだと言えばイーリスは料理するより休めと返すだろう。だからユリアーナは自分のために作ったということにしたのだ。
その心遣いを察したイーリスは、何も言わずそれを受けた。よくできた
「…………」
だがユリアーナはそれだけでは足りないと思っていた。
もう少しだけ思い切る必要がある。
そう考え、ユリアーナは意を決して問いかけた。
「……イーリス、一ついいですか?」
「ん? なんなりとどうぞ」
「あなたから
「あー……そういえば、飛ばされた速度のまま地面に落ちたら大惨事になりそうだからって、湖にダイブしたんだった。それから着替えてないし……ごめん、臭かったよね」
腕や服を
ユリアーナはふるふると首を振って、
「そういう私も昼間に汗をかいて、そのままなのです。キノコの胞子も体についているかもしれません。ですので、食べ終えたらそれを流そうと思うのですが――」
ふ、と頬を赤らめ、しかしまっすぐにイーリスを見つめて。
「一緒にお風呂、入りましょう」
「…………!」
無論、イーリスがこの提案を拒否するはずがなかった。
完
眠り姫を起こす方法(二回目) 南村知深 @tomo_mina
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