第6話 常識の範囲外

 この世界では禁呪に近く使用不可能と言われる『飛行魔法』ではなく、ユリアーナが日常的に使用する魔法の術式改変で空を飛んだというイーリス。

 むろん、そうですかと信じられるものではない。


「イーリスなら浮遊魔法を術式改変して高く浮かび上がることはできると思いますけれど……浮かせた自分自身を風魔法で弾き飛ばしたとはどういうことです?」

「言葉通りの意味だよ。浮遊魔法は浮かび上がるだけだから、他に推進力になるものがないと移動はできない。そのために自分に向かって超圧縮した風魔法を使い、爆風に乗って高速移動したというわけ。まあ、この方法だと途中で進行方向を変えられないって欠点はあるけどね」

「…………」

「そもそも『飛行魔法』が実現不可能なのは、『空を自由に飛びたいな』なんてゼイタクな願望を叶えようとするからみつ魔力操作コントロールが必要なのであって、浮かんで弾き飛ばされるだけの移動なら可能なんだよ」

「いえ、私が言っているのはそうではなく、イーリスは浮遊魔法を使いながら風魔法を使った……つまり『のですか、ということです」


 自分でもおかしなことを言っていると思いつつも、ユリアーナはそう問いかけた。

 じゅうえいしょう――簡単に言えば同時に二つの魔法を使うことを指すが、基本的に不可能であるというのがこの世界の常識だった。過去に幾多の魔道士が研究し、実験を繰り返したが、成功例はいまだ一つもない。

 もしここでイーリスがうなずけば、人類史上で初めての成功例となる。また、常識が通用しないイーリスならやってのけるのではないかと思わずにはいられなかった。

 しかし――


「さすがに二重詠唱それは無理」


 あっさりと否定した。


「術式改変は便だけどじゃない。同時に二つの魔法を行使するのは不可能だよ。少なくとも人間の魔力量キャパシティと処理能力では一万年かかっても無理だろうね」

「ですが、実際にイーリスはそうやって空を飛んだのでしょう?」

「違うよ。わたしは高く浮かび上がったところでいったん浮遊を解いて、落下しながら風魔法で自分を斜め上方向に弾き飛ばしてから改めて浮遊魔法をかけ直しただけ。二つの魔法を高速詠唱で続けて使ったけど、同時に発動したわけじゃない」

「……なんという無茶を……。風魔法が間に合わなければ森に落ちて大怪我をしていたかもしれないんですよ」

「そんなこと考えてる余裕はなかった。ユーナを早く助けたいって、ただそれしかなかったから。もちろん自分のやったことに後悔はないよ」

「イーリス……あなたという人は……」


 言葉に詰まったユリアーナの喉が、くぅ、と鳴る。大切にされていることが嬉しいと思う気持ちと、無茶なことをしないで欲しいという心配、そうさせてしまった自分に対する怒り、それらが同時に湧き上がって感情がごちゃ混ぜになり、えつが漏れそうになった。それを無理に抑え込んだせいで妙な音を立ててしまったのだ。

 イーリスにそれを聞かれてしまったと思ったユリアーナは、慌ててブランケットを頭から被ってもぐりこんだ。


「ユーナ?」

「すみません。もう少し休ませていただきます」

「そうだね。まだ魔力は回復してないだろうし、ゆっくり眠るといいよ。……あ、でも、その前にこの薬を飲んでおいて」

「薬……?」


 ブランケットの隙間からイーリスの手にある乳白色の液体が入った小さなグラスを見つめ、ユリアーナはいぶかしげな声を上げる。目覚めてから部屋に漂っていた薬草の匂いの元はそれだった。


「何の薬ですか?」

「簡単に言うと『ムラサキヤマキジタケ』の胞子が魔力を吸えなくする薬。魔力が供給されなければ胞子は枯れてしまって、そのうち体外に排出されるから」

「……? 先ほど、薬も治療法もないとおっしゃいませんでしたか?」

「ないとって言ったけど、


 ふふん、と不敵に笑んで、イーリスは怪訝そうなユリアーナを見つめる。

 その表情でユリアーナは、『あ、これ常識外れなやつだ』となんとなく悟ってしまった。理解できそうにない理論や方法で創られた薬なのだろうと。


「飲んでも大丈夫なんですよね……?」

「わたしがユーナの毒になるようなものを飲ませるわけないでしょ。というか、すでに一回飲ませてるし。飲ませたからユーナが目覚めたわけで」

「えぇ……? 眠っているあいだに、ですか? どうやって……?」

「……言わせるの? を?」

「あぁ……」


 思わせぶりなイーリスの態度と言葉で、ユリアーナは自分の頬がかあっと熱くなるのを自覚した。彼女の人生でのことなので察したらしい。


「多分、一回で効果は足りてると思うけど、念のためにね」

「わかりました」


 差し出されたグラスを受け取り、改めて乳白色の液体薬をまじまじと観察してから、ユリアーナはそれを口に含んだ。

 途端に襲い来る、未知の味とにおい。


「っっっっッ⁉」


 漂う匂いからは想像がつかないほどの生臭さに猛烈な吐き気を覚える。しかし吐き出すわけにはいかないと必死に抑え、全身全霊を賭して薬を飲み下した。吸い込む空気すら苦く生臭い気がして、ユリアーナはしばらく呼吸することをやめたいと心底思った。

 そんな彼女を見て、うっかりしていた、と苦笑しつつイーリスは言う。


「この薬、めちゃくちゃ不味まずいんだよ。わたしもさっき死ぬかと思った」

「先に言っておいてくださいっ!」


 さすがのユリアーナも我慢できず、泣きながら声を荒げてしまった。



 薬を飲んで眠っているユリアーナを寝室に残し、イーリスは家を出た。

 外はもう完全な闇に落ちていて、玄関先に灯るランタンの光が頼りなく感じるほどの黒一色だった。

 そんな中に紛れるように、イーリスは真っ黒なマントとフードをかぶった姿で無造作に歩いて行く。歩調に合わせてかすかに響く魔物除けの鈴と、思い出したように吹く風に揺れる葉擦れの音以外に聞こえるものはない。

 向かう先は湖だった。ユリアーナを連れ帰るときは彼女が持ってきた荷物を持つ余裕がなかったため、それを回収するのが目的の一つだ。

 やがて木々の間に月明かりが注ぐみなが見え始め、湖にたどり着いた。見上げた夜空にはぽっかりと真ん丸の月が浮かんでおり、ランタンがなくとも足元が見えるくらいの明るさがあった。


「……お、あったあった」


 ユリアーナのバッグらしき影を見つけ、とことことそちらに向かう。薬草の入ったバッグ、採取用のナイフ、倒れたマグカップ、空っぽの弁当箱が落ちている。弁当自体は魔物か森にむ小動物に食べられたらしく、見当たらなかった。

 イーリスはそれらを回収すると、肩にバッグをかけて周囲を見回した。その視線が一点に止まり、そちらに歩き出す。


「ありがとね、ユーナを助けてくれて。これはお礼」


 一本の常緑樹――ユリアーナがもたれかかって眠っていた樹――に話しかけ、イーリスは懐から取り出した瓶のふたを開けた。そしてふわりと澄んだこうを放つうすももいろの液体を樹の根本に振りく。

 次の瞬間、その樹の枝がざわざわと揺れ、根がごそごそと動き始めた。

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