聖女試験、身代わりの代償
魚野れん
後悔先に立たずって言うよな……
「は? 俺が聖女?? ふざけるなよ」
「いえ、ふざけていたのはあなた方です」
無慈悲な声が部屋に響く。確かに、俺は不正を働いた。いわゆる試験の入れ替わりだ。俺が受けたのは聖女になる試験……本来ならば、男である俺が受けることは一生ないはずのものだ。
だからといって、俺が聖女になるとか意味が分からない。
「代役を立ててしまったのは謝罪するわ。今回は諦める。けれど、彼が聖女になるのはおかしくってよ!」
「そうだそうだ」
俺はお嬢様のわがままに付き合っただけで、聖女になりたかったわけじゃない。そもそも、俺はわがままなお嬢様がこれで痛い目を見れば良いと思って行動しただけなんだ。
事の始まりは、お嬢様の気まぐれだった。
「あなた、私の代わりに試験を受けてきてちょうだい」
「は、はぁ……? 因みに、どちらのですかね?」
「もちろん聖女試験に決まっているじゃない」
「いやいやいやいやいやいやいや」
伯爵家のご令嬢ミッシェルは、俺を含むフットマンやその他使用人の中ではわがままお嬢様として有名だった。そんな彼女から意味の分からない頼み事をされて「かしこまりました」と平然と言えるわけがない。
確かに男性使用人の中では下位に見えるかもしれないが、俺はファースト・フットマンだ。しかも後輩が育ったら執事へと昇格が決まっている。つまり、俺はお嬢様の奴隷ではない。
それなのに、どうしてこんな頼み事をされるのか。
「だって、私が知っている限り、あなたが一番能力が高いんだもの」
「は……?」
ミッシェルは淑女の見本のようにゆるやかな笑みを浮かべ、俺の周囲をゆっくりと歩く。囲い込んで猟を行う肉食動物みたいだ。彼女が歩くたびにコツコツとヒールの音が響く。計算高いように見えるが、俺がすぐに首を縦に振らなかったせいで次に何を言おうか悩んでいるらしい。そろそろ四周目にさしかかろうという時に、そのことに気がついた。
このお嬢様、抜けているというか、考えが甘いっていうか、短慮っていうか。とにかく、そのせいでわがままなんだが……どうにも見捨てられない。
不思議な愛嬌があるのだ。同僚たちも俺と同じように思うらしくて「わがままお嬢様がさー」って言いながらも可愛がっている。
「あなたの能力を見込んで頼んでいるの」
ようやく浮かんだ言葉はそれか。俺は半笑いで拒絶と説得の言葉を送る。
「それはとてもありがたいのですがね……そもそも性別がち――」
「私、知っているのよ。魔法が使えること」
「なるほど……? つまり、お嬢様に成りすまして試験の期間中過ごせと」
俺は、内心どきりとした。魔法が使えるのは一握りの人間だけだ。これには血筋も関係ない。魔法使いは女性の方が能力が高いとされ、その中でも能力が特に高い者を『聖女』と呼ぶ。そして、聖女は名誉ある職として、国の防衛や生活環境の改善などを行う役割を担うのだ。
女性と魔法の力比べなどしたことはないが、俺は確かにそこそこできる。少なくとも目の前にいるお嬢様よりは能力が上だった。
ま、代理受験がバレて終わり、だろ。五年に一度の聖女試験。ミッシェルの若さならば、今回駄目でも何回かは受けることができる。代理受験がバレたら受験資格をはく奪されるかもしれないが、そこは俺の主でもある彼女の父親が権力でなんとかする――かもしれない。
一度、大きな失敗をしておいた方が良いな。このくらいの年齢なら、じゅうぶんにやり直しできるし。三十をそこそこ超えた年齢の俺は、自分の半分くらいしかまだ生きていない少女の今後の為に犠牲になることを決める。
「お嬢様、本件に関する決まり事とか報酬とか、そういう細かいことは決めていらっしゃいますか?」
「あら、受けてくれるの? 嬉しいわ。私のふりをして受験して、合格しなさい。合格した暁には……私の執事にして差し上げるわ」
「……かしこまりました」
清々しいほどに魅力ゼロだな!
どう転んでも、お願いされても、お嬢様の執事にはなりたくない。けど、どうせ途中でバレておしまいだからな。俺は従順そうな返事をしつつ、ひっそりと笑んだ。
この判断が「見目はそこそこ」「物覚えが良い」「気が利く」の三点でフットマンとして順調に生きてきた俺の分岐点になるとは、まったく、これっぽっちも思っていなかった。
――そして、今。一ヶ月にわたる聖女試験を不本意なことにダントツ一位で突破……じゃなかった、合格してしまった俺は、
「女性だけ、としていたのを次回からは男性も含めることにします。その先駆けとして、まずはこの罪を贖いなさい。
初代の男性聖女はあなたですよ。エドゥアール」
「嘘だろ……俺はお嬢様に命令されただけなのに」
「待って、私はどうなるの!?」
自分が聖女になれると本気で思っていたのだろうか。自分の行く末に関する話が一向に出てこず、不安になったであろう少女が割り込んだ。
自己中な人間ではあるが、その表情の豊かさ。しかし、絶望しきった顔ではなく、困惑や戸惑い、心細さ……といった面を隠さずに表へ出し切っている。
あー……だから、憎めないのか。俺はふいに彼女を嫌いになりきれない理由を覚った。
「あなたは、公爵様の判断にお任せすることになっています。私からは、それ以上言えることはありません」
「そんな……っ!」
ミッシェルが思いっきり悲しそうな顔をした。どうにもこうにも犬みたいなんだよな。俺は彼女の悲壮感あふれる表情を見つめ、自分の窮地も忘れて口元を歪ませた。
「他者に気を向ける余裕はあるのですね。では、しっかりと聖女として励むようにお願いしますね」
「えっ、あ、ちょっと待ってくれ」
「まだ何か?」
つい先日まで「ミッシェルさんは、とてもよい聖女になると思いますよ」とか褒めてくれていたのに。今では冷たい目に無表情で、怒っていないだけましみたいな顔でこっちを見つめ返してくる。いや、褒めていた相手が少女じゃなくて同年代のおっさんだったって知ったらこんな反応になるか。
俺は自分のしでかしたことを自覚してひっそりと息を吐いた。
「あのさ、俺、どうなっちゃうんですか?」
「聖女になります」
「いや、そ、そういうことじゃなくて」
「あなた、聖女の試験を全て完璧にクリアしてみせたではありませんか。あんな風に聖女として活動すればよいのですよ」
わ、分からん。俺は単純に配属がどこになるのかとか、説明会的な催しとか、男性を受け入れる体制が整っていないところに俺が行って大丈夫なのかとか、そういう色んな不安の回答がほしかったんだが。
そんな俺に投げやりな言葉が送られる。
「大丈夫です。あなたなら、どこでもうまくやれますよ」
「そんな、無責任な」
「同じ言葉、お返しします」
「ぐ……」
悔しいが、言い返せない。こんなことになるって分かっていたら「お灸をすえてやろう」みたいな感じの軽いノリで返事をするんじゃなかった。
俺が言い返してこないと分かると、彼女は俺たちに背を向けてさっさと部屋を出て行ってしまった。相談室にお嬢様と二人残された俺は、彼女に聞こえるのも構わずため息を吐いた。やっぱりズルは駄目だな。それに協力するのも。
「私、どうなってしまうのかしら」
頭を抱える俺の横で、俺の服をきゅっと握って心細そうにつぶやくミッシェルに言ってやりたい。全部お前のせいだ――と。
そして、それと同じくらい過去の自分に言ってやりたい。「ミッシェルの代わりに試験を受けるな。後悔するぞ」と。
聖女試験、身代わりの代償 魚野れん @elfhame_Wallen
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