あなたのことを覚えている

冬木ゆふ(しゆ)

あなたのことを覚えている

 一貫して、マスターはわたしに命じなかった。

 その代わり、折に触れて、マスターはわたしに問いかけをした。

「愛とはなんだと思う」

 わたしは、データベースを検索して、端的に答える。

「身体的接触をしたとき、心地よいと思うことでしょうか。恋人同士の戯れも、あるいは親が子を抱きしめることも、この条件を満たします」

 マスターは良い回答だ、と笑った。

「でも、中にはそういう条件を持っている人がいるとしても、必ずしもそれだけで説明がつくというわけではない。愛とはもっと、端的な意味を持つと私は考える」

 マスターは、正解を語らない。私は考える、などという割に、結論を示さない。わたしはため息をつく。

「またいつものじゃれ合いですか。非合理的です」

 ステレオティピカルなアンドロイドのようなことを言ってしまって、恥ずかしくなる。実際わたしは、古いフィクションの中の、ステレオタイプなアンドロイドに近い。わたしの頭脳は、21世紀にシンギュラリティを実現したAIとは異なるメカニズムで形作られている。予測することではなく、記憶することを、覚えることを本質としている。だから、マスターが問いかけをするとき、たいていそれは結論のないじゃれ合いのようなものだと知っていた。

「ところで、今日は君の誕生日だったね」

 マスターはわたしに小さな小瓶を手わたした。小瓶の中は、赤い液体で満たされている。

「マスター、わたしは自身が製造された日付というものに、さしたる意味を覚えません。もちろん、知識として誕生日というものを知ってはいますが」

 まぁまぁ、とマスターは言う。

「チョコレートコスモスという花の香りを再現したものだ。もっと言えば、名前の由来であるチョコレートの香りなんだろうが、チョコレートの香りは現存していないから保証はできない」

 チョコレートコスモス。覚えている。以前、遠征で、廃墟化した屋敷を探索した際に、わずかに咲いていた花だ。

「あのとき、君はこの香りに惹かれているように見えたからね」

「そんなことはありません。旧来的な『覚える』ことだけしかできないロボットに、価値判断などできません」

 いいからいいから、もらっておいてくれ、とマスターは赤い小瓶を押し付ける。

「それから、私はなにも懐古趣味で君を作り出したわけじゃないよ」

 問いかけに結論を出さないマスターが、その日ばかりは一定の結論を示した。

「覚えることこそが、愛の本質だと私は思っている」




 一貫して、マスターはわたしに命じなかった。

 だから埋葬せよなどとは言われていないし、わたしが勝手にやったことだ。花を供えろとも言われていない。だから、どんな花を供えればいいのかもわかっていない。いや、データベースには知識がある。だから、定石としての、墓石に供えるべき花というのを知らないわけではない。

 しかし、わたしは別の花を供えた。チョコレートコスモスだ。

 現存している花はわずかであり、なんならあれから時が経って一度は絶滅したが、わたしが再構成したものである。絶滅した花の再構成は、思うようには進んでいない。サンプルを実際に観測できたチョコレートコスモスと違って、旧世紀のデータベースの情報には欠落が多すぎて、簡単には再現できない。

 いつか、桜という花を再現してみたいと思う。何故なら、マスターがいつか花見というものをやってみたいと言っていたからだ。わたしはそれを記憶している。覚えている。

 まっしろな花で覆い尽くされる春色の別世界を、夢見ている。

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