第17話 廊下に響く悲鳴、そして現れる黒幕の影

 王立研究院・軍事区画へと続く暗い廊下。

 黒フードの男二人がもみ合い、ドアを開けるか阻止するかで争う中、アリーシャは静かに杖を構えた。


(自然災害を起こす兵器を“拡散”させる……そんな話が飛び出した以上、見過ごせないわ)


 結界の魔法陣を用意しつつ、状況を見極める。男たちは互いの腕をつかみ合い、低いうめき声を上げている。片方はドアに手を伸ばそうと必死だが、もう片方は必死にそれを食い止めようとしているようだ。


> 「やめろ……このままじゃ、軍に見つかるぞ!」

「うるさい、俺は計画を進める。貴様は黙っていろ……っ!」




 その瞬間――カチリと金属音がした。ドアの施錠が外れ、ひとりの男が押し倒された拍子に身体ごとドアへぶつかる。

 ドアがわずかに開いて中の明かりが漏れ、奥に魔力制御装置らしき機材が見える。


(軍事区画か……まさか、ここにある機材を“破壊”するとか、“持ち出す”つもり?)


 アリーシャは観念し、膝を曲げて走り出る。同時に、“捕縛の糸環”を発動して二人をまとめて拘束しようと狙いを定めた。

 ところが――タイミング悪く、廊下の奥からあわただしい足音が響き、その音を聞いた二人が一気に行動を変えた。


「くそっ……!」

「撤退しろ! 衛兵が来る!」


 男たちは取っ組み合いをやめ、ドアへ向かう者と、逆方向へ走る者で動きが分かれる。短剣を持ったほうは、どうやら“ドアの奥”へ突入を試みている。


「待って……!」


 アリーシャが魔法陣を放とうとしたとき、ふいに横合いからもう一人のフード姿が飛び出し、彼女を押しのけるように体当たりしてきた。

 思わず杖を取り落としかけ、魔法の発動が途切れる。


「ち……!!」


 その隙に、短剣の男はドアの向こうへ姿を消し、もう片方の男も「間に合わない!」と罵声を上げながら反対方向へ駆け出す。

 取り残されたのは、アリーシャと、今ぶつかってきた“第三の黒フード”。しかし、その人物もアリーシャを一瞥すると、すぐに来た道を駆け戻っていった。


(なんなの……! バラバラに行動してる? 内部で意見が割れてるにしても、この混乱は……)


 アリーシャはなんとかバランスを立て直し、落としかけた杖を拾う。廊下の奥で足音が近づく気配――衛兵たちが、今の騒ぎを察知してか駆けつけてくるのだろう。

 一方、短剣の男が消えた軍事区画のドアは、半開きのまま。あちらからは白々しい蛍光灯の光が漏れている。


(どうする? このままじゃ、衛兵が来たら状況を説明する羽目になる。でも、その男を野放しにすれば、何をするか分からない――)


 逡巡は一瞬。アリーシャはドアをくぐり抜け、男を追うことを選んだ。


 



---


 


 軍事区画は、他の研究区画よりも冷たく、無機質な空気が漂っていた。廊下の床は金属製で、一定間隔に扉やセキュリティ装置が並んでいる。

 アリーシャは足音を立てないよう魔力で軽減しながら、短剣の男の姿を探す。先ほどは黒いフードを被っていたはずだが、廊下の先にそれらしき姿は見えない。


(……変ね。完全に姿を消した? こっちの方が入り組んでいるのかしら)


 いくつかの扉に“警告”や“立入禁止”と書かれた札がかかっているが、男がそこへ入った気配はない。

 やがて突き当たりの角を曲がると、広めの実験室と思しきスペースが見えた。ガラス張りの壁越しに、大型の魔力炉や制御装置が配置されているのが分かる。


「まさか、ここで何を……?」


 アリーシャがそっと扉の隙間から覗くと、そこに人影があった。――やはり黒いフードの男だ。だが、フードを脱ぎ捨てるように覆いを外し、何かのパネルに手を伸ばしている。

 若い顔立ちの青年。瞳には焦りが混じり、制御装置のボタンを乱暴に押している。どうやら「装置を起動させようとしている」ようだ。


「ちょっと改造すれば、この装置は暴走させられる……。王都どころか、この国の軍備なんか、ひとたまりも――」




(爆発か、暴走か……!)


 アリーシャは青ざめる。自然災害を誘発するほどではないにしても、これが兵器関連の試作品なら、暴走すれば甚大な被害が出るだろう。

 急いで結界魔法の陣を手に構え、実験室の扉を開け放つ。


「やめなさい……!」


 声を上げ、杖をかざす。男が振り向き、驚いた顔を見せるが、怯む気配はない。


「貴様……外の女か。邪魔をするな!」

「あなた、その装置で何を……? 爆破でも起こして兵器を拡散させようっていうの?」

「煩い!! 俺はただ、世界を混乱に陥れる手筈を進めているだけだ。貴様には分かるまい……っ!」


 青年は短剣を構え、鋭い瞳でアリーシャを睨みつける。その狂気じみた表情に、彼女は強い危険を感じ取った。

 しかし、いま暴走を止めなければ、下手をすればこの研究院ごと壊滅しかねない――それだけは絶対に避けたい。


「……仕方ないわね。捕らえるしかない」


 小声で呟くと、アリーシャは杖先から魔力を放つ。“捕縛の糸環”を展開し、男の下半身を絡め取ろうと狙う。

 だが、男は異様に身軽で、一瞬で跳躍し、天井近くのパイプを掴むようにして回避した。


「くっ……」


 束の間の隙に、男は制御装置のパネルを再度叩き、警告音が鳴り始める。赤いランプが点滅し、機械が低く唸るように作動し始めた。

 アリーシャが焦りを抑えつつ、杖を振ると、今度は“衝矢”という無形の魔弾が男に向けて放たれる。短い呪文だが、確実に命中させられれば押し止める威力がある。


「……っ!」


 しかし、男もまた高い魔力を持っているのか、すんでのところで衝矢を避け、僅かにかすっただけだった。着地して短剣を握り直し、アリーシャに向けて飛びかかる。


「貴様、邪魔をするな!!」


 鋭い短剣の一閃――アリーシャは身をひねり、杖で受け流すように防御する。金属と木の軋む音が響き、しかし魔法強化された杖は折れない。

 手応えに苦痛を感じながらも、アリーシャは必死に踏ん張り、結界の魔法陣を再び展開する。


(これで……捕らえられる!)


 陣が光を放ち、男の身体に糸のような魔力が絡みつこうとする。だが、直前で男は短剣を思い切り振り下ろし、結界の一部を裂くような動きを見せた。

 魔力の糸が破れ、アリーシャは小さく呻く。


「強い……こんなに簡単に破られるなんて……!」


 相手も相当な修練を積んだ魔術剣士かもしれない。アリーシャが冷や汗を感じていると、制御装置の警告音がますます高くなり、装置全体が白い煙を吹き始めた。


ブォォォン……!!




「このままじゃ……爆発か何か、大きな事故になるわ!」


 若い男が笑みを浮かべる。目が狂気で染まっているようだ。


「そうさ! これで研究院の一部でも吹き飛べば、軍の研究は当面混乱する。よし……あとは退散するまで……!」

「どこへ逃げる気……! やらせない……!!」


 アリーシャはひとまず男を振り払い、スッと後退する。機器の暴走を止めるための操作が分からない以上、まずは相手を無力化しなくてはならない。

 一方、男は装置を背にして、出口への道を塞ぐ形で立ちはだかる。“俺が動けなくなるなら、一緒に爆発に巻き込まれろ”と言わんばかりの狂気だ。


「ここで一緒に消えてもらおうか……!」

「……っ、最悪……!」


 激しい緊張が走る。アリーシャは決意を固めて再度結界魔法の構えを取り、「やるしかない……」と覚悟を決めたその瞬間――

 ズバァンッ!という甲高い破裂音が鳴り、男の身体が大きくのけぞった。


「……え?」


 アリーシャは理解が追いつかない。男の胸元に銃創のような穴が開き、黒いフードに赤い染みが広がる。

 倒れ込む男の背後には、人影が立っていた。――あの情報部員、エルンストだ。手には小型の魔銃を握り、硝煙のような臭いが漂っている。


「やれやれ、探索に出たら面白いものを発見したな」

 エルンストは冷笑を浮かべると、足元に倒れた男を見下ろす。「黒フード集団め……どうやら、お前たちの計画は失敗に終わりそうだ」


 アリーシャは息を呑んで、装置から目を移す。男は血を吐きながら苦しそうにうめき、もはや起き上がれそうにない。

 一方、装置の警告音は衰えず、むしろ不穏な振動が床を伝っている。


「ま、まずい……このままじゃ装置が暴走するかも!」

「ふん、なら止めろ。貴様が外から来た厄介な女だな……アリーシャとか言ったか。ミルダ公爵家の代理人だそうだが?」


 エルンストの鋭い視線が突き刺さる。アリーシャは反論の余地もなく唇を噛み、「装置を停止しないとここごと吹き飛ぶ!」と声を上げる。


「分かっているさ。だが、研究所の専門家を呼ぶまで間に合うかどうか……」

「……っ、私がやるわ! 多少、魔力制御なら分かる!」


 言い捨てると、アリーシャは装置のパネルに走り寄る。今にも煙を吹き出さんとする魔力炉が赤熱を帯びている。

 エルンストは唇を歪め、男の遺体(まだ息があるかもしれない)を一瞥してから、銃を構えたまま周囲を睨む。まるで「これ以上邪魔する者がいないか」を確認しているようだ。


(兵器の制御パネル……これかな? どうにか強制停止の術式を入れ込めれば……)


 ごく短い呪文を唱え、アリーシャはパネルに手を当てて魔力を通し、内部回路を一時的にオフラインにする技を試みる。

 パネルの文様が淡く光り、装置の唸りが少しだけ和らぐ感触がある。けれど、まだ暴走を完全には止められない。


「くっ……想像以上に負荷が……!」


 滝のような汗が頬を伝い、頭痛が走る。この装置の制御は複雑で、研究員でなければ専門的な手順が分からないかもしれない。

 後ろでエルンストが舌打ちして近づいてくる。「何をモタモタしている。大丈夫なのか?」


「やってみるしかないわ……黙ってて!」


 思い切って魔力を流し込み、強制停止の術式を強引に上書きする。装置が激しく震え、パネルの文字が乱れたのち――ブツン!――と音を立てて光が消えた。

 同時に炉の赤熱がゆっくり鎮まり、警告音が途切れる。アリーシャは崩れ落ちそうな身体を必死で支え、深く息を吐いた。


(止まった……!)


 達成感と同時に、ぐったりとした脱力が襲う。しかし、後ろでエルンストが銃を収める音が聞こえ、ようやく危機が去ったことを実感した。


「フン、間に合ったようだな。少しはやるじゃないか、貴族のお嬢さんよ」

「……あなた、撃たなければ私が捕らえて情報を得られたかもしれないのに……」

 アリーシャが悔しそうに睨む。黒フードの青年は、背中に弾丸を受けてまだ息があるかどうか――とても話を聞ける状態には見えない。


「悪いが、生かしておくリスクが高すぎる。黒フード集団の一味で、研究所を爆破しようなんて愚行、許せるわけがない」

 エルンストは冷ややかな声で言い放ち、男の死に際を気にする素振りも見せない。殺気と冷酷が混じったその態度に、アリーシャは反発心を感じたが、ここで交戦するのは得策ではない。


「衛兵が来るな……。お前は一緒に来てもらうぞ」

「待って……あの、あなたは情報部の……?」

「そうだ。こんな大事件が起きた以上、公爵家の代理人とやらにも詳しい事情を聞かせてもらう必要がある。無論、研究所の損害対応もな」


 再び魔銃を構えるエルンスト。アリーシャは杖を握りしめ、応戦すべきか迷うが、すでに走ってくる衛兵たちの足音が聞こえる。

 多対一での交戦は避けられない。むしろ、ここで抵抗すると完全に“犯人”扱いされるかもしれない。


(仕方ない……セレスティアさんに助けを求めるしかないわ)


 結局、アリーシャは魔力を下げ、杖を収納する。エルンストがニヤリと口元をゆがめながら、衛兵に手を振って合図を送る。


「すぐに救護班と幹部を呼べ。兵器の暴走は止まったが、犯人が一名重傷だ。……それと、この女も取り調べだ。ミルダ家の代理人かどうか確認した上で、報告してくれ」

「了解しました!」


 衛兵がわらわらと集まり、倒れた黒フードの青年に駆け寄る。アリーシャは腕を軽く押さえられ、身柄を拘束されそうな気配だ。

 この混乱の中でどんな取り調べが待っているのか――そして黒フード集団の仲間は何処へ消えたのか。アリーシャの胸中には警戒と不安が渦巻く。


「……運命は、変えられると思ったのに……」


 そう呟いて、アリーシャは苦い笑みを浮かべた。爆発は免れたが、彼女自身がまさか“捜査対象”になるとは――。

 講演会の最中でありながら、一気に陰謀の闇が吹き荒れる展開。王立研究院の廊下は、兵士たちの声と黒フード男の血の匂いに染まり、まさに“嵐の前”の混乱を迎えたかのようだった。

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時渡りの魔女は、35年後の破滅を変えたい 蒼空 @sometime0428

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