第3話 黎妃のもとへ

「よかった、今日はお留守じゃなかった」


診療所の敷地と庭園を隔てる垣根をひょいと飛び越えて、小蘭は縁側にいた春明先生の隣に腰掛けた。


 薬の原料である葉っぱや木の皮を乾かす作業をしていた先生は、散らかされないよう、さっと近くにあった葉を避ける。


「相変わらず雑ですねえ。

 たまには妃らしく、淑やかに道を通っておいで」


 呆れ顔の先生は、小蘭の乱れた裾を直すと、より分け作業の済んでいない草葉のざるを、彼女の膝にぽんと置いた。


「いやよ、回り道になるもん。直線距離が効率的だわ」

「はいはい、その通りですね。ところで、今日は何のお話ですか?」


「うーん、何ていうか……その……あ、これはキハダ、オウレンに、ヨモギ?」


 小蘭は、渡されたざるの中の薬材を1枚ずつより分けながら、先生に倣って縁側の床に並べてゆく。


「正解です。おお、大分見分けられるようになってきましたね」

「ね、傷に効くのはどれ?特に切り傷とか擦り傷に」


「そうですね、止血効果があるのは、そこのヨモギやゲンノショウコ、ツユクサにツワブキ、なんかですが。

 必要でしたら今すぐ煎じて差し上げますよ?」


「ううん。今すぐにいるんじゃないの。今度、お薬の作り方を教えて?

 彼が戦から戻ってきたら、切り傷や擦り傷がいっぱい出来てるかも知れないし」


「ん、誰が?」


 ふと漏らした独り言に、先生が鋭く反応する。


「あ、何でもない!えーっとこれは、オオバコだったかなぁ」


 慌てて誤魔化す小蘭に、先生がはくすっと微笑んだ。


「正解、オオバコですよ。

 へーえ、あなたからそんな思い遣りの言葉が出るとは。何か、太子と進展でもあったのですか」


「エ、ナンノコト?別に、何もないけど」

「まあ、そういうことにしておきましょうか。

 では本題。今日は何ですか?私に用があるのでしょう」


 全く、春明先生にはどうしてこう鋭いのか。

 春明の問いにバツが悪い思いをしながらも、小蘭は探りを入れてみる。


「……あのさ。先生は後宮でたったひとりのお医者様よね」

「いかにも。それが何か?」

「ということはさ、ここで病気になったり、怪我をした妃はみんな、先生が診てるのよね」


「何を今更。

ま、まさか、体調が悪いとか?いや、小蘭あなたに限って、そんなまさか」


「む、どういう意味よ!

まあ、元気なんだけど。えーっとね、だからその」


 言いあぐねる小蘭に、春明は苦笑した。作業の手を止め、彼女へと向き直る。


「小蘭、かまいませんから単刀直入に言いなさい。あなたに腹芸なんて期待してませんから」

「……」


 何だかバカにされた気がする。憮然としつつも、この人には敵わない。


 小蘭はさっと諦め、即答した。


「黎妃様にお会いしたい」

「黎貴妃様に?」


 春明が、微かに表情を曇らせた。


「それはまた、どういう風の吹き回しで……

 黎貴妃様は、元々宮殿の奥のお住まいから滅多にお出にならないうえに、今は、お身体の調子も思わしくなく……」


「分かってる!

 でも蒼龍は……黎妃様のことを今でもすごく想っていて、でも諦めなくちゃいけなくて……それでも諦めきれなくて、それでずっと苦しんでる。

 知りたいの、黎妃様がどんな方で、今、何を思って生きておられるのか。

 もし先生のいうように、彼女が皇帝に夢中なら、それはそれでいい。私は安心して蒼龍を好きでいられる。

 でも、もしそうじゃなければ……私は……

 お願い、先生。私ちゃんと自分の目で見極めたいの。だから……」


 先生の険しい表情に、小蘭の声はだんだんと萎んだ。

 黎貴妃様は皇帝の第二婦人。身分で言えば、自分とは天と地ほども違う。そんな彼女に面会を取り付けるなんて大それたことは、やはり無理なのかもしれない。

 しょぼくれて肩を落としているところに、先生の呟きが聞こえてきた。


「うーん、そうですねえ。

 側妃とはいえ、貴女だって皇太子の第二妃ですから、普通なら堂々と小蘭妃として謁見すればいいのですが……

今はまずいですね。何しろあなたは“蒼太子ゆかりの妃”だから。

 皇帝は、黎貴妃様に関して蒼太子を一番に警戒しておいでです。

 特に最近は酷い。お年を召して、色恋への執心がすっかり強くなられたのか、黎貴妃様には宦官に女官、私を含めたごくわずかな身の回りの世話人しか近づけないのが実態」


「そんなのってないわ!宝石箱に閉じ込めて、自分だけが眺めるみたいな……

 そんなの、ヒトの扱いじゃない」


「正義感の強いあなたなら、そう思うでしょう。しかし、人の感情、所有欲というのはどうしようもない。それが、大きな権力を持った者であればあるほど、周囲の犠牲は計り知れない」


 小蘭は、無性に腹を立てていた。


 皇帝って奴は、なんて心が狭いんだろう。

 貴妃様のかつての恋人、蒼龍だけならまだしも、その周りの人まで遠ざけるなんて。


 いくら黎妃様が恋敵でも、あまりに酷い。

 ただでさえ長い間閉じ込められて、その上、会える人まで制限されたなら、自分ならばすぐに発狂するだろう。


 でも待てよ?

 そういう理由であれば……


「ねえ先生!私も宦官ってコトにしたらどう?皇帝は、浮気を心配してるんでしょう」


春明は即座に首を振った。


「門付の宦官に身体を調べられます。貴妃の住まう、東宮に入る前。しかも今、そのお役目は貴女の大嫌いな雲流です」

「うえぇ……」


 詰んだ。

 雲流のヤツ、どこまでも自分の邪魔ばかりをする。

かくなる上はこっそりと──


 小蘭の悪だくみを察して、春明が素早く釘を刺す。


「またそんな、蒼太子のような悪い顔をして。

まさか夜中に忍び込んでやろう、とか考えてないですよね。

 今度こそ処刑されますよ、本当に」


「うっ、(ばれた)。それは困るわっ」


 武闘大会の時の蛇蝎だらけの大穴のトラウマを思い出し、小蘭は頭に浮かんだ考えを捨てた。


「うーん、そうですね……あ、あれならいけるかも。ちょっと待っていてくださいよ」


 先生は、床板の上から腰を上げると、すいーっと奥へ引っ込んだ。

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後宮恋歌II 佳乃こはる⭐︎お正月はイン率下がります @watazakiaya

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