第3話 冬の初めの公園で
それからまたすこし経った冬の初めの日、一番日が暮れるのが早い時期の夕方のことだった。
その映画館のあった場所からさらに場末のほうに行ったところに、小さい公園があった。
交差点に突き出たところにあって、三方向が道路、もう一方向が殺風景なビルの壁という公園だ。
なんとか中央公園という名を刻んだプレートは出ていたが、まさに名ばかり、まんなかに大きな木があるだけの、貧相な砂地の広場だった。
私は、その日、ふだんはあまり行かない関係先に立ち寄って、足早に駅に向かっていた。
その駅への帰り道、道は、その公園の横を通り、かつての映画館の前を通って、駅へと続く。
その公園の横を通ったとき、ふいに
「おい、
というだみ声の大声が響いてきた。
私に呼びかけたのでないのは確実だ。
ふと足を止めた私が見ると、その公園にブルーシートを広げて、歳を取った男ばっかり、地べたに座って車座になって酒を飲んでいる。
ああ、こういう人たちか、と思って、私はまた足早に歩き出そうとした。
そのとき、さっきのだみ声の男がいっそう大きい声で言った。
「その菱垣志覚の最高傑作って知ってるか? だれも知らねえんだよ、それが。『やどなしいぬ』っていってな」
その作品名に、私は反射的にその声を立てている歳を取った男を見た。
まちがいない。
頬の全部が赤い赤ら顔で、丸顔。あのころよりは痩せたが、それでもまるっこい体で、垂れ目で二重まぶたが深く刻まれている。身なりはあのころ以上にぼろかったが、靴は新品のスニーカーで、着ているダウンベストも汚れひとつない新品のようだった。
頭にはよれたうえに毛玉だらけの毛糸の帽子をかぶっていたが、ごていねいにも、その上に、赤地に奇妙な幾何学模様のあるバンダナをつけていた。
バンダナは、汚れて、くたびれ果てていたけれど。
あのときのおじさんだ。
おじさんはだみ声で続ける。
「こぉれがな、いい映画なんだ。こいつを見るってえと、おんなじ監督の、最近の気取った映画なんか見てらんねえぜ。おお。そのな、組織を裏切った男がだな、かつての組織のボスを
そこまで言って、そのおじさんは満足そうにチーズ入りちくわを口に押し込み、さらにそこに酒を流しこんでいる。
それは、たしかに、あの退屈で長くて、
寝ていなかったのか!
それとも、寝ていても、ときどき起きて、物語は把握していたのだ。
声をかけたい思いに
でも、私も急いでいたし、何より、そのおじさんたちの輪に私が入るのは、やっぱり悪いという気がして、私は急ぎ足で立ち去った。
それから、あのおじさんがどうなったのか、わからない。
その公園も、その映画館のあったビルも再開発で消滅し、いまはおしゃれな商業施設というものがその場所にできている。
映画館があって、ブルーシートを広げた男たちが地べたに座って酒を飲んでいる、という昔の「場末」の雰囲気なんか、どこにも残っていない。
私はというと、務めていた会社が移転して、その商業施設よりもさらに一区画先にできた再開発ビルの低層階にオフィスが入った。かつて「ふだんはあまり行かない関係先」があったあたりだ。オフィスの席は原則最近はやりの自由席だが、私の仕事ではデスクと本棚がどうしても必要なので、そこの窓際に席を定めている。
定年と、定年後の再雇用期間をあわせても、両手の指で数えられる歳になった。
そのオフィスから、その公園と映画館のあった場所が見えるのは、皮肉なことだろうか?
退職までに、もう一度だけ、そこで映画を熱く語るあのおじさんの姿を見てみたいと思い、私は、一日に何度もオフィスの窓からその場所へと目を走らせる。
でも、その願望がかなうことは、たぶん、もう、ないだろう。
(終)
おやすみ映画館 清瀬 六朗 @r_kiyose
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
名状し難いエッセイ/蜜柑桜
★57 エッセイ・ノンフィクション 完結済 8話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます