モブ令嬢にすらなれないけど幸せにはなります

黒須 夜雨子

第1話 モブ令嬢にすらなれないけど幸せにはなります

さんざめく夜会の音が、波のように引いていく。

その中心に高貴なる黄金がいた。

「ソフィー・マルシャン伯爵令嬢。貴女に結婚を申し込む権利を私にくれないだろうか」

片膝をつき求婚するのは、この国の第五王子であるベルナール殿下だった。

そして向かいに立つのは、この国ならばどこにでもいる茶色の髪と瞳を持ったご令嬢だ。

つい最近まで眼鏡をかけて野暮ったいと言われていた彼女が、彼の手に掛かって愛くるしく変貌している。

彼女は耳まで赤く染めながら周囲を慌てたように見渡し、そうして嫉妬と羨望を隠そうともしない令嬢達の視線に身をすくめれば、ベルナール殿下がその手を取った。

「君は何も気にしなくていい。

どうか私を信じて、先程の問いに答えてもらえないか」

小さく震える姿は小鳥のよう。

固唾を呑んで人々が見守る中、そっと頷けば、令嬢達の悲鳴と戸惑い気味な拍手が鳴り響く。

すごくロマンチックだ。

これが歌劇ならば拍手三昧、スタンディングオベーションだろう。


あの堂々と他の女に求婚したベルナール殿下が、最近婿入りが内定していた私の婚約者で無ければだけれど。


私との婚約が公表される前に既成事実を作ろうとするなんて。

そんなに私が嫌だったなら親を説得すればいいものを。

あの綺麗な顔を腫れあがらせることと、相応の慰謝料で許してあげたのに。

国王夫妻とか王太子夫妻とか第二王子といった面々は、紳士と淑女の笑顔を貼り付けているが絶対お怒りだろうし、ソフィー様のご両親は状況を把握できずに困惑して立ち尽くしているし、今まさに私の横に立っている私の両親は、悪神のような笑みを浮かべたまま茶番を起こしたベルナール殿下を睨んでいる。

何この大惨事。

あ、お父様の持っているグラスが割れた。

待って、まだ怒らないで。こんな場所で抗議なんてしたら、私は何もしてないのに傷物令嬢待ったなしになるじゃない。

王太子殿下が片手を上げれば、察したらしい側近達があっという間にベルナール殿下とソフィー様を回収。ついでにソフィー様のご両親も回収。

陛下も夜会の始まりを宣言したら、王妃殿下と一緒に退散。

夜会は王太子殿下達に任せるといったところかしら。

お母様に引き摺られたお父様の後ろをついていき、先程の芝居じみたプロポーズに色めき立つ人々から離れて壁の花になっていれば、ルロワ伯爵、と胃の辺りを押さえた陛下の侍従の方が声をかけてくる。

あのプロポーズから相応に時間は経っているので状況の確認は終わり、これからどうするかの相談になるのかも。

「ヴァレリー、時間がかかると思うから、貴女は先にお帰りなさい」

お母様が恍惚とした笑みを浮かべている。

さてはベルナール殿下からいくら毟り取れるかの算段で胸が一杯ですね。どうぞ尻の毛まで毟ってやってくださいな。


案内されて去っていく二人を見送って帰ろうかと思っていたら、横に立つのは誰かの影。

見れば、人の悪そうな笑みが通常運転の人物がグラスを二つ持って立っていた。

「何だかややこしいことになっているじゃないか」

「ラザール」

私の横にいたのは幼馴染だ。

互いの領が近いわけでもないが、王都のタウンハウスが隣同士の子爵家の次男坊で同じ年であったことから、ラザールとは幼い頃からよく遊んだ仲だ。

無造作に後ろへと流された黒髪と、夏に入る頃の木々に似たフォレストグリーンの瞳は鋭く、威圧的な印象を与えるだろう。

いわゆるワイルド系で顔も悪くないのだが、王都で絶賛流行っているのは甘めスパダリ系だ。

ということで、特殊性癖対象枠にカテゴライズされたラザールは顔の造作はいいはずなのに、いまいちご令嬢方に人気がない。

曰く、目が怖いそうだ。そう言ったご令嬢が真っ黒で大きい番犬を可愛いと言っているのだから本当に意味がわからないわ。

「婚約を嫌がった馬鹿が愚行を起こしただけじゃない。

そんなにややこしいかしら?」

「相変わらずの毒舌で安心したよ」

こうして話している間にもグラスを二つ空け、軽食とデザートを摘む。

王家主催とあって、どれも見た目も味も最高級なので見たことない料理は食べておきたいの。


程好いぐらいの腹持ちになったので帰ろうかと考えれば、私の持っていたグラスを給仕に返した手が差し出された。

「せっかく夜会に来たのに踊りもせずに帰るつもりか?

そんなわけで、一曲どうだ?」

差し出された手の持ち主は、断られることを考えていないかのように自信満々だ。

断りはしないけれど、気持ちとしては面白くない。

「せっかくのお誘いだけど、口説き文句の一つも言えない方からでは気乗りしないわね」

舌打ちが一つ。

「壁に飾るままには惜しい花よ、どうか貴女に魅了されたこの憐れな男の手を取って頂けないか」

「あら、頑張れば言えるじゃないの。出し惜しみしないでよね」

手を乗せながらも、ツンとしながら言ってやる。

「従弟のシャルルが言っていたのをそのまま拝借した」

踏み出した足でラザールの靴の先を踏んでやれば、涼しい顔をしながらも足先がどかされた。


「それにしてもあの殿下、随分と地味なのを選んだことで。

ああいうのが好みだったのか?」

「最近流行りよね。

道端の原石を見つけて、自分の手で磨き上げるっていうの」

小声で喋りながらも踏み出した足は優雅に、ラザールのリードによって踊り始める。

「なんだっけ、確かモブ令嬢とかいうんだったか。

それもそれで酷い表現だ」

「そんなモブ令嬢と揶揄された方によって、婚約が取り消されそうな私のことは何ていうんでしょうね」

「当て馬?」

「やだ、酷い男ね。今の心無い一言で、今晩の枕が濡れること間違いなしよ」

「俺よりも元婚約者の行動の方が最悪だと思わないか?」

少し考えてから、そうね、と頷く。

「じゃあ、元婚約者の酷い扱いに泣いて、それから酷い男の言葉に泣くから枕が二ついるわ」

そう言って互いに小さく笑う。私がこんなことで泣くことはないし、そんな私をラザールはよく知っている。


「けど、実際どうするつもりだったんだろうな。

もともとベルナール殿下の婿入り先を探していたからヴァレリーを選んだっていうのに。

マルシャン伯爵家には既に嫡子がいたはずだから、強引なことはできないだろう?」

「何も考えていなかったか、婿入りなんかしないで新しい爵位でも貰うつもりだったのでしょ?」

王子殿下は五人で打ち止めだが、王女殿下が二人もいらっしゃるぐらいに王家は子沢山だ。

だから全員に新しい爵位を用意したり、土地を割り与えるわけにはいかないのだ。ただでさえ先代王のときにも子沢山で、王家の直轄地を減らさないようにと、何かのご褒美という名目で散々降嫁や婿入りをさせている。

そして王位継承権が高くならないように二代続いての縁組は避けたせいで、一つ前の世代でご縁の無かった我が家に白羽の矢が立ったというのに。

こうなったら王宮内で飼うしかないでしょうね。目論見が外れて大変なこと。

「ソフィー様は国外の歴史や芸術への造詣が深いと聞いているから、王子妃として外交の一翼を担わせるか、ベルナール殿下に新しい爵位でも持たせて王太子と王太子妃のサポートをさせるのが妥当でしょうね」

こちらへの不義理を罰することを加味すれば、土地を持たない新しい伯爵位でも与えればいいだろう。

ソフィー様自身も知識人であるけれど、控え目な性格だからか領地経営のできる人でもないし。

別に秒殺された元婚約者として妬んでいるのではなく、単に向き不向きの話をしているだけ。

それに悪いのはベルナール殿下であって彼女ではないもの。

公平な目で見て、彼女の知識を活かすだけならば伯爵ぐらいが適当なはず。

それならば我が家に対して、彼らには罰を与えたという体裁を取り繕えているだろうから。


三拍子の音楽をいなしながらターンすれば、今日の婚約者お披露目の為にと繊細な刺繍が刺されたスカートが翻る。

淡い緑地に細い金糸でスズランが複雑な模様を生み出している、とっておきとなるはずだったドレスだ。

ラザールのリードで一度、二度と花が咲くように、ドレスのスカートが広がる。

まあ、このドレスが贈られたものではなく、いい度胸だと我が家で意地と誇りをかけて用意した時点で今夜にでも何かあるだろうとお察しだったのだが。

どうせ、婚約者の予算をソフィー様に使ったんでしょう。バレたら怒られるとわかっているのに実に愚かなこと。

「一体ヴァレリーの何が嫌だったんだ?」

「全部じゃない?」

ソフィー様は少し引っ込み思案な性格の学者肌な方で、慎ましやかな性格と外見をしている。

逆に、私はTHE 貴族といった見た目と性格。

蜂蜜のように甘そうだと言われる黄金の髪と、猫のように目力のある蒼の瞳。

運良くお母様に似たお陰で、小柄で華奢なのが自慢だ。

相手が貴族なら及第点を出す外見だと自信を持って言える。

そして貴族としての、自領を治める統治者としての心構えだってあるつもり。

あくまで婿入りした夫は補佐になるため、私には伯爵としての責任と統治能力が問われるのだ。

嫌だと投げ出さずにしっかり向き会ってきたし、会いに来ない婚約者に期待を持つことなく、補佐にする側近だって早い段階から選んでいた。

そういったところも含めて、私は貴族たらんとする貴族だと言えるでしょう。


けれど、最近流行った恋愛小説が貴族の常識を根底から覆しにきた。

ダイヤの原石だった平民の少女が、貴族顔負けの美術に対する深い造詣と思慮深さを持ち、外見ではなく内面によって出世街道を驀進して最後には王子様と結ばれるという物語が妙に受け、今や王立劇場で舞台にまでなっている。

最近では貴族のように髪を金に染めた女優は少なくなり、誰もが控えめな衣装で茶色の髪へと染め直す。受けがいいからだ。

最近の女優で金髪のままでいるとしたら、それは主人公を追い込む悪役令嬢か、その取り巻きの役でしかない。

さすがに自慢の髪を染める貴族令嬢達はいなかったが、学園で勉学に励む令息や、適齢期を迎えても婚約者のいない令息達は自身のマイフェアレディを探すつもりか、誰もが地味な色だと馬鹿にしていた慎ましやかな令嬢に声をかけ始める有様。

果てには理想の原石を求めて婚約解消に至った家もあるそうだ。あらやだ、自己紹介している気分。

適齢期を迎える前の令嬢を持つ親達は早々に他国で貴族令息を探し始め、一過性の流行りに乗らない令息はこれ幸いと高嶺の花を狙っていく。

「来年の社交シーズンには幅を利かせることもできない地味な令嬢と、流行りが終わって失敗したと気づいた馬鹿な令息のセットがそこら辺に転がっていそうだ」

「流行り廃りがあるものだから、何か別に目新しいものがきたらそうなるわね。

例えば、第二王子殿下の婚約とか」

王太子殿下の補佐を務める第二王子殿下には婚約者がいないとされているが、城へと何度か呼ばれた際に、人目を避けて第二王子殿下の執務室に伺う美しい令嬢を見たことがある。

貴族名鑑で探しても見覚えがないことから、他国の高貴な令嬢ではないだろうかと思っているのだけど、もしかしたら神殿が表に出していない聖女の可能性だってある。

どちらにせよ銀糸の髪に薄菫の瞳の美しい少女が婚約となれば、途端に流行りは大きく移り変わる。

誰だって少し考えればわかることだと思うのに。


「さすがに王族までもが、そんな流行に軽々しく乗るなんて思わなかった」

「私もハズレを引かされたことにガッカリよ」

返事をしながらステップを踏む。

傍から見ても息の合ったダンスだろう。家でダンスを教わるときはいつだってラザールが相手だった。

今でもそれは変わらない。

今頃両親が同席している話し合いは修羅場だろうか。お母様のことだから早々に話をまとめそうだけど。

婿入りの話なんて最初から無かったことで終わらせるために高額の口止め料を頂くか、つまびらかにしてベルナール殿下の有責による婚約破棄として慰謝料を頂くかのどちらか。

さすがに婚約破棄にはしないと思う。

婚約破棄を選択したならば、マルシャン伯爵にも慰謝料を請求することになる。

ベルナール殿下が悪いとはいえ、そんなことをしたら王家も慶事に水を差されたと思うでしょうね。

彼らの事情なんて当家では知ったことではないけど、当家としても相応のものが手に入るなら口を噤むこともやぶさかではない。


僅かな余韻を残して曲が終わる。

今度こそ帰ろうとラザールから離れようとしたけども、腰をしっかりホールドされていることから帰すつもりはないようで。

こちらはこちらで親のいない間に既成事実を積み上げる気らしい。

婚約者でもない相手とのダンスは一度だけ。

二度踊るということは、そういうことだと周囲に思われてもいいということ。

ラザールが私へと手を伸ばす。

耳の輪郭をなぞり、そうしてから片手で器用に金細工の耳飾りを外した。

「ヴァレリーにはこっちのほうが似合う」

彼がポケットから小箱を取り出して開けば、並んでいるのは黒真珠の耳飾り。

手際よく私の耳を飾り、満足そうに微笑んだ。

「俺の物って感じがしていいな」

「いつもながら傲慢さを隠さない発言ね」

呆れたように言ってあげれば、でも否定しないだろう、と返してくる。


曲が始まる。

けれどラザールと私は踊り出さず、周囲で踊る人々がチラチラと視線を投げては、二人だけの世界へと戻っていく。

「踊らないの?」

「踊る前にすることがあってな」

ラザールは懐中時計を取り出して確認する。

「よし、お前の母君が大金を毟り取るのに十分な時間は経った」

ラザールが私の前で片膝をつく。

「ヴァレリーが自由になったなら、もう一度俺が結婚を申し込むと決めていた」

目の前にいるラザールの既視感は、どっかの誰かさんと似たポーズだから。

でも圧倒的に異なるのは、私にとっての大切な人かどうかってこと。

「ヴァレリー、愛している。

次こそは誰にも邪魔されないよう、どうかこの場で俺を選んでくれ」

夜会の始まりにあったプロポーズと酷似した、それでも彼らの熱に浮かされたような恋とは違う、長く積み上げてきた確かな絆。


私は屈んでラザールの耳元に口を寄せる。

「ちょっとはしたないけど教えてあげる。

私のこのドレスって緑に金糸だけど、裏を返せば黒の糸で同じ模様を刺しているのよ」

建前の金と本音の黒。

この裏を見ていいのは貴方だけ。

母親が苦笑して、父親が泣き崩れたドレスだ。

「ラザール、私も一緒にいるのは貴方がいいの。

一人の貴族として、ずっとずっと一緒にいた幼馴染として」

ラザールが私を見返して笑う。

いつもの人の悪そうな笑みではなく、初めて会った時のような笑顔。

ああでも残念。すぐに戻ってしまったけど。

「ちゃんと言質は取ったからな。

今日は三曲踊るぞ。お前と俺の仲のお披露目だ」

立ち上がったかと思えば、すぐさまステップを踏み始める。

少しだけ乱暴なリード。

見上げれば耳を赤くしたラザールが、手の先を見ている。

「愛されてるっていいわね」

そう言ってあげれば、ラザールの小さな笑い声だけが聞こえた。

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