第2話 ユーレイと呼ばれた男
その男は、『幽霊』と呼ばれた。
ルード・フォン・ベーゼンドルファー。かつて大陸中を恐怖のどん底に落とした、大盗賊である。
空き巣、忍び込み、潜入。彼に突破できないセキュリティはなかった。
手先が器用な獣人族の末裔で、決して徒党を組まないことで有名だった。
「使えねえやつが増えても、取り分が減るだけだからよ……」
これが、ベーゼンドルファーの信条だった。
そんな彼は今、牢獄にいる。
ドゥングリムックリ城の地下牢、その独房に彼は軟禁されていた。
『仕事』中にヘマをして捕まるほど、彼はヤワなプロフェッショナルではない。
どんなに堅牢な牢獄でも、彼にかかれば『知恵の輪』も当然だ。
わざとこの城に囚われ、巨像の腹の中に忍び込み、半年にわたる潜入行為の末ついに王家の秘宝『ドゥングリの泪』を盗み出したのだ。
さて、仕事は終わった。あとは帰って家族の元に帰るだけだ……。
ポケットの中の『ドゥングリの泪』を手で弄び、笑みを浮かべてベーゼンドルファーは夜を待った。
……頃合いか。
他の囚人たちが寝静まったのを確認すると、
ベーゼンドルファーは、全身の関節を器用に外し、鉄格子を抜け出た。実に慣れた手つきだ。
「じゃあな。世話になったぜ」
半年寝泊まりした仮の宿に挨拶をして、ベーゼンドルファーは牢獄を抜けた……
【世界一きったねえ水路】
「あれ?」
牢獄を出た瞬間、ベーゼンドルファーは異変を察知し、警戒した。
おかしい、明らかに、昨日までと『城の作り』が異なっている。
牢獄を出たら兵士の詰所に出るはずだ。それは半年間変わらない事実で、もはや目を閉じてもこの空間は歩ける自信があった。
……が、今自分がいるのは、胸を悪くするような匂いの下水道だ。
道を間違えたわけがない。半年以上通いつめた通勤路を間違えるはずがないのだ。
「どうなってやがる……」
ベーゼンドルファーは、魔術の類を疑った。だとしたら相当厄介だ。
しかし、一度牢獄を出てしまった以上引き返す考えを彼は放棄していた。
酷い匂いの下水道を、音を立てずに進む。
匂いさえ目を閉じれば、考えてみればそこまで悪い状況ではない。
下水道があるということは、下水を下っていけばそこには大きな川にたどり着くのだ。
それは長年の盗賊の経験上、飽きるほどこなしてきた事実だ。
ベーゼンドルファーは下水を下った。しかし、それはすぐに行き詰まってしまった。
下水のはずが、道を塞ぐ不自然な扉がある。ただの扉ならいいのだが、問題はそれが、大きな扉だったのだ。
大きな扉を開く。それは、大盗賊からすれば一番やってはいけないことである。
本人がいくら目立たないようにしていても、大きな扉が動けばそれは目立つことだからである。
それにしても、なんのための扉なのだろう?
バカな盗賊が抜け出るのを阻止するための罠だろうか?
いずれにしてもこの扉を開ける気にはなれなかった。
……出鼻をくじかれた。再び捕まり、ドゥングリの泪を盗んだことがバレたら、おそらく死罪だろう。
今日は諦めて一度牢獄に戻るか……?
ベーゼンドルファーが下水道を引き返したら、天井に違和感を感じた。
暗闇でわかりづらかったが、梯子が小さく降りている。
ベーゼンドルファーは思わず、プ……と声を漏らして笑ってしまった。
魔術師か何かを呼び寄せて、場内の景色を変えたつもりだろうが、詰めが甘いな。
……しかし、自分は未だ只事ではない何かに囚われたままだったことに気づいたのは、
梯子を音を立てず下ろし、登った後の事だった。
【悪意に満ちた雲梯150m】
「……な!!」
ベーゼンドルファーの眼前に広がるのは、少なくとも期待していた景色ではなかった。
あたりは眩い光に照らされていて、床はどこまで穴を掘ったらこうなるのか、底が見えなかった。
そこに、鉄製の雲梯が150m伸びているのである。
山のてっぺんや、塔の屋上ならわかる。しかしここは、せいぜい城の一階のはずだ。そこから底が見えない空間って、なんだ?
もっとよろしくないのは、先ほど自分が登ってきた梯子がなくなっており、後を振り返ればこれも城の構造上辻褄が合わない高い高い壁がそびえていた。
つまり、進むしかないのだ。
罠にかかったのは、こちらの方だったのかもしれない……
「俺としたことが……!!」
しかしもう、戻れないと腹を括ったら現実を飲み込むのは早かった。
ベーゼンドルファーは、雲梯にはぶら下がらず、感覚の空いた細い鉄を走って渡った。
幽霊の二つ名を持つベーゼンドルファーだ。この手の軽業芸はお手のものだった……!!
ベーゼンドルファーは見事、雲梯を渡りきり、隣の部屋に通づる扉を開けた。
【時速4キロダッシュ200mの部屋】
息を切らせたベーゼンドルファーが目にしたのは、
さらなる絶望の景色だった。眩い照明に照らされた部屋。200m先に次の部屋へ通づる扉がある。
それ以外はただのだだっ広い空間だった。
ベーゼンドルファーは、足元を警戒した。経験上、「何もない部屋」というのは往々にして罠が仕掛けてあるのだ。
部屋の隅を歩くべきか、それともそっちが罠で正面を歩くべきなのか……
ベーゼンドルファーが注意して床を観察すると、どこからともなく「ポーン」という、この世界では聞き慣れない音がした。
彼は警戒してあたりを注意深く観察すると、先ほどの雲梯があった部屋のある方角の壁から、赤い光の壁が迫ってきた。
この光に触れたら危ない! そう直感で気がついたベーゼンドルファーは、
走って隣の部屋の扉へ急いだ。
赤い光の壁は、人間の普通に走る速度ほどで迫ってくる! ベーゼンドルファーは走った!
元々脚力には自信のある盗賊だ。見事赤い壁を振り切り、隣の部屋に通づる扉を開いた……。
【ロープのぼり20mの部屋】
扉を開き、思わず地面に倒れ込んだベーゼンドルファーが『次の部屋』で目にした現実は、
さらにさらに非情な物だった。
もはや疑問に思う気にもなれない部屋の構造。
次は天井が高すぎる。見えないというほどではないが、高さは30mはあるだろう。城が丸々すっぽり収まる高さだ。そして20mの位置に足場があり、
さらに次の部屋に行けるのだろう。
少しだけ息を整えたベーゼンドルファーは、ロープを登った。
この作業も慣れたものだ。何度も訓練してきた事だ。……ダッシュした直後に登ったことはないが……。
悲鳴のような声をあげて、ベーゼンドルファーはロープを足場の高さまで登ることに成功した。
「へへ……いい運動になったぜ……」
彼は、足場の先にある、次の部屋に通ずづる扉を開けた。もはや、自分が何をさせられているのか、わからなくなっていた……。
【ダメ押しの、500m着衣泳の部屋】
海だ…… ついに外に出たんだ……
波の音が無機質に部屋に響く。……『部屋に、響く。』
……間違いはない。きっと魔術の類で城の中がぐちゃぐちゃになっている。
しかし、もう戻れないのだ。ここまできたら進むしかないのだ。
部屋の中にある海という、意味のわからない状況を飲み込み、とにかく沖に向かう。
それは海相応の深さがあり、しっかりと泳がないと溺れ死んでしまう。
手も、足も、疲労がピークに達していた。しかし、それでも泳いだ。とにかく、泳いだ……。
一体自分は何をやらされているのだ。
この先も出口があるなんて甘い幻想はとうに捨てた。
ただ……もう帰りたい……
その一心のみが、ベーゼンドルファーの体を動かしていた。
泳いだ距離はおよそ半キロ。ドゥングリムックリの泪だけは離さないようにしっかり握って泳いだ。
意識を取り戻すと、部屋の海岸に流れ着いていた。500mを泳ぎ切ったのだ。
フラフラとした足取りで、ベーゼンドルファーは次の部屋に通づる扉を開いた。
【番犬モアーの間】
心身ともに積もり積もった疲労で朦朧とした意識の中、ベーゼンドルファーが見たものは、
巨大な緑色のモンスター、その亡骸だった。
目の前に、このモンスターを討伐したのであろう剣士が立っている。
ベーゼンドルファーはモンスターの亡骸に身を隠し、剣士の姿を見守った。
剣士が剣を鞘に収めると、頭上から声が響き渡った。
「よくぞ20分以内に試練を終了させた。勇者建成よ。其方は何を望む?」
この質問に対し、剣士は胸をはって、
「とりあえず城から出たい!!」
と言うと、ベーゼンドルファーの視界は歪み……
目が覚めると地下牢は自分の独房にいた。
夢……だったはずがない。
ベーゼンドルファーは、自分はなにか……一筋縄ではいかないような事態に巻き込まれたのではないかと予感した。
予感、だけならまだよかった。
ベーゼンドルファーの、徒労と理不尽に満ちた脱出劇が、幕を開いたのである。
風雲ドゥングリムックリ城 @SBTmoya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。風雲ドゥングリムックリ城の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます