第3話 戦装束

 季節は秋、空は明るく清涼な風が吹き、森の木々も草原も黄金の輝き。広大な火影草の畑は日当たりのよい場所から野火が広がるように色づき始め、風に舞い上がる若い穂はさながら陽炎のありさま。畑のなかを牛馬に牽かれてゆっくりと行き交う大きな門構えは細かい櫛状になっていて、火影草の艷を保つべく丁寧に梳いていく。

 その光景はルーメンにもたらされる豊穣そのものであり、男たちの中にはリリアンヌの髪色に重ねて例える者も少なくなかった。面と向かって言われたことはないものの、風の噂で耳にしたときは複雑な気持ちがしたものだ。

(豊穣というには、取り立てて美人でも豊満でもないけれど)

 リリアンヌが己に認める価値は、火影草のそれとよく似ている。ルーメンにとって有用かつ有能であり続けること。領主の血筋というだけで若輩者の発言が聞き入れられるほど世間は甘くない。かといって可愛がられるような性分でもない。あつかいに困る行き遅れの令嬢、だからこそ人の役に立たなければならない。

 そうして彼女が時折みせる切迫した表情を、特に女たちはよく知っていた。静かに見守り案じながら、同じく工房を切り盛りし針をもつ同志として、仕事を以て応えるのだった。

 自身がどう考えようと、ルーメンの民にとって、リリアンヌの存在は精神的な拠りどころなのだ。働き者こそきっと報われてほしい、そんな願いが我が身に預けられていることを、リリアンヌもよく自覚している。

 縁談が舞い込んだ翌日から、リリアンヌはめまぐるしく働き続けた。

 金茶の髪は編み込んでひとつにまとめ、ドレスに見えるのは実はエプロンで、服装はつねに兄のお下がり。いつになく身軽な装いで、屋敷に連なる拠点はもちろん市街部に点在する織機や染色釜、仕立ての工房に足を運んだ。機械の調整や技術指導、果てはいざこざの仲裁までも次々とこなしながら、持ち帰った材料で自らも針仕事に勤しむ。

 この短期間でいちから衣装を仕立てることは難しい。手持ちのドレスに、ルーメンの手わざの粋をいかに盛り込んで仕立て直しできるか。本当は自慢の職人たちの技術を披露したいところだけれど、いまは少しのやりとりをする時間も惜しい。

「もう、こんなにに働いてばかりいたら痩せ細ってしまいますよ」

 リリーの髪を梳り、器用に編み込んでいくメアリのふっくらとした指が鏡に映る。すこし年上の彼女の髪は真っ黒な癖っ毛で、きつくまとめてスカーフで覆ってもなおカールした後れ毛がぴょんと飛び出してくる。それはまるでメアリ自身のよう、リリアンヌはいつも陽気でそそっかしい彼女が大好きだ。

「兄様と瓜二つになっても困るものね」

「あんなごつごつにはなりませんよ! いえ、オリヴィエ様もすらっとして素敵でいらっしゃいますけど」

「兄様が代わりに嫁いでいってくれないかしら」

「ご冗談を!」

 メアリは悲鳴のような声を上げたかと思うと、すぐさま大口を開けて笑い出した。

「どうしたの」

「いえあの、オリヴィエ様のドレス姿を想像してしまって」

「意外に似合うんじゃないかしら」

「リリー様!」

 ひいい、と半泣きになりながら笑うメアリと一緒に肩を震わせながら、あながち冗談でもないのだけど、とどこか冷静に思案する自分がいる。

 支度中の薄着の状態でいると、いやでも自分の身体が目に入る。肉の薄さは今にはじまったことではなかった。胸元には鎖骨や肋の影が目立ち、もともと愛らしさに欠ける面立ちをいっそう厳しく見せる。従来のドレスは胸元の丸みを強調する型ばかりだったから、袖を通すたびに絶望したものだ。だから着飾って人前に出ることが本当に嫌だったし、骨ばった首周りを補うために大ぶりのネックレスをあてがわれるのはもっと嫌だった。

 〈見せたくない〉と〈隠したい〉は、似ているようで違う。

 悩み抜いたリリアンヌが新たに考案したスレンダーかつ長い領巾のあるドレスはロングセラーとなり、今ではその亜型が数々生み出されている。それが今の業績向上につながっているし、同様の悩みをもつ女性たちと悩みを共有できたことは少なからずリリアンヌの心を慰めたがやはり、幼い頃に憧れた「お花みたいなおひめさま」のシルエットへの憧れは捨てきれない。

 似合うものと身につけたいものが必ずしも一致するとは限らない。

 求められる立場と望む生き方が一致するとも限らない。

 むしろすべてが思うようにいくほうが稀だろう。誰もが長じるにつれて己の姿を変えて、心の形さえ変えながらより長くいられる居場所を探っていくのだ。

 わかってはいるけれど、よそへ嫁いでしまえばリリアンヌは羽をもがれた鳥も同然。これこそが我が道と定めた生き方を突然失って、ひとたび立ち止まったなら途方に暮れてしまう。

 領民と事業の行く末を案じているふりをして、自分が必要とされていることを確認して回っているだけなのかもしれない。

 お針子姫でないのなら、一体何になれというのだろう。此度の縁談を頭では好機と理解しているものの、心の奥底に恨む気持ちが燻っていることを、誰よりもリリアンヌ自身がよくわかっている。

「さ、リリー様。衣装合わせとまいりましょ」

「そうね」

 たっぷりとひだを寄せた生地、鋭い鎖骨は華奢さを演出する武器に変えて。自分のために誂えたすみれ色の戦装束に、思うようにならない心と身体をぐっと押し込む。

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お針子姫と鉱山王の秘密 草群 鶏 @emily0420

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