第2話 好機
デュラン家の家業は繊維業、といいつつこのところの商売は仕立て屋に近い。
良質な糸、良質な織物。温暖で起伏が少なく、水も豊かなルーメンの土地では、
火影草とは、ごくやわらかく繊細な穂をもつ多年草で、日差しを浴びて風にふらふらと揺られる姿がまるで火影のようだということでその名がついた。刈り取り前、最盛期に一斉にそよぐさまはすさまじく、リリーも幼い頃は野原一面が燃えているものと思い込み、大人たちが炎に巻かれるさまが恐ろしくて全力で泣き喚いた覚えがある。
火影草の穂は染まりやすくやわらかいため織物にすれば手触り抜群、ただ扱いが難しく、幅広の反物となればことさらに貴重であった。繊維が細すぎて、歪に力をかけると切れてしまうのである。この弱点を、代々のデュランが混紡をあれこれと試して克服し、しなやかな手触りと耐久性を両立することでひろく一般に普及させたのだった。植物性から動物性のものまで材料を豊富に調達できる土地柄があってこそとはいえ服飾産業におけるデュラン家の功績は著しく、特に重たくごわついた生地をまとっていた平民の衣料事情をがらりと変えたが、一方で貴族連中からの評判は芳しくなかった。
曰く、平民に貴族のような装いをさせるのが気に食わないというのである。デュランの行いは貴族の品位を貶め平民を調子づかせるもので、下々の者は相応のものを纏い身の程を知るがよい、というのが考え方の主流。しかし、三代前の当主エルヴァンはこれを良しとせず、むしろ燃え盛る対抗心をもって生地の卸価格をぐっと押し下げた。おかげでいまや人々の貴賤を問わず軽くてしなやかな衣類が手頃に手に入るし、重たくて動きにくいのは祭祀につかう伝統衣装くらいのものだが、薄利なぶんデュラン家の経営も痩せることとなった。不器用ながらも実直に歩んできたものの、近年は貴族の肩書自体が重荷になりつつある。エルヴァン翁の気概は受け継ぎつつも、せめてもう少し楽に生活できないかというのがオリヴィエとリリアンヌ、さらには当代の使用人たちの願いであり、新しもの好きの両親をそそのかして〈生地屋〉から〈仕立て屋〉に事業を広げるに至った。
付加価値による取引単価の改善である。
商機に対する嗅覚が鋭く社交的なオリヴィエと、研究熱心かつ論理的思考のもと意匠設計のできるリリアンヌが青春のほとんどを費やしてようやく軌道に乗った事業は、いままさに岐路に立っていた。拡大に向けておおきく舵を切るべき時機ではあるが、蓄えが潤沢にあるわけではない。新しいものを作り続けるためこまめな投資を欠かさなかったからことが、ここにきて裏目に出たとも言える。
だから、ロッシュ家からの縁談なんて僥倖以外の何物でもないのだ。
瞑目した妹に、オリヴィエが気を揉んだ様子で両手をすり合わせた。いつのまにか戸口には使用人たちに代わって両親の姿もあり、娘の一大事を面白がるような顔つきで見物している。
この両親にしてこの子あり。これが逞しく育たずにいられようか。
まるで浮足立つ様子のない妹に、オリヴィエの表情が曇りだす。
「……なにかまずいことでも書いてあったかい?」
リリアンヌは兄を一瞥するなり、温度のない微笑みを返した。
「たとえば、我が家の資産はすべてロッシュ家の支配下におくとか」
「ひっ」
「やはりこの話はなかったことにしてほしいとか」
「縁起でもないこと言うなよお」
その縁起でもないことを何度も経験してきた妹に対して配慮がなさすぎやしないかと兄を睨みつつ、この縁談が成立すれば我が家に強い後ろ盾がついて、事業にもテコ入れができるだろうと冷静に考える。
これは商談だ。それだけの価値が己にあるかどうかは別として。
「冬が来る前にひと目会いたい」という言葉とともに、手紙の末尾に示された日付は木枯らし月の八日。わざわざ向こうが出向いてくるからには冗談ということもなさそうだ。
残された時間は十日あまり。断る選択肢ははなから存在しないから、早々に返答をして饗応の段取りをせねばなるまい。
「お父様、お母様、こうしてはいられませんわ」
「おっ、リリーがやる気だ」
「オリヴィエは黙ってて」
兄の軽口をぴしゃりと封じて腕組みする。
さて、恋人や婚約者を出迎えるのに、世の令嬢たちはどんな工夫を凝らしていたのだったか。出席したお茶会で恥じらいとも自慢ともつかぬ花を咲かせていた数々の話題を思い出そうとするが、出されたカップの模様だとかクセのある話し方だとか、どうでもよいことしか覚えていない。
こんなことなら、もうすこし親身になって聞いておくのだったといまさら後悔した。
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