カエデ
みらい
カエデ
薄暗闇。
少年が帰り道を急ぐ。
明るく喧騒のあった駅前とは打って変わって段々と閑静な住宅街が広がる土地へ。土地開発でバイパスと駅前は店が多くなった。コンクリートでさえ使い古されていない濃ゆい藍に。
しかしそれでも場所による。この辺りはベッドタウンでとても静か。何かあっても誰も分からないし知りもしないだろう。
最近は暗くなるのが早い。ここ最近まで例年以上の暑さだとニュースであったはずなのに、と日の流れを幼いながらに感じる。
ランドセルが自分の歩みに合わせてガチャガチャと鳴る。その音だけが頼りになっていく。
――いくら
と、駅向こうに住む友達のユキトを妬む。
両親が別の駅からの徒歩だということを残念がる。
そして暗くなるのが早くなったのに毎度毎度暗くなってから通学路に入る自分の学習のなさに憐れむ。
だんだんと足早になっていく。
ふと後ろを振り向いた。――振り向いてしまった。
黒い影が電柱から覗いているのが見えた。
呼吸とともに声にならない悲鳴が混ざる。
突然の恐怖で体が自分が自分じゃないような、俯瞰で見ているような……そんな感覚に蝕まれた。
――立ち止まっちゃだめだ。
動かす足がふわふわする。
地面が無くなったように。
ソレがなんなのかわからない。
幽霊でも怖い。
生きた人間でも怖い。
自分のランドセルの音だけが心の拠り所になった時。
「ん」
ふと鳴き声が聞こえた。
暗闇でもわかりやすい白毛。
ライガはホッとした。何かに着けられていると思っていたから。ただの思い過ごしならいいと思いながら、お迎えしてくれたもふもふを抱き抱える。
「ただいま」
暖かさに安心する。
足音は聞こえなくなった。
やっぱり気のせいだ。
帰路に着いた。
◇◇◇
○○商店街。
看板が錆びてしまって読むことができない。おそらくはこの町の名称であるものが刻まれていたのだろう。
今となっては紅い棒が見えるだけ。
道もレンガを敷き詰めお洒落に魅せているのだろう。が、もはや色褪せパステルカラー。
所々ボコボコとしているし、ちまちま補強されている。
もしここが人里離れたホテルなどであったならもっと悲惨なものであっただろう。
唯一の希望は人が通る道だということ。
ちょうど駅に近いということも幸いしている。お昼時はまだ人が寄りつく店があるにはある。
しかしシャッターが閉まっている店が多く、ラッシュの終わった後は寂寥ささえ感じてしまう。
が、駅向こうは逆に昼賑わいを見せている。
今回の話の中心にもなる店もその一つ。
多忙と疲労を常に抱える人々の癒しと希望の象徴となっているのは猫カフェ紅葉。
店名にもなっている紅葉の盆栽が店頭に並ぶ。
季節目になると小さいながらもその葉は赤く燃え上がる。
その横には小さな小さな祠。
この商店街の神様。……だということを知っているのは幾人のみ。
通学、通勤路としている人たちにとってはただの道。景色の一つ。
入り組んだところにあるため誰も見向きもしない。
毎日筒が無く世話をしているのは猫カフェを営む老婦人。所作は気品に溢れ元何処かお偉いどころだったのではないかというほど老いたとてとても美しい老婦人。
中にいる猫たちは七匹ほど。
しかし十になったり二十になったりと気分次第で数が変わる。というのもこのカフェを拠点に地域猫や迷い猫さえも保護しているからだ。
だから店のガラス窓のプラカードには所狭しと猫の紹介が並んでいる。プラカードには在や留守などの文字も記載されていた。どの子がいるか一目瞭然である。
プラカードは老婦人直筆。
カフェ内にある人間の飲み物も彼女お手製。何十匹といるはずなのにダニ対策や日々の健康管理もバッチリ。
すべてから彼女の愛情が溢れているのが窺えた。
そんな婦人の営むカフェの前。
放課後の時間帯になる再び通りだけは活気に溢れる。カフェも賑わいを見せる。
「カエデに行こうぜ」
「うーーん。わかった」
「なんだよ。またボスが浮気疑われて近寄ってくれなかったのか?」
「うん」
通学路となっている小学生――ユキトとライガが駆ける。期待に応えるかのようにガチャガチャとランドセルが鳴る。
彼らの帰路途中にある猫カフェ。
それが二人の最近の目的。
寂れた地に構えながらも小学生は無料という格段のものとなっていた。また、老婦人が命というものを知る良い場所になるようにと願いを込めてもいる。
ここに通い詰める小学生たちは紅葉ではなくカエデと呼んでいる。
既に軒先に数匹。
そして隣の小さな祠にも数匹。
ちょうど日の当たる時間帯。
皆一様に日向ぼっこに忙しい。
その中の一匹。
わがままボディの虎柄がくあと欠伸をして出迎える。
「あら、おかえり」
老婦人が彼らを出迎える。
白い長毛種の美女と黒のイケメンがすりすりと小学生たちに駆け寄る。小学生たちは彼らの好きな部分を撫でてあげる。
一頻り撫でて満足したのか白と黒のペアは中央の木のようなキャットタワーに登って行った。
小学生たちも追いかけることはせずに、店の壁に沿って置かれている人間用の机の一つに座る。
ランドセルを椅子にかけて、宿題を始めた。
今日は漢字の書き取りとドリルらしい。
ハチワレコンビがそれを見て机に広がった紙やペンにじゃれ始める。
ライガは「後で遊んであげるから」とハチワレを押し除ける。もふもふに囲まれながらもどうにか漢字を書き始める。
ユキトの方にいるハチワレはえんぴつに夢中。おかげでブレブレな文字が完成していた。
「おかえり」
再び来客があり老婦人が歓迎する。
くたびれた社会人が。別の学校の生徒が。
或いは地域猫が訪れていた。
最初のユキトとライガが宿題を終える頃には八つある机は満席となっていた。後はソファに数人掛けて猫じゃらしで猫じゃらしで遊んでもらっていた。
ハチワレは待機に飽きたのか。
それとも紙やえんぴつで済んだのか。すやすやと膝下と足元にお眠りになっていた。
「……なあ。あの噂やっぱ嘘じゃね?」
「そうだね」
「でも、実際に見たって人もいるって言ってたぜ?」
「RocTocだろ?」
ユキトとライガの言う噂とは、学校の七不思議のような怖い話。
カエデという怨念のある幽霊が集合体になって生きた人間を襲うと言うものや、近くの廃トンネルが原因だとか。この町が商店街だけでなく廃れてしまって全体的に暗いからとか。同名称の楓商店街が怪しいのでは、とか。ここ最近の不審者がカエデなのでは……などなど。
信憑性がありそうな、なさそうな。
そんな内容ばかりではある。
しかしここまであるとライガは絶対いると確信している。
また、このカフェのことも動画で紹介しているので、その噂がごちゃごちゃになって二人はこのカフェのことをカエデと呼んでいたりする。
ユキトはショートムービー主体の動画アプリをあまり信じていない。しかし非日常的なものには興味がある。見れるならという好奇心でライガに付き合っている。
「まあ……確かになあ。そろそろ俺もボスが恋しいし」
「ボスは元からそっけないだろ」
ただしライガはそろそろ潮時かなとも思っていた。
飼い猫のご機嫌が悪いからだ。
ライガは片眼の元ボス猫を飼っている。
ふらりと庭に現れた赤目白猫。
他の野良との戦歴と片眼、そしてその隠密具合……という理由でゲーム趣味のライガの父が名付けている。
ライガの父の命名した名前は嫌らしくちかよってくれない。それにボスという野良時代の愛称も嫌みたい。
しかしライガの名前を気に入ってくれている。ライガが呼べばちゃんと寄ってきてくれる。
帰宅後しばらくは匂いを嗅ぐ。済んだら以降はライガに近寄ってくれない。彼らのいう浮気……猫カフェ通いが原因だ。
だからここ最近はユキトの方が率先している。
ユキトはユキトでカフェに来ることが目的にもなっている。逆にライガが消極的になっているので困っていた。
「とりあえず今日は帰るよ」
ライガが立ち上がる。
ここに入り浸りすぎて、暗闇の中歩いていかなけらばならないから。流石にライガも学習している。
「僕はお姉ちゃんと一緒に帰るからもう少しいるよ。ライガ気をつけてね」
「う、うん」
ユキトは「最近また不審者がいるから注意して」という言葉を飲み込んだ。ライガにこれ以上不安を募らせたくないと言う思いから。
確かにおたがい怖い話は好きだ。
しかし生きている人は別だ。
それもあって煽ることはない。
ユキトのほうがこのカフェに行きたいからそれに巻き込ませている。その申し訳なさもある。
ユキトはその後ろ姿を見つめた。
ライガは三毛猫とハチワレたちと共にカフェを出て、祠の猫たちを見て落ち着かせる。
――また真っ暗だよ。
最近まで暑かったし陽もまだ今の時間でも明るかった。だから油断しているとこうなってしまう。
地面に足を躓きかけながら歩いていく。
この商店街はむしろ夜が昼みたいになる。
いつの間にか横で並んで歩いていた猫がいなくなり、駅を経て街灯がぽつぽつしかない道へと進んでいく。
「はあ。間違ったなあ」
何度も後悔したことをひとりごちる。
これで恐怖を霧散する作戦だ。
誰かいたら恥ずかしいが、仕方ない。明日こそは早く帰ろ、と学習しないことを何度も言い聞かせる。
暗がりで石ころを蹴ってみる。
じゃりという音と別にすぐ後に後ろでもぱきという音を耳が拾う。
その途端。
ライガは早足で歩道を進み始めた。
向こうになるべくバレないように、しかし体力を温存するために徒競走みたく『走る』と『歩く』の中間の速さで歩く。
「ボス……」
飼い猫の愛称を呟く。
どうしても震える声を抑えられない。
「ん」
見知った声を聞いてライガはホッとした。振り向くのは不安だったけれど、振り向いてみる。
街灯の中心に元ボス猫。スポットライトみたいに照らされていた。
猫の集会でもしてたんだろうか。
暗闇に慣れた視界には周りの垣根にも無数の猫がいるのが見えた。
スポットライトに当たった白猫は光と影と無数のしっぽが重なって無数のしっぽが生えているみたい。
猫好きでもあるライガ。
この猫たちのことを恐ろしいとは思わなかった。
「ひ」と引き攣る声と共に気配は消えた。
どうやら向こうのほうが恐ろしいモノに見えたらしい。背から遠くに駆け出す音が聞こえて消えた。
――いつもだったけれど。
幽霊じゃなかった。やっぱ幽霊より生身の人が怖いや。
肩を撫で下ろすライガ。
それを知ってか知らずか。仕事は済んだ。褒めろとばかりにライガによじ登ろうとする。その前にライガを使って伸びをする。
自分で考えた名前で呼んであげる。と言っても、野良時代にカエデと呼ばれていたからそれを引き継いでいるだけ。
「カエデ」
涙目になっていたライガを出迎えた。
その温もりを感じて安心していく。
◇◇◇
「大丈夫よ。ライガ君は」
「どう言うことですか?」
閉店だというのにユキトのお迎えが来るまで待ってくれている老婦人が声をかける。
老婦人が暖かいココアをユキトに差し出す。
猫たちはもう店の中の思い思いのゲージへと行ったのだろう。二人以外は誰もいない。
「猫たちにお願いしたから」
「?」
「最近暗くなるのが早いし、いつも遊んでくれるから恩返しがしたいって率先して行ってくれたわ」
――どう言うことだろう。
聞いてはいけない気がして言葉を貰ったココアと共に流し込んだ。
ガラスの向こうの景色は夕方や昼間と違って商店街は賑わいを見せていた。
別の異世界にでも来たみたいに。
暖まった体をそちらに向けて眺めていた。居酒屋や塾。卑しいネオンなどなど。まだ、ユキトは体験できない景色。
だから夜景が綺麗だなあくらいにしか思わなかった。
のほほんと黄昏ていると、人間とは違うモノと人間がすれ違うのを見た、気がした。
――気のせいだ。
咄嗟に下を向いて半分になったココアを見た。気晴らしにもならない。
たまに喧嘩はするけれど、そんな姉がこの一瞬限りは今か今かと来てくれることを待ち遠しくなる。
再び顔を上げる。
ただ折り重なった人集りだったみたい。恐怖心は錯覚を生み出す。何処かで聞いた言葉が頭の中に浮かぶ。
ぼーっとココアを見ていると老婦人が話し出す。おそらくユキトが飽きているとでも思ったのだろう。「少しお話ししましょう」と気遣って話し始めた。
「……最近この辺りの話題が耳に入るのだけれど、おばあちゃん、動画とかは見ないのだけれど……カエデちゃんのことなら教えてあげられるわ」
「……え?」
「横に祠。あるでしょう? あれはここの発展以前からあったのよ。それこそ遡ると平安だっていうじゃない」
「なんでご存知なんですか?」
「ふふ……好奇心は良いことね。
それはね、私の主人がこの商店街を設立した、って言ったらいいのかしら?
とにかくあの頃はお金があってね。なんだって壊して新しく建てて……祠もね、今と違ってオンボロでね。
とりあえずどこかに移動しようって提案したの。
……でも主人がさっさと始めようとするから慌てて私が移動とか建築前のお祈りとか日程を取り決めていたわ。おかげかどうかわからないけれど、とても繁盛しているわ」
「へえ、そうなんですね」とユキトが相槌を打つ。
建築前の何とかとかはあまりわからない。
今も繁盛しているかのような物言いが幼いながら引っかかった。しかし聞かずに更に続ける老婦人のお話しに耳を傾ける。
「後で調べてみたらねえ。
カエデちゃんは、九尾の猫なのよ。狐様ではなく猫。珍しいでしょう? ……悪いモノではないわ。
ちょっとじゃじゃ馬で、悪戯好きなだけ。あと、ちょっと飽きっぽいみたいね。だからこの商店街も夜栄える街になったわ。
……駅向こうの発展も今だけかもしれないわね」
ユキトは老婦人の話にどう相槌をしようか悩んでいた。しかしちょうどユキトの姉が「すみません」と何故か猫と共に駆け込んできた。
「あ」
気まずくなっていたのでホッとして「お姉ちゃん遅い」とついつい伝えてしまう。
「ごめんって。これ、よかったら」
「あらそんないいのに……でも遠慮なく頂こうかしら」
老婦人が茶目っけ混じりに返して、姉からお土産を貰う。そこから世間話になっていった。
終わるまで猫たちに「どこいってたの」となんとなく聞いてみる。なんだか皆何処かで餌を食べてきたみたいに口元をぺろぺろしていたから。
にゃんとしか返してこないのはわかっている。
これが猫と喋っているみたいで楽しいのだ。
が、しかし今回は背筋が凍った。
親友の見知った猫を見つけてしまった。汚れのない綺麗な白い猫はユキトの膝を経て、肩に乗る。
そして一言。
「気紛れに脅かすのが楽しくて……」とライガを無事に家に帰したらしいカエデが耳元で囁いた。
カエデ みらい @milimili
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