第18話

「先生、好きですーー」


 私が初めて彼に思いを告げた時、先生は本当は寝ていなかったそうだ。


「あれって、本気なの..」

「え?」


 『あれ』という指示語だけでおおよそ察しがついた私は赤面し宙を仰いだ。


「そ、その..」

「ごめんね..。俺は、シズクの事が好きなんだ..」


「なんでですか..? シズクと私は、顔も声も似てますし、

血だって繋がっているのに、先生の中では何が違うんですか?」


 もう全てバレてしまった以上私はヤケクソになっていて、

そう言うと先生は一呼吸置いたのち、格好付けるようにこう述べた。


「それはさ、心だよ」

「心?」


「恋愛ってのは狭義的な意味で、人と人との繋がりの本質は

顔とか声なんか関係なくて、その人と、心を通わせる行為なんだと思うーー」

「それは、どういう事ですか..?」


「文字通りだよ。人の心なんてずっと同じなわけないし、

心が変われば当然、付き合う相手も変わってくるって事だよ。

だからこれは極論だけど、俺とシズクが付き合っているのだって

数ある出会いの中の一つの偶然に過ぎないんだ」


「ふーん..。先生ってもっとロマン主義かと思ってましたけど、

案外冷めているんですね..。じゃあ、私の事好きになっても良いじゃないですか?」

「あはは..」


 先生はそう言って、言葉を濁したーー


 しかしここで食い下がらないのが自分の意地の悪さである。


「じゃあ、先生。もし、お姉ちゃんが死んじゃったら、どうしますか..?」



「あ..。あれ..?」


 リョウが刺されたショックで私は気を失ってしまったかと思えば、

今いる場所は病院のロビー? で、目の前の掲示物の前に佇んでいた。


 死者、行方不明者の記載ーー


「....????」


 どういう事..? これは確かに、八年前のあの日の光景..。

夢でも見ているのか、記憶が正しければ私はこの後リョウに殴られる..。


 しかし次の瞬間、背後から謎の力で抱き締められた私は、その人の

手を見てギョッとした。


「リョウ?」

「クイナ..。久しぶり..」


 リョウの顔はひどく腫れていた。目の下が赤く、誰かに殴られでもしたのか、

頬には紫色のアザが目一杯に広がっている。


「ちょっと、俺について来てくれない..」

「あ、はい..」


 それに、私はまだ彼に殴られないどころか、私の過去の記憶とは随分

様相の違う物腰柔らかな彼の態度が不可解でいまいち処理しきれなかった。


「リョウ..。その傷は?」


 まずは気になる所を潰しておこうと思って聞くと、

彼は照れ隠しか? 鼻頭をぽりぽり爪でかいて早口で言った。


「これは、さっきシズクに殴られたんだ..。

『私の妹を傷つけるな!』って、思い切りね、、」


「そう、ですか..」


 しかし随分と可笑しな夢だ。死んだはずのシズクが生きていて、

リョウは私を殴ってないのに(夢の中では)、姉にお叱りを受けている。


「で、これからどこに向かうんですか..?」

「城山公園展望台」


「わぁ! 懐かしい、小さい時桜島を見に良く行ったなー」

「うん。クイナが高校受験受かった時連れてって貰ってさ、

凄い綺麗な場所だったからずっと、印象に残ってたんだ....」


 やはり可笑しい。私はリョウと何処かへ出かけた記憶なんてないのに..。



 展望台から拝める桜島はいつ見ても、

自然の雄大さと脅威を私達に教えてくれる。


 私がすぐにでも出たかった地元でも唯一好きだった場所だ。


 そんな公園内に位置する椅子の一つに座ろうとする私を、リョウは止めた。


「クイナ....。ごめん」

「え?」


「全部、思い出したんだ。

噴火でシズクが死んで錯乱した俺が..。お前の事、殴って、蹴って、沢山傷つけて、挙げ句の果てにはシズクの演技までさせちまったって事....」


「あぁ..」


 そこに触れてくるとは、流石、私の夢が作り出したリョウと言ったところか


「ごめん」

「良いですよ。謝罪なんてしようと思えば出来ますし、意味無いのでーー

ですが、これだけは言わせて貰います。あの時、リョウ先輩に存在すら忘れられてた

私が今や、品川に本社を構える上場企業の社長ですよ?? それに対し、貴方の

未来のあの体たらくは何ですか? ブラック企業にでも入社しちゃいましたか?」


「あはは..。そうだよ」

「ぷぷっーーやっぱそうでしたか? 御愁傷様です、まぁ、

負け組は負け組らしくこれからも地べたを這いつくばって生きていくのでしょうが..」


「....。なんか随分辛辣じゃない?」

「そりゃそうでしょ。私の夢なんだから、普段言えない事まで好き放題言えるって訳ー場合によってはリョウをサンドバッグにでもしようと思ってたんだけど、もう散々殴られた後みたいだし、それは勘弁してあげるけどね..」


「....。そうか、それなら良かった」

「ふん」


 そう私は得意げになって息を巻くと、リョウはこの時、途端に照れ臭そうな顔をした。


「あの、、さ..。クイナ、、夢だから俺も、本当の事言うよ」

「はーい! お好きにどーぞ!! どんな事ですか?」


「....。シズクに殴られたのは、クイナの暴力に対するものが半分。

そして今から話すのが、もう半分だ」


 時間が静止した。風がやんで、冷たい風が肌に触れて痛かったー


「俺、クイナの事が、本当はずっと好きだった..」


 その瞬間、私の視界は全てを拒絶し、リョウを受諾した。


 彼の声が、いつまでも頭の中に木霊した。


「あ....」


 声が出ないまま、私は死にそうになり、胸を抑えながら顔を背けた。


「好きだったけど、言えなかった。

シズクより、、クイナの方が好きになったなんて、、」


「....」


「クイナ?」


 パシ!ーと真空を突き抜ける快音が放たれたのは、私が彼の頬を打ったからだ。


「..。じゃあ、何で私の事を忘れたの!! 

どうして、、好きなのに、、私にシズクでいる事を求めたの!?

今更とってつけたかのような好きを、私が信じられるとおもーー」





「どう? 信じてくれた..かな」


 彼が私の顔から自分の顔を離すと、涎の線が唇をつたった。


「....。ちゃんと歯、磨いてますか? 臭いですよ」

「えぇ? 可笑しいな..。

ちゃんと家出る前に歯は磨いたし歯間ブラシもしたんだけど..。

口臭ケア用の、ミント味のミンティアがいけなかったかな..」


「冗談に決まってるじゃん。それにそこまで準備されてると、少し引く..」

「そっか、、じゃあ次から気を付けるよ..」


「そうして下さい..」


 次もある。その事がひたすら嬉しく、夢である事実が虚しく、

私の目からは際限なく涙が溢れた。


 それを見たリョウが、気まずそうに続ける。


「クイナ、これだけは言わせて欲しい」


 この時なぜか、

直感で最後だと悟った私は、彼を茶化すような真似はせず真剣に耳を傾けた。


「クイナの勧めてくれたサービスの豆腐ハンバーグ、大好きだった。

高校に受かった時、俺もクイナと同じくらい嬉しかった。ここからの景色だって

あの時のお前の笑顔は今でも、自分の中の一番大切なとこにある思い出だーー

クイナがさ、覚えてるか分かんないけど、初めて俺に好きだって言ってくれた時、

本当は凄く嬉しかったのに、紳士ぶった回答しか出来ない自分が歯痒かった..」


「..リョウ、、さっきから、何言いたいのか分かんないよ..」


 夢の端に来たようで、頭が現実に引っ張られていく最中、私はリョウが最後に

発したこの一文を、確かに聞き取る事が出来た。


「クイナ..。お前が生きていてくれて、、本当に良かった..。ごめん、

あの時、、悲しみの中にいるクイナの事、抱き締めてやれなくて」


「リョウ!!」


 私は叫び、夢は途切れた。



 そうして、再び目を覚ました時、私は病室にいた。


 火山ガスを吸ってしまい呼吸器障害を引き起こしていたようで、

そんな私の鼻には酸素チューブが巻き付けられていた。


 しかし、私は長い夢を見ていた。


 避難所の出入り口は瓦礫で塞がれ、朦朧とする意識の中で見たそれは、

過去の時系列もヒッチャカメッチャカで、風邪の時に見る夢と類似していた。


「....」


 さっきから、膝の辺りにやけに重みを感じるなと思ったら、、


「..。先輩」


 不意に、その名を呼びかけ、やめた。


 近くのテーブルの上には、

醤油の上に鰹節をまぶした絹豆腐が一丁と、豆腐つくねが数個置いてあった。

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8年ぶりに会った初恋の人に、綺麗さっぱり忘れ去られていました @kamokira

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