第17話

 私は、私を殺し、与えられた東條シズクという役に徹した。


 高校に通い、豆腐屋に戻ると、そこにはいつも先輩がいた。


「シズク! いつものお願い」


 すっかりウチの常連となった彼は、さながら行きつけの飲食店同然に、

店頭に立つ私に注文の詳細を言わなくなったのはいつからだろう?


「木綿豆腐二丁ね! 絹は食べないの?」


 私は以前、姉がリョウとのやり取りの中で、

いつもの木綿ではなく絹を進めていたのを知っていた。


「うーん。じゃあ絹も一つ」

「分かった! じゃあサービスの豆腐つくねもつけておくね!」


 彼が望むシズクを演じ続ける事で、私は彼から愛された。


「シズク、いつもありがとう」

「うん!」


 胸の奥が灰色に染まった。声が跳ねて、濁りを深めた。


 私はもう、シズクでもクイナでもない、何者かになっていた。


「あの..」


 姉の模倣を続ける人生は

確かにリョウの慰めにはなるのかもしれないけど、このままじゃ

自分の居場所が、本当にこの世のどこからもなくなってしまう気がした。


 私はリョウに愛される事より、自分本位の道を選んだ。


「リョウ。別れよう」


 高一の六月、私はリョウから離れる決意をした。



 あの時の判断は、正解だった。


 社会人となった私は、

大学在籍中に立ち上げたビジネスが軌道に乗ったのもあり、

現在は社員複数名を抱える上場企業の社長として、生活は安定している。


 毎日定時に働くという雇用システムを廃止し、週休三日ーー

経理などは既に最新の生成aiに任せ、現在は営業課のみに人員を割いている。


 そんな会社内で与えられた豊富な時間を元手に、

私は何をしているかというと、その多くは資産形成の土台となるべく

簡単な経済状況を新聞や本から吸収しているが、最近はもっぱら、

海外進出の足掛かりとなるような、好立地かつ地価の上昇が見込まれる

不動産探しに勤(いそ)しんでいる。


 とはいえ、私とてたまには仕事から離れ思い切り休みたい。


 メンタルの不調はあらゆる意思決定に影響を及ぼすから、

出来るだけ日々を忘却できそうな所で近場といえば、


 ミクロネシア? いや、フィジーあたりが良いかもしれない。


 フィジーは水が美味しい、エメラルド色の海も美しく、

タロ芋を使った現地料理を食しながらその日暮らしを楽しむ。


 幸福度調査で何度も一位を取った事のある国だ。

島に根付く風土感を堪能しながら、夜はココナッツジュースを飲んで寝るーー


「ジュルリ..」


 以前ビジネスで訪れたタイの海上マーケット。

そこで販売されていたココナッツアイスの味を思い出し、食欲が増した。


 私は小さな島国が好きだ。

一方で、日本は大きな島国だから嫌いだ。


 だから決して、休暇になると実家に帰省するようなスタンスを取る事はせず、

既に豆腐屋を畳み単身で暮らす母親には、仕送りという形で毎月連絡を取り合っている。


 そんな時だったーー


「社長! 新規事業は、桜島の火山灰を全国に宅配でお届けするというのは??」


「却下よ。

貴方は住民が嫌悪するゴミを、物珍しさにたかる人にでも売りつける気?

そもそも、需要がどこにあると貴方は言うのかしら??」


「う、そ、それは、、」


 鹿児島に関連するものーーそのワードを聞いただけで、

私の中の負の遺産は掘り起こされ、心の中で絶叫する羽目になる。


 夏目リョウに恋をした事


 それは後にも先にも、私の人生における最大の負債だった。


 あの、私が私を殺した一ヶ月の期間は、恥辱に塗れていた。


 愛した人に振り向いて貰えない胸の苦しみ、

いつまでも経っても縋り付く彼の愛人を模倣した忌まわしい記憶。


 大学時代、私に出来た数人の彼氏は皆、自身に虜にさせ、

全てを捧げてくれるATMとして利用してやった。


 この世に恋なんてものはない。

あるのは全て、自身の容貌に魅了された

人間を籠絡し、一方的な搾取体系を作り出す事だからーー


 もし自分が誰かに恋するなんて事があったら、

その時にはもう、私は死ぬ事さえも厭わない自信があった。


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