第3話
「ぇ〜、結論から言うと、うちの住所がもうないみたいなんだよ……」
ジッカとやらにデンワなるものをすると言ってどこかに行っていた勇者が、帰ってくるなり辛さを隠せぬ表情でそう伝えてきた。
「なんじゃ? 分かりやすく説明せい」
「いや、充分わかりやすいと思うんだけど。つまりは……俺の帰る場所もここにはないってことかな」
あらためて帰る場所が無いと口にした勇者は酷く疲弊した顔になり、どっかりと地べたに座って項垂れてしまう。
「はぁ~、十六の誕生日にあっちに召喚されてから同じ年月経ってるなんて思わねぇよ……こういうのって都合よくこっちでは一日二日くらいしか経ってないてのがお約束何じゃねえのか? 父さんと母さん
どうにも力が抜けてしまっておるようじゃが、此奴がしっかりしてくれんとこれからのワシの生活も困るというものよ。仕方が無い、ガラでは無いが、慰めというものをしてやろうか。
「つまりは、ヌシも帰る場所が無いというわけじゃろ?」
「まぁ、端的に言えばそうだけど?」
「なれば、キサマもワシと同じく
「あの、言っている意味がちょっとわかんないんだけど」
「つまりは傷を舐め合う道化芝居をしてやろうと言うておる。トウフを食すためじゃシャッキリしてもらわんとワシも困るのよ」
「……一応、慰めてくれてるつもりなのかな。ハッキリ欲望を口にしてんのはあれだけど、なんか落ち込む気は失せてきたなぁ。うん、そうだな、ひとりじゃないと思うと気は楽になった」
力無くして項垂れていた勇者は妙に苦い笑いをしながら立ち上がるとワシを見おろし口端を上げる。
「ま、そもそも俺は向こうでも仲間なんていなくてひとりは慣れっこだったんだ。今回は道連れがいるだけマシってやつだわな」
「おうよ、キサマとワシは道連れ同士じゃ。短い間かも知れぬが、よろしく頼むぞ勇者よ」
何がおかしいのかも分からんが、気力が上がったのなら御の字よ。ワッハッハ。
「あ〜、そういやずっとキサマとかオマエとか勇者とか言い続けるのもアレじゃね? もし本当に一緒に暮らしてくっていうならお互いの名前は知った方がいいよな?」
「ナマエとな?」
「そ、俺は向こうでは「勇者ゴトウツヨシ」だったけどこっちじゃ勇者抜きの「
「フム、ワシは先代から魔王を押し付けられてから名は無いようなものじゃ。元の名も千年以上も呼ばれぬとワシ本人でも忘却の彼方じゃわい。よし、ヌシが適当に今から付けてくれ。それをここでのワシの名とする」
「いや、ワシの名とすると言われても、まさか本名を忘れてるなんて思わなかったな。ちょ、待てよ、なんとか考えてみるから」
言うとしばらく黙り込んで考え始めおった。適当でよいと言ったんじゃが聞いておらんかったんかのぅ。一時ほど名乗る程度のものじゃろうに。
「よ、よし、ノリカ……は、どうだ?」
「ノリカ? 何やら不思議な響きの名じゃが、意味はあるのかの?」
「こっちの世界、てか日本じゃ普通の名前だよ。意味はあるのかと言われても……特には無いな。あっちに飛ばされる前に好きだった芸能人の名前だったかな?」
「ゲイノウジン? とやらは分からんがまあよいわ。ありがたく頂戴するとしようかの」
今日からワシは「ノリカ」勇者は「ツヨシ」と呼ばねばな。
「これからよろしく頼むぞツヨシ」
「お、おう、ノリカ」
何をオドオドしてるんじゃ此奴は。まぁよい、しからばワシのやる事は。
「ツヨシ、この地で暮らす事を認められるものは何じゃ?」
「ぇ、住民表とか戸籍の事か? でもたぶん、俺の戸籍はもう」
「ふんふん、戸籍とやらが必要なのか? なに、無いならば少しズルをして作ればよいだけよ」
「作るって、どうやって?」
「なに、ワシの暗黒魔法でそれくらいちょちょいのちょいよ。幸い、漆黒の鎧を脱いだおかげで少しは楽になっておるからの。運命を一度だけ捻じ曲げるくらいは可能よ。足りぬ場合はヌシの魔力も借りるぞ」
「おいおい、こっちで魔法なんて使ったら大騒ぎだってっ、それにこっちで魔法使うとめちゃくちゃ疲れてただろう?」
「なに、一度だけなら神だって許してくれるわい」
「いや、神さまとかさ――」
「――うるさいのッ、ヌシだって瞬間移動の魔法使ったじゃろうが、ワシだって一度くらい使っていいじゃろうがッ! ワシはな、遠慮なくトウフが食える環境が欲しいんじゃいッ!」
「め、めちゃくちゃだ。てか、そんな豆腐程度の欲望で戸籍捏造するのかよッ」
「トウフ程度とはなんじゃッ。ワシにとっては重要よ。それに、捏造ではない。運命を捻じ曲げて最初からあった事にするだけじゃ」
見ておれニホンとやら、いまワシが一時だけの民となってやるからのぅ。ワッハッハッハッハ〜イッ。
――――ハッ!……ぁ、夢か、今のは?
「……随分と懐かしい夢を見たのぅ」
ワシは布団からムクリと身体を起こし、あまりにも鮮明なこちらの世界に来たばかりの頃を思い出す。お豆腐さんの美味さを知り、ツヨシからノリカの名前を貰ってからもう十年近くは経つのかのぅ。魔族のワシにとっては十年ぽっち、人間であるツヨシには十年も経ったと言えようか。戸籍を手に入れてからは魔法を使わずこちらの生活に慣れるのも苦労をしたし、一から仕事を始めるツヨシも大変じゃったのぅ。ようやく手にあった仕事と安住の地たるアパートを見つけてからも四年ほど経過したかのぅ。短いながらも濃密な十年よ。フフ、本当に此奴と
「ん――なんだノリカ、眠れないのか?」
「あ、すまんツヨシ、起こしてしもうたのぅ、明日も仕事があるのに」
隣で寝ておったツヨシのザラザラとした男らしい顎をそっと撫でておったら起こしてしまったようじゃ。明日の仕事も早いというのにワシとした事が。
「いや、それはいいんだけどさノリカ、ちょっといいか?」
ツヨシはムクリと起き上がり、特に眠気もなさそうにこっちを見つめてくる。なんじゃ、早く寝ないといかんじゃろうに。どうしたんじゃ?
「妙に真剣な顔じゃな。わかった、ワシに言いたいことがあるなら言うてみぃ」
「いや、そのたいした事じゃ無いんだけどさ。その、今日は下着、Tだったろ」
「ん?……下着、ティー? いや待てツヨシ、おまえこんな夜中に何いっとんじゃ?」
「いや、ちょっと気づいたらムラッときちゃって、今日一緒に風呂入ろうて誘ったのもさ」
「おま、そういう事じゃったんかい。バカらしいアホウじゃのぅ。あれはパンツルックで決める時に下着透け防止に履いとっただけじゃいッ。何をムラッとしとるんじゃッ」
「いや、好きな女のTに興奮しちゃうのは性ってやつなんだよ。俺、これじゃ明日の仕事全然手につかねえよッ!」
この、アホダンナーが、その程度で仕事が手につかなくなるんじゃない、こっちが恥ずかしくなるわい。この、嬉しくないわけではないが、なんじゃこのいつまでも新婚夫婦みたいなノリは。
「わかったわかった。じゃが夜も遅いし朝も早い、キス一回くらいまでなら許そう」
「キス一回……で、済むのかなぁ俺達の場合」
「俺達の場合じゃないわい。勝手にムラッときとるのはヌシだけじゃ。いいからキス一回でムラッ気は鎮めいっ!」
言うて、とりあえずの長めなキスでムラッ気を鎮めて貰う事にした。まぁ、結論から言うと仕事には遅刻しそうになったのじゃが――し、仕方あるまいっ、夫婦ならちょっと夜に気持ちが盛り上がったらハッスルするもんじゃろがいッ。うちだけじゃない、何処の夫婦もそうに決まっとる。そうと言ってくれ、でないとワシら、どえらいハッスル夫婦になってしまうッ。
異世界から飛ばされた元魔王と異世界から戻ってきた元勇者〜過去のお話〜 もりくぼの小隊 @rasu-toru
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