死海南岸の都市

連休

夕辺の読書

 『死海南岸の都市』


 タイトルに寄せる期待は、旧約におけるソドムとゴモラについて。私が期待して開いた書は、カインの話を始めようとしていた。旧約の…………カイン?





 嫉妬は誰に湧いたものだったのか?


 カイン?


 彼は…………神への供物にと、収穫した作物を捧げた。彼の心中には、ただただ神への崇拝と敬愛しかなかった。彼の弟アベルは牧畜の初仔はつごを供物とした。神はアベルに向き、神はカインを顧みなかった。

 歴史家や神学者がカインを、人類初の殺人事件を起こした者だと言う。

 私は、そうは結論づけない。結びつかない。

 神は…………カインの従事していた農耕を見ておられた。カインは寡黙に働き、悪天候に予測が裏切られても、不平を漏らすことなどしなかった。地にぬかづき、心は天を向いている。そのようなカインを、神が見ていないはずがなかった。





 旧約に描写があるのは、カインとアベルが兄弟だということ、二人はそれぞれに神への供物を捧げたということ、それらに神がどのようにしたかということ。事実と真実はいつだって、必ずしも一致しない。真意については、触れられない。私でさえ遠巻きだった。





 ここまで読んで、私は書を閉じた。

 この歴史家は信用ならない。


 最初の感想だ。そもそも、この、今私が手にしている書が、写しの写しの写しなのだ。オリジナルの原本がどうであったのか。オリジナルの存在自体、信じたとしての話だ。与太話の写本。そう切り捨てるのは簡単だ。がしかし私は、この書を閉じて、忘れる気にもなれなかった。





 カインはアベルを殺害した。

 カインは確かに自らの手と力で、アベルの息吹をとめ、命を奪ったのだ。死は結果であり、殺害は行き着く先であり、人は時に、他者へ向けた情動の限りが息の根を止めることに通じても、それらを微塵も考えつかずにぶつけるのだ。愚かしいカイン。アベルは死んでしまった。生きている時には、カインの荒れ狂う思いなど、何一つわかりはしなかったのに。

 描写などされるはずがない。記されてはならない。神は、カインもアベルも愛しておられたし、人の愚かさと無知なる幼さも見ておいでになられたのだ。

 地に落ちて流されたアベルの血は、黙っていなかった。カインに殺された。カインに命を奪われた。カインに息吹を止められた。どれだけ叫び、神へ訴えたことだろう。

 神はカインを問いただした。カインは知らないと、私は弟の番人なのですかと答えた。カインは、アベルを死に至らしめてしまうなど、思いもよらなかっただけなのだ。どうあれ、カインはこの罪で追放の身となった。

 カインは生きていかれない、と神に言ったそうだ。生きて、いかれない…………そうだろう。神のみもとから放り出されて、祈りは遠く、それでどうして、生きていかれよう。

 カインが本当に恐れていたのは、復讐や迫害に討ち殺されることではなかったはずだ。神から遠く離されること。それがカインの憂えたことだった。

 慈しみ憐れみ深い神よ。また、神は他の何者にもカインを罰することをよしとはされなかった。追放者となりえたカインにしるしをお与えになられて、カインを殺す者には七倍の復讐があること、カインは誰にも殺されないことを伝えた。神は、もはやカインが耕作をおこなっても、作物は収穫出来なくなる事を伝えて、カインをエデンの東にあるノドの地へ追放された。





 私は一旦、書を閉じて置いた。

 旧約の記述から、大きくれている訳ではない。この歴史家は、幾分感情的に文章を書き過ぎている。それがどうにも、心をざわつかせるのだ。注意深くあろうとするのに、入り混じる…………よく知りえる者、近しい者、そのようなものが書く文章だ、これは。

 『羊の群れの中から肥えた初子はつごを神に献げた。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた』(創世記、四章四〜五節)

 この出来事により、カインは激しい怒りと嫉妬をいだき、最終的に弟アベルを殺害するに至った。カインコンプレックスとされる象徴的事例で、名称もカインに由来する。

 私は、ユダの裏切りによってはりつけとされたキリストの、祈りの言葉を思い出す。詩篇二十二篇、『Ελι ελι λεμα σαβαχθανιエリ・エリ・レマ・サバクタニ』(私の神よ、私の神よ、何故私をお見捨てになるのか)……神の子イエス・キリストをもってして、ここまで絶望させるユダヤの神について。私は、全く造詣が浅くて理解に苦しむが、旧約でもカインにこの仕打ち。宗教とは、信仰とは、なんとも難儀なり。

 いったい『死海南岸の都市』は、いつ出てくるのやら……





 カインはノドの地で、息子のエノクが産まれ、最初に建設した都市に息子の名前をつけた。『נודノド』は、ヘブライ語で『לנדוד放浪する』という意味の言葉と同じ由来を持っている。

 ノドがどのような地であったのか? その解釈はどれも的を射たものではなかった。カインは追放されて尚、その心は神のみもとから離れてはいなかったのだ。





 まただ。

 何が、この歴史家に、カインへ肩入れさせるのだろう? 彼の視点は…………透明なドローンにでもなって、カインを追っているかのような描き方だ。

 歴史家なら、そこはノドの地が、神の恩寵から離れた不毛なる場所とされた、信仰のないユダヤ人を指す言葉になった、光の届かぬ地下説すらあった、そういったものをあげるべき箇所であろう。

 ましてや、カインの心は信仰を失ってはいなかっただって? どうしてそんなことがわかる。カインは結局、理不尽な追放の憂き目に遭って、流刑るけいとされたんだぞ?

 だいたい、彼は、アベルの妻であるルルワを巡る争いが背景にあったことを、何故書かない? 言及すべき焦点が、カインに合い過ぎている。これでは、近視眼的盲目と揶揄やゆされても、くさせないだろう。





 私は、夜食前に始めた読書を中断した。

 思い上がりの、浅薄せんぱくで、迂闊な歴史家が残した書。やたらカイン贔屓の、私情で書かれた…………私は書を掴んで、積ん読の、埃と忘却の棚へ…………入れずに、机の上へ静かに置いた。夜食はやめだ。紅茶を淹れて、ウイスキーを入れる。

 カインを語る歴史家がどんなものか、私はまだ何も知ってはいない。

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