第2話 さあ大変だ

なぜ、一般人の乗っている旅客機のエコノミーシートなのだ?

なぜ、よりにもよってタバコなのだ?

舞の頭の中は大混雑していた。


 すると今まで黙って腕を組んでいた黒人男性がゆっくりと語り出した。


「先程ジョン様は君に対して『希望』という言葉を用いられたが、これはすでに決定したことだ。

 ジョン様が決定なさったことは、世界が決定されたことと同義である。よって、君達に拒否権はない」


 もう相手は話の通じる相手ではないと舞は判断し、とりあえず機長に相談をしようと思った。

非常に馬鹿馬鹿しい相談になることは明らかだったが……

舞は、精一杯のビジネス・スマイルを見せ、


「すいません。機長に確認を致しますので……」


 と言った。

すると、黒人男性はそれに対し、


「君たちの上司も我々のメンバーだが、それで君の気が済むならそうするといい」


 などという。舞にはなにか、目の前に4人の男達が座っている情景が、悪い夢の中なのではないかと思い始めてきた。

仕事のしすぎだ……。こんなこと夢に決まっている。

現実を取り戻すために、一旦、舞はこの事実を持ち帰って相談相手に話すことにした。この場合は機長だ。

しかし、この直後舞に訪れたのは、現実をも超越する悪夢だった。

先輩のCA、成瀬が駆け込んできて、舞の肩を叩いたのだ。


「機長から、エコノミー室で何が起きてるか説明しろって……」


「え?」


 え?を聞き終えた老人は、舞に対し、不自然なまでに白い歯を見せて声を出さずに笑った。


 NH212便のコックピットは、混乱状態の最中にあった。無線からは色々な人物がNH212に向けて話しかけていた。

それは主にヒースロー空港の管制塔と、成田空港の管制塔、そしてANAの本社、だけではない。横田、座間の米軍基地からも連絡が来ていたのだ。

機長以下コックピットの乗務員はその対応に追われていた。


 舞が無線機でコックピットと通話をはじめると、機長の吉田から開口一番、


「何があったんだ」


 という言葉が飛んできた。それは舞が知りたかった。


「本社から今連絡があった。 ANAの株が大暴落を起こしている。 その原因がなんでも、この機にあるんだそうだ」

 

「はい!?」


 舞は、今にも貧血を起こして倒れそうだった。そこに追い討ちの事実が舞い込んでくる。


「それと、日本の外務大臣、並びに総理大臣から通達が来ている。

 あとは日本にある英、米、中、露、を中心とした50カ国……以上の大使館から、この1時間で一斉に声明文がANA本社に届いたそうだ。

 内容はどれも一緒で、『212便、エコノミークラスに搭乗しているVIPの要望に応えろ』だそうだ。

 無線はヒースロー空港、成田空港、ANA本社、さらには米軍基地からの通信が交錯している。

 各機関がそれぞれの立場で指示を求めていて何が何だかわからんが、

 この要求が通らない場合、我々は成田空港に着陸できないそうだ」


「ええ……」


「その要求というものについて、なにか聞いているか?」


「……タバコを吸いたいとおっしゃってます」


「タバコ!? 無理だ無理!! それは無理だ! 機内は禁煙だぞ!?」


「ですよね……」


 すると、成瀬先輩がまた駆け込んできた。


「舞ちゃん?31Eのお客さまが舞ちゃんに用事って……」


「なんで私?」


「とにかく来てほしいって……」


 舞が向かうと、先ほどと全く同じ表情の老人が待ち受けていた。

老人は、左の白人男性に「ア……」と耳打ちをすると、白人男性は威圧的な声で舞に語りかけた。


「たった今、ジョン様の意志がお変わりになったそうだ」


「はあ……」


「ジョン様の希望は、エコノミークラスに搭乗している全員で、一本のタバコを吸いたい。そうおっしゃっている」


「いやそれは無理ですよ! 子供だっているんですよ!?」


「アー……」


 老人は、またもや舞がそう言うことなどとうの昔に予測済みだと言わんばかりの笑顔を見せ、何度も頷いた。

すると右端に座っていた黒人男性が立ち上がり、頭上のトランクを開け、大きな鞄を取り出した。


 鞄の中には、見たことがない銘柄のタバコが大量に入っていた。 

……どうやって税関を通ったのだろう。金で交渉したのだろうか。

黒人男性は、このタバコについて説明を始めた。


「もちろん、機内の乗客の健康を損なうことがジョン様の望みではない。

 タバコが吸えない者もこの中にはいるだろう。それに対する我々の解答がこれだ。

 これは、ニコチンやタールと言ったタバコの有害物質と言われている成分の代わりに、

 キキョウ、キョウニン、セネガ、カンゾウ等の漢方を粉末状にしたものが巻かれている。

 よって1本だけなら赤ん坊が吸っても健康に影響はない。むしろ喉がスッキリするはずだ。

 この機内の禁煙者に対して我々はこちらの製品を無償で配るとともに、エコノミークラスの乗客全員に、相応の迷惑料を支払うつもりだ。

 もちろん……

 大暴落したであろう君の会社の株もすぐさまケアーしよう。色をつけてな」


「あの……どうしてそこまでして、この機内でタバコが吸いたいのです?」


 すると黒人男性はそのままの姿勢で答えた。


「それが、ジョン様の最期的な望みだからだ」


 まるで理由になっていない。そこに成瀬先輩が駆け込んできた。


「今、機長から、『すぐやって』って」


「『やって』って何をですか?」


「『この人たちの言うとおりにして』って」


「え、この危なそうなタバコをお客様に配るわけですか!?」


「懸命な判断だろう」


黒人男性が話に割って入った。


いっそ、ハイジャックでもされた方がまだよかったかもしれない……舞は微笑む老人を前にそう思った。



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