第2話 ふしぎな森で

 八条八条夏生なつおは見知らぬ森の中にいた。

 もとより森の植物には詳しくないが、どこか現実感を喪失したような不思議な場所だった。

 行くあてもなく近くにあった切り株に腰を下ろして力なく項垂れる。

 なにを間違えたのか。

 そんな悩みを持てるほど、そもそも正しい選択はしてこなかった。

 自分が卑怯者であることくらい、誰に言われずとも理解している。

 ただ、それでも胸に抱いた想いはホンモノだった。

 彼女は命の恩人で、とんでもない美人で、不思議な力を持った魔法使いだった。

 そのどれが恋に落ちた理由だったのかは、いくら考えても判然としない。

 どちらにせよ切っ掛けなどに大した意味はないはずだ。

 彼女といれば、それだけで心が躍った。

 彼女が笑えば、それだけで幸せだった。

 だけど、彼女が愛していたのは夏生ではなく、彼の親友だった。

 そして夏生の親友もまた彼女のことを……。

 最初はふたりが結ばれる手伝いをしようとした。

 しかし、彼女が抱えている事情を知って、そこにつけ込む隙を見つけたとき、夏生はもう躊躇わなかった。


(つまりは、言い訳のしようもないってことだ)


 胸中でつぶやき大きく肩を落とす。

 偽りの恋人として彼女と過ごした日々は天にも昇る気持ちで、自分のしていることを、ろくに顧みることはなかった。

 罪悪感を抱かなかったわけではない。

 無理やり押し殺して見ないフリをしていたのだ。

 しかし、彼女と親友の間にあった、より深い秘密を知ったいまでは、とてもそんなふうには振る舞えなかった。

 あやまってすむ問題じゃない――そうは思うが他ならぬ親友は夏生を咎めようとはしない。

 それがなおさらつらい――などと言えば嘘になる。

 残念ながら夏生はそんなに格好良くはない。

 正直に言ってほっとしていたのだ。

 そのくせ、そんな自分に嫌悪感を抱いている。


「僕は本当にダメな奴だ……」


 泣きそうな顔でつぶやいた、そのときだ。

 森の向こうから見知らぬ男の子が奇妙な生き物を引き連れて駆け寄ってきた。

 どうやら夏生の憔悴ぶりが気になって声をかけてくれたようだ。

 男の子は紫色のローブに、同じ色をしたとんがり帽子を被っている。まるで魔法使いのような出で立ちだ。

 少年の後ろにいる動物は虎と兎のようだが、なにやら擬人化されているようで実在の虎や兎からはかけ離れた見た目をしている。

 その一行については、なんとなくどこかで見たことがある気がするが、よく思い出せない。

 ただひとつ確かだと思えるのは、これが夢だということだ。

 目の前のなにもかもに現実感がなさ過ぎる。

 いや……。

 ひとつだけシビアなほどに胸を締めつける、この後悔だけはどこまでもリアルだった。

 それでもなんとか笑みを浮かべていると、心配した少年が事情を訊ねてきた。

 まさかそのままを伝えるわけにもいかず、夏生は自分の心情を抽象的に伝える。


「心が……疲れちゃったんだよ」


 口に出してから、それが事実だということに気づく。

 いっそ、もう家には帰らず、このままゆっくりと旅をするのも悪くはない気がする。

 恋しい彼女の名を連想させる、この空を見つめながら。

 抑えきれない慟哭に夏生が泣きそうな顔をしていると男の子もまた泣きそうな顔になっていた。

 どうやら、他人の痛みに共感できる、やさしい少年のようだ。

 夏生が目の前で涙を流せば、さらに悲しませてしまうだろう。

 そう思って涙を堪えていると、少年たちはそれぞれにお菓子を取り出して、それを空に掲げた。


「あまい あまい 魔法さん お兄さんに 笑顔を届けて!」


 その言葉は、まるで不思議な呪文のように夏生の心に染み入ってくる。

 激痛を和らげる薬のように胸の慟哭を沈め、代わりに暖かい火を灯した。本当に魔法のようだった。

 夏生の目尻から涙がこぼれ落ちるが、それはもう悲痛なものではなくなっている。


「ありがとう」


 素直な気持ちで告げて、少年たちと並んで切り株に座り直すと、夏生は少しだけ事情を口にした。

 大変なことがあったこと。

 過ちを犯してしまい悲しかったこと。

 それでも確かに楽しい日々だったことを。

 話しながら、夏生は自然と決意を固めていた。

 自分は確かに酷い過ちを犯したが、だからといって彼女と親友の恋路を悲しいままにはしておけない。

 ひとり勝手に自分にはもうなにもできないと決めつけていたが、それは早計だった。

 少なくともやる前からあきらめてはいけない。

 信じれば奇跡は必ず起きる。

 いや、起こせるはずだ。

 悲しみを笑顔に変えてくれた少年の魔法が、夏生にそれを教えてくれた。

 ゆっくりと立ち上がると夏生は少年に別れを告げる。


「いつかまた会おう。そのときは、きっと楽しい話を伝えられるはずだから」


 笑顔を向ける夏生に少年も輝くような笑みをくれる。


「いってらっしゃい」


 元気に手を振ってくれる少年たちに、一度だけ大きく手を振り返すと、夏生は森の出口に向かって歩き始め歩き始めた。



「だからさ、また会おうって約束したんだよ」

「それはさっきも聞いたけど、夢の話なんでしょ、それ」

「いや、あれは現実だよ。僕はきっとあのとき、時空を超えて、みっくんの住む世界にワープしていたんだ」


 力説する夏生だが、綺理華きりかは苦笑するだけだ。


「そのみっくんってのいうのが異世界人なら、まあ百歩譲ってそれもアリって気がするけど、絵本の登場人物じゃあねえ」

「絵本の世界が実在していたって不思議じゃないだろ」


 口を尖らせる夏生を見て綺理華が肩をすくめる。


「いや、不思議だし」

「もういいよ」


 拗ねてそっぽを向く夏生。

 困ったように笑いながら、綺理華は隣を歩く友人に意見を求めた。


「どう思う? 綾子あやこ

「そうねえ……」


 天使たちから魔女のひとりと目されている少女は、少し考え込むと、記憶を掘り起こすような顔で答えてくる。


「前に聞いた話だけど、すべての世界は幻想で、幻想は世界のタマゴだって説があるらしいの」

「タマゴ?」

「ええ。それによれば、この世に無数に存在する並行世界のすべては、元々は誰かが思い描いた幻想なんだって」

「まさか……。それだと一番最初はどこから生まれるのよ?」

「よくは分からないけど時間も空間も飛び超えるから、後とか先とかは意味がないのかもしれないわ」

「都合のいい話ね。それだと確かになんでもありにできるわ」

 やや呆れたように笑う綺理華。

「わたしもそう思うけど……」


 綾子はうなずいた上で、前を歩く夏生の背中を眺めながらつぶやいた。


「でも、夢があっていいじゃない」

「まあね」


 これには綺理華も同意した。

 ふしぎな森で夏生が出会ったみっくんが、ただの夢なのか、それとも遠い異界の人物なのか――もちろん本当のところなど知るよしもない。

 ただ、それが物語の登場人物であろうとなかろうと、みっくんという個性が夏生の心を救ってくれたのは事実だ。

 ならば夏生の幼なじみとして、やはり、みっくんには感謝しなければならない。

 綺理華はこっそり、そんなことを思った。




※「みっくんの魔法使いの日々」魔法使い111日目にインスピレーションをいただきました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まほうつかいに憧れて 五五五 五(ごごもり いつつ) @hikariba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画