第3話


 それから俺のフィンブライト家での日々が始まった。


 初日に思いきり胸を触るという事件があってから、フィオナの身体には指一本触れていない。

 レジナルドはしきりに調律を薦めるのだが頑なに拒否されていたのだ。


 仕方が無く俺はレジナルドやロレッタを相手に調律のスキルを磨く日々を送っていた。


 更にダンジョンへの探索訓練の際はパーティにFランクの魔法剣士として加わるようになった。

 そして、今日も森への探索へ付いてきていた。


「ねえ、レジナルド? 今日は深いとこまで来すぎてないかしら?」

 おどおどと周りを見渡しながら、フィオナはレジナルドに言う。


「タクト君も慣れてきたようですから、探索範囲を広げようと思いまして」


「とはいっても、Fランク剣士ですよねー」


 メイドのロレッタが言う。

 人手不足のフィンブライト家においては、探索は一家総出である。


「まぁ、そうですが、フィオナ様の露払いくらいはできるでしょう」

 俺はフィオナの方を見た。


 フィオナも俺の方を見ていたらしく眼が合う。彼女は恥ずかしげに眼を伏せた。どうやら、胸触り事件はあったものの嫌われてはいないらしい。

 

◆◆◆◆


「さ、どーぞ、フィオナ様」

 ロレッタが皮の水筒を手渡して来た。私はそれを受け取って一口飲んだ。


「ありがとう」

 森に入ってから、幾度かのモンスターとの戦闘を行って、今は安全な木陰で休憩を取っている。休憩といってもレジナルドとタクトは見張りをしてくれている。


「ねえ、フィオナ様、やっぱり調律受けた方がいいですよ。さっきも火球魔法が暴発しかけてましたよね」

 ロレッタの言葉に、私は俯いてしまう。


「……うん。でも、怖くて」


「やっぱり、あのアホ貴族たちのせいですか?」


「う、うん」


 ロレッタの言うアホ貴族とは、貴族の次男や三男坊の子息たちのことだ。

 没落貴族である私の家に婿養子として入り、我が家の当主になろうとしつこく婚姻を迫って来るのだ。

 

 そして何より、私を舐るように見るあの眼が、たまらなく嫌だ。


「男がみんな、あんな感じじゃないですけどねー」


 確かにタクトは貴族の子息に比べると嫌な感じはしない。ずかずかと人の間合いに土足で入ってくるようなことはせずに、距離を測りながら、しっかりと私の周りに気を配っていてくれている。

 それはこうやって探索を繰り返すうちに分かってきた。


「少なくとも彼は私たちに溶け込もうとしてくれてますよ。フィオナ様は彼が嫌いですか?」


「え、そんなことは、ないけど……」


 その私の反応を見て、ロレッタはにっこりと微笑んだ。


◆◆◆◆


 レジナルドの剣がサソリ型モンスターの外殻を叩き割った。

 凄まじい太刀筋だった。

 返す刀で周りのモンスターたちも斬り伏せていく。俺はただそれを見守るだけで戦闘は終わってしまった。


 パーティの編成は前衛をレジナルドが務めて、後衛にフィオナとロレッタ。そして俺が前衛と後衛との間を守る位置に居る。

 しかし襲いかかってくる敵のほとんどをレジナルドが斬り伏せてしまうので、あまり出番がない。


 たまにフィオナの魔法の練習にと弱いモンスターを寄越してくるので、俺は手出しをせずに後衛に譲るのだが、フィオナの魔法は常に暴発ギリギリの威力でぶっぱなされるので、それを避けるのが命がけだ。

 

 俺は前方のモンスターよりも後方の仲間に怯えながら森を進むのだった。




「妙な気配がしますね」

 レジナルドが立ち止まった。

「そうですか?」

 俺は周りを見渡しながら言った。


「何か来ます!」


 珍しくレジナルドが焦りながら叫んだ。


 それは突然現れた。


 レジナルドが警戒していた前方からでは無く真下から。

 突如として、地面が盛り上がって土が爆ぜた。

 土煙を巻き上げながら現れたのは、人の胴体程の太さの巨大なヘビだった。


 巨大ヘビの眼が怪しく光って襲いかかってきた。俺は突然の出来事に動けない。


「動きなさい!」

 レジナルドが俺に体当たりしてきた。俺はなんとかヘビの一撃から免れたが。


「レジナルドさん!」

 彼は巨大な牙を剣で受け止めていた。しかし巨大ヘビがその身体を捻る。

 すると尻尾が真横から飛んできた。それをまともに喰らったレジナルドは木に叩きつけられた。


「逃げるよ! レジナルドさんを担いで!」

 ロレッタが前に出ながら言った。


 そして手元から取り出した薬瓶を巨大ヘビへ投げつけた。頭に命中したそれはジュッという音とともにヘビの頭部を微かに焼いた。


 ロレッタが先導して退却をする。俺はレジナルドを担いで駆け出した。


◆◆◆◆


「――不覚を取りました」

「動かないで、今、治癒魔法かけるから」

 苦悶の表情のレジナルドにロレッタが告げる。彼女の手がほのかに光る。


 なんとか洞穴に逃げ込んだ俺達は、巨大ヘビの追跡をなんとかかわせたようだった。しかし、再び森に出れば見つかって襲われかねない。それにここも今は安全だがいつ見つかってしまうかも分からない。


「私を置いていきなさい。そしてロレッタ、貴方が囮となって、フィオナ様とタクト君を逃がしなさい」

 レジナルドが言う。しかしそれにフィオナが反応する。


「そ、そんなこと、駄目です!」

「フィオナ様に生きてもらわなければ、私は先代に顔向けできません。どうか分かってください」


 フィオナは涙を浮かべて歯を食いしばっている。泣き出しそうな顔で理屈と感情の間で葛藤しているのがうかがわれた。

 俺と大して年も違わないこの娘は、当主としての使命の重圧の中で、家の存続の為か従者の命かの選択をしようとしている。


「俺が行きます。部外者の俺が囮になります。ロレッタさん、レジナルドさんを歩ける程度までに回復させて下さい。アイツを遠くへ引き連れていくので、フィオナ様を連れて逃げて下さい」


 そうだ、この案が一番良い。俺が囮になるのが一番しっくりくる。


「じゃあ、そういうことですから」


 俺は皆の反応を見ることも無く、洞穴を飛び出した。


◆◆◆◆


 森の中を走り回る。ヘビは確か振動に敏感だったはず。それを考慮してできる限り大きな音を出しながら走り回った。


 横の藪ががさりと音を立てた。来たかと思って身構える。しかしそこに現れたのは意外な人物だった。


「フィオナ様! どうしてここに!」

 フィオナは足を震わせながらも、決意を胸に秘めた顔でこちらを見つめている。


「部外者ではありません」


「え?」


「貴方はもう部外者ではありません。私の、フィンブライト家の大事な人間なのです!」


 そのフィオナの真っ直ぐな瞳は胸を衝く。しかし、今はそんな場合ではない。


「そんなことを言う為にわざわざここに? 早く逃げて下さい!」


「当主として貴方を見捨てることはできません!」


「そんなことを言っても……」

 弱った。責任感は強い方だと思っていたけど、まさかこんな行動に出るなんて。


「策ならあります」

「策?」


 フィオナは自身の胸に手を当てる。


「わ、私を、私を調。私の魔法さえ上手く発動できれば、あの程度のモンスターなら敵ではありません。だ、だから、私の胸を……」


 顔を羞恥に染めながらフィオナは言う。


「ぶっつけ本番で上手くいくか判りませんよ?」


「そ、それでも、この策以外に、皆で帰る方法を私は思いつきません」



 その時だった。遠くの藪からあの巨大ヘビが姿を現した。遠目でこちらを認識したそいつは、大きな身体をうねらせながら牙を剥く。


「こっちです!」


 俺はフィオナを抱きかかえて木の陰へ身を隠した。しかし奴が地面を這う音が確実にこちらに近づいてくる。


 俺の腕の中でフィオナが手を握ってきた。


「や、優しくしてくださいね」


 そのままフィオナは自分の胸に俺の手を沈めた。

 手の先が柔らかいものに包まれる。


 突如として手を伝って俺の中に魔力が流れ込んできた。


 戦場で、しかも頼れる従者もいない状況、彼女の感情はいつもより荒れている。それが如実に魔力の奔流として伝わってきた。


 だが動揺している暇は無い。奴はもうそこまで迫ってきている。

「呪文の詠唱を!」

 俺が叫ぶとフィオナは眼を閉じた。そして意識を集中させる。


 それに伴って彼女の魔力はいっそう荒れ狂う。俺はそれをすべて受け止めて己の身体の中で整える。


 不思議な感覚。初めて触れる魔力なのに全てが意のままに扱える感覚だった。


 相性が良いはず、そんなレジナルドの言葉が思い出された。


 巨大ヘビが目の前に現れた。


 その時だった。フィオナの手がかざされて光り輝く。


「【煉獄炎ヘルファイア】」

 目の前が地獄の業火で燃え上がった。


 炎に包まれた巨大ヘビは身体を大きくうねらせながらのたうち回る。

「や、やりました!」

 フィオナが歓喜の声をあげる。俺も思わず拳を握った。


 しかし目の前であり得ないことが起こった。


 巨大ヘビが炎を脱ぎ捨てて、中身が飛び出してきたのだ。


 迫るヘビの牙を俺は腕で受け止めた。牙は腕を貫いて肩にまで食い込んだ。

 ヘビの後ろでは奴が脱ぎ捨てた外皮が燃えている。

 奴は身を焼き尽くされる寸前で脱皮したのだった。


「タクト!」

 悲痛な声でフィオナが叫ぶ。

 

 腕と肩が燃えるようだ。なんとかフィオナだけでも逃がそうと考える。だが不意にレジナルドと初めて会ったときの会話が頭をよぎる。

 自分の命を投げ売って助けますか――あの質問に俺は――。

 

 朦朧とする意識の中で、俺の頭がそれに辿り着いた。諦めていたら終わっていた。

 俺は笑う。この最大のチャンスに。


調

 牙に貫かれた腕に意識を集中させた。


 そして、牙を伝ってヘビの中に魔力を注入してやった。

 魔法を術として使えないモンスターであってもその内部には魔力の流れがある。その流れをぐちゃぐちゃにしてやった。

 いわば、調だ。


 魔力の流れの混乱で巨大ヘビは動きを止める。


 その大きく開いた口の中を目掛けて、フィオナは再び手をかざす。


「【豪火球ブレイジングスフィア】」

 ヘビの内部で特大の火球が弾けた。その衝撃で奴の身体は千切れ飛んだ。


 そしてその熱波で俺たち二人も吹き飛ばされたのだった。




「――フィオナ様、大丈夫ですか?」

 俺は起きあがる気力も無かったので、寝転がってフィオナ様を腕に抱いたまま尋ねた。


「は、はい……なんとか」

 フィオナも俺の腕の中から動こうとしない。

 ただ顔だけ俺の方へ向けた。俺も彼女の顔を覗き込み視線が合う。


「こ、怖かったです」

 そう言いながら口元に笑みを浮かべるフィオナ。俺も苦笑いで言う。


「俺もです」


◆◆◆◆


 いつも通りの荒れた流れの魔力が手に伝わってくる。


 俺はそれを宥めるように優しく整える。

 そして、なだらかになった魔力を彼女へ返してあげる。


 俺とフィオナは両手を繋いでいた。


 本来ならば心臓に近い箇所の方が調律はしやすいのだが、胸はさすがに抵抗があり、腕や肩もくすぐったいとのことなので、繋ぎやすい手の平を合わせて調律をしていたのだ。


 魔力の流れが安定したフィオナはすぅっと息を吐いて眼を開けた。

 そして上目遣いで俺を見る。

 彼女は俺の手を離そうとしない。


「あの、フィオナ様? 終わりましたよ?」

 フィオナはそれでも手を離そうとしない。そして手から伝わる魔力の拍動がより強くなった。感情が高ぶっている証拠だ。


「わ、わたしはフィンブライト家の当主として何事にも最善を尽くさなければなりません。ですから、タクトも私の調律に最善を尽くして下さい」


「あ、はい」

 突然、話始めた彼女の言葉がいまいち理解できずに、俺は気の抜けた返事をする。


「で、ですから、手の平では調律が不完全であるならば、そ、その、心臓の近くで……」

 フィオナは湯気が出そうな程に顔を赤らめている。


「それはつまり……」


「…………」


 俺の言葉にフィオナは答えない。ただ、こくんと頷いた。


 それから俺は何と答えたかはあまり覚えていない。


 ただ、手の平を通して伝わるフィオナの魔力が体の隅々にまで染み込むような気がして、彼女の手を優しく握り返した。




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無能な転生者はフィンブライト家令嬢専属の魔導調律士として雇われる 沢城侑 @sawakiyu

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