第2話
そして、冒頭の状況に至る――。
俺は屋敷に到着するなり、メイドのロレッタの前に座らされて、腕を触れと言われたのだ。
手汗がひどいと言われたが、女の子の手も握ったことも無い俺がそうなるのも仕方がない。
「そんなに、緊張してたら、心臓――胸を触るまえに倒れちゃうよ」
ロレッタがささやく。
「む、胸?」
反応したのは後にいた少女だった。
彼女はロレッタと執事のレジナルドの主であり、名をフィオナという。
フィオナは自身の胸を手でガードするようにしながら、怪訝な表情を見せている。
「ああ、大丈夫ですよ。フィオナ様。私で練習させますから、痛くないように――――てか、痛ったーい!」
レジナルドのげんこつがロレッタに振り落とされた。
「真面目にしなさい」
レジナルドは微笑みながらも殺気を放ちながら言う。
「それで、タクト君。どうですか、できそうですか?」
俺は手の平に意識を集中させた。手触りではなく魔力の集中だ。
ロレッタの腕の魔力の流れを必死に感じ取る。わずかだが彼女の腕の中で脈打つ感覚を感じ取った。
そしてその脈動に自身の意識を溶け込ませる。次第にロレッタの呼吸と俺の呼吸がシンクロし始めて――。
「よろしい」
レジナルドの声で俺は意識を自分に戻した。
「初めてでここまでできるとは、やはり私の眼に狂いはありませんでした」
調律士――正確には魔導調律士というらしい。魔法の術式を魔導士に合わせてカスタムするのが主な仕事らしいが、体に触れながら魔力の調整を行う――直接調律ということも仕事の内らしく、直接調律によって魔導士に正しい魔力の流れを教えることができるのだ。
そして、それは触れる箇所が心臓に近いほど良いとされており、ロレッタが胸を触ると言ったのはそれをさしてのことだった。
「でもさー。レジナルドさんでも難しいのに、この人でフィオナ様の調律できるの?」
ロレッタがレジナルドを見上げて言った。
「私は調律が本職ではありませんから」
「この人も、本職じゃないでしょ? 一応は魔法剣士みたいだし」
「私の予想が正しければ、フィオナ様とタクト君の相性は抜群のはずです」
「にゃは、体の相性ってこと?」
ロレッタが口に手を当てていたずらっぽく言う。無言で拳を振り上げるレジナルドだったが、
ロレッタはささっと椅子から逃げてフィオナの後に隠れた。フィオナはまたしても顔を赤らめている。
レジナルドは拳を静かに降ろしてコホンと咳払いを一つ。
「さて、フィオナ様、こちらへどうぞ、早速始めましょう」
フィオナはおずおずといった様子で俺の前に座る。
視線を彷徨わせていて時折上目遣いの彼女と眼が合うのだが、すぐに逸らされてしまう。
「では、タクト君。フィオナ様の胸に手を触れてください」
俺は言われたように、フィオナの腕へと手を伸ばす――――え、胸って言った?
「む、む、む、胸ぇ!」
フィオナが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「ど、どうして、胸なの! ロレッタの時は手だったのに!」
会った時のおとなしい口調とは打って変わって、叫ぶようにフィオナは言う。
「それはお試しだったからです。彼の現時点の力量は分かりました。ですので今からは本番をします」
「本番……」
愕然としながら呟くフィオナ。
淡々と語る執事と俺達の温度差がすごい。
「でも、いきなり、胸と言うのは」
俺もフィオナに賛同する形で抗言するのだったが。
「貴方には拒否権はありませんよ」
取り付く島もなかった。
「さぁ、フィオナ様、このまま我がフィンブライト家が落ちぶれていくの座して待つのか、それとも再び栄光をつかむのか、今がその分水嶺です」
執事は大げさなことを言い出した。
俺には事情は分からないが、栄光を掴む為に見ず知らずの男に胸を掴ませろと、主に言っているのだ。
紳士然としながら、結構鬼だなこの人。
フィオナはうぅぅと言いながら、観念したように俺の前に座った。
「い、痛くしないで、下さい……」
涙目で彼女が言う。
俺も覚悟を決めて手を彼女の胸へと伸ばす。情けないくらいに手が震えている。
彼女は注射を打たれるときのように、横を向いて唇を噛み締めている。
触れるか触れないかのところで俺の手が止まる。
再び彼女の顔を見た。眼を閉じて何かを必死に我慢している顔だ。
それを見るとなんだかすごく可哀想に思えてきた。
やっぱりやめよう。そう思った時。
「さっさとやる」
ロレッタが俺の手を掴んでフィオナの胸に押し付けた。
手の平に伝わるのは予想を遥かに超えた神の感触――。
「ギャー」
魔力を纏ったフィオナの平手打ちで俺は吹き飛ばされた。
◆◆◆◆
フィンブライト家は探索者の家系として由緒正しき家柄だったらしい。フィオナの祖父が当主だったころは、何人もの家人を従えて、未開の森の踏破を成し遂げたとか。
しかし、フィオナの父の代に変わると一変する。
病弱な父は探索に出るどころか家の外に出ることすら出来なかった。
それでも祖父が蓄えた資産を元手に、他家の探索者への投資をしていたのだが、頼りにしていた他家の探索者がダンジョンで帰らぬ人となってなってしまい、資産は泡と消えたのだ。
そして間も無く病死した父に代わって、母が家を切り盛りしていたが、その母も辛労がたたり、昨年亡くなったとのことだった。
「――じゃあ、あの子のもとには」
「はい、私とロレッタしか残っておりません」
そして、フィオナは若くしてフィンブライト家の当主となり、探索者としての道を進みだしたのだったのだが。
「魔導士としての素質において、魔力量は申し分無いのですが、技術があまりにも未熟なのです。本人はその技術を磨く為に努力はしているのですが……このまま努力だけに任せておける状況ではありません。
かといって高額な転生者を雇うお金もフィンブライト家にはありません」
「それで、売れ残りの俺を調律士に」
「本来の魔法剣士ではなく調律士として雇われたことは不本意だとは思いますが。ですが、我がフィンブライト家の為に助けて頂きたい」
レジナルドはそう言って頭を下げてきた。
俺には向いていない。そう思った。
調律士とかいう職業にという話では無く、こんなに人に期待されて責任があることが向いていない。
転生する前も何となく生きていて、この世界に来てからも大した努力もしてきていない俺にとって、誰かに期待されることなんて今まで無かった。
どう応えればいいのかわからない。
俺はこの先のことを思って深い溜め息をついた。
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