第3話 思い出のスカート

 大学の裏にある喫茶ヤマガラで特製のオレンジ色のクリームソーダを飲みながらさあちゃんが尋ねた。

「いつスカートに興味を持ったん?」

 カフェオレをゆっくりと一口のむと、カップを置いた。

「中学生のとき。中学三年の時にさ、制服が男女共用になったん――」

「それで? もしかして、スカート履いて行った?」

「うん」

「どうなった?」

「注意を受けた」

「ありゃ」




 俺が通っていたのはのんびりした公立中学校だった。近隣の三つの小学校からところてんのように押し出された卒業生がしばし滞留し、ざっくりほどけながらいくつかの高校に散っていく。熾烈な受験勉強とは無縁の穏やかな地域で、数年前から議論になっていたのが制服の男女共通化だった。議論を重ね、出された答えは、俺の通っていた中学校での試験導入だった。抜擢された理由は、この地域で唯一、制服がブレザーだったからだ。

 二年生の三学期が始まると、次の春から制服の男女共通化が始まると簡単な説明を受けた。

「基本的に、男女兼用の制服は新入生からの導入やけど、二年生、三年生でも、女子の希望者にはスラックスの着用が認められます。制服取り扱い店で購入できるので、希望者は春休みまでに準備しておくように」

 スカートとスラックス姿の制服女子の絵がついたお知らせプリントを配ると、担任の甲田先生がそう言った。

「先生、男子は? 男子がスカート履いきてもいいん?」

 いつもおどける大石がでかい声で質問すると、周りから笑い声が上がった。先生もほほえみながら言った。

「そりゃあ、自由化なんやけ、どうしても履きてえなら、認められるよ。大石、おまえ、履いてくるか?」

「考えときまーす!」

 大石のその言葉に俺は改めて女子のスカートを見た。藍色に白や青の線が入ったチェック柄のプリーツスカート。膝よりずいぶん短い丈の子と膝丈の子がいるけれど、ひざ下十センチが基本らしい。身をひるがえしたときに裾がふわりと広がる様子や、ウエストからヒップの線を強調しすぎず、なだらかに流れ落ちるフォルムは、俺の目にとても美しく映った。純粋に着てみたいと思った。


 その週末、俺は近所の従姉の家に行き、お古のスカートを譲り受けた。


 迎えた三年生の始業式の日。

「あんた、本当にその恰好で行くん?」

 母さんが不安そうな顔で聞く。

「うん。今日から制服共通化やけ、問題ねえし」

「いや、そげな問題じゃのうて……」

「え、そげん、変? 似合っちょらん?」

「似合っちょる。――そうな、ま、いいわ」


 学校に行った俺は新クラスを確認し、教室に向かった。さすがにちょっとどきどきする。教室をのぞきこむと、自分の席を探したり、見知った顔とはしゃぐクラスメイトたちでざわついていたが、俺が入っていくとその喧騒が一瞬鎮まり、当惑の視線が集中した。空気がざわり、と波だった。

「ちょー、ちょー、あつと、おめえ、本当にスカート履いてきたんや」

 大石の太い声がした。お、また同じクラスやったんか。

「うん。似合うっち思って」

「げ、すげえな、おめえ。もしかしてさあ、そっちん人?」

「いや、履いてみたかっただけ」

 その答えに大石がぎゃははと笑い、「だよなー、俺も履いてこよっかな、姉貴の膝上の短えやつ。ゆうた、りょうへい、おめえらも一緒に履かん?」と大声を上げ、周囲からも笑い声が上がった。盛り上がっているのは大石の回りの十人くらいで、その輪の外にいるクラスメイトたちは、黙って俺たちを見ているか、こちらを見つつ友達どうしでひそひそとしゃべっていた。窓際の席で口を引き結んで俺を睨んでいる大柄な男子がひとりいた。翌日、彼の名前が西本だと知った。それからも、ふとした折に西本の冷ややかな視線がスカートをかすめるのを感じた。


 一週間後、担任の乙坂先生から指導室に呼び出された。先生はドアをしっかり閉めると、俺と向かい合って座る。悩まし気に俺を見ると、口元にほほえみを浮かべた。

「なあ、ズボンを履くことに違和感や苦痛はあるか?」

「ないです」

「そうか。そんなら、明日からズボンにしちょくれん?」

「でも先生、制服は自由になったんじゃないんですか?」

 先生は静かにため息をついた。

「うん、共通化された。でもな、それは多様性への配慮っち名目なんよ。つまり、性別の制服着用に違和感を持つ生徒に、選択肢を提供しましょうっちゅうな。悩んどる生徒をさらに苦しめてはならんの」

「でも先生、悩んどる人って、俺がスカート止めたら履けるようになるんですか?」

「ならんじゃろうな。そもそも男子のスカートは、女子のズボンみてえには受け入れる土台ができちょらん。悩んどるやつに、スカートを履く権利を与えるんは必要なことやった。でも、履ける雰囲気を作るんも同じくらい大事じゃったな。それができちょらん今、すべてを自由にはできんのよ」

 それならむしろ大石たちにもスカートを履いてこさせればいいんじゃない? そう思ったのを察したかのように、先生は右手を上げて俺を制した。

「おまえは問題なくズボンを履いちょったやろ?」

「はい」

「それなら、な、しばらく、ズボンにしちょいてくれんか?」

 俺の目をじっと見てから立ち上がり、ドアを開けた。

 納得できなかった。でも、俺の自由が誰かを苦しめているということに、たまらなく悲しくなった。

 教室の扉を開けると、窓際の席に西本が座っていた。弾かれたようにこちらを向くと、そのまま目線を落として俺のスカートを見つめた。すぐに顔をそむけると、机の中から荷物を取り出してカバンに詰めこみはじめた。

「なあなあ、西本――」

 四列離れた席から俺が話しかけると、びくりと体を震わせる。

「もう帰るん? 部活入っちょらんの? 家どっち? 方角同じやったら、一緒に――」

 彼は立ち上がると、カバンを肩にかけて出ていった。体じゅうで拒絶しているのがわかった。翌日から卒業するまで、俺はスラックスで通学した。スカートを履いてくる男子はその一年間、誰もおらず、西本と俺がまともに会話をすることは一度もなかった。学年トップクラスの成績だった彼は私立の進学校へ進み、公立校に進んだ俺とは完全に縁が切れた。

 スカートを履いていった一週間のことを、俺は記憶の蔵にしまい込み、扉を太いかんぬきで閉ざした。スコットランドでキルトのおっちゃんを目にしたとき、誰かが蔵の中から扉を激しく揺さぶり、さあちゃんの家でスカート姿を鏡に映してみたとき、朽ちたかんぬきは崩れ落ちた。




「そっか、うちはセーラー服と学ランやったけん、自由化はなかったわ」

 さあちゃんは同じ生まれ年で同じ県出身だけど、県北地域だ。

「学校ってフクザツよな。何が正しいんか、わからんよな」

 そう言うと、オレンジ色のソーダをゆっくり飲み、にっこりほほえんだ。

「ようやく自分の好きな恰好ができるようになったってことやろ。今から、いっぱい楽しもう?」

 俺はカフェオレのカップを置くと、さあちゃんの目を見る。

「うん。ありがとな、さあちゃん」

 そう言う俺の頭の中に肩をいからせた西本が現れ、感情の読み取れない目で俺をひやりとさせる。

「男子がもっと気軽にスカートを履けたらいいねえな。そうすれば、悩んどる子たちも少しだけ楽になるやろうに」

 さあちゃんが丸い顔を傾げ、俺の顔を見上げてにっと笑った。

「やけん、なんやろ?」

「え?」

「ん?」

 さあちゃんは一瞬きょとんとしたが、すぐに地蔵菩薩のようなあったかい笑顔に変わる。

「やけん、教育学部に来たんやろ? スカート先生になったらいいやん? それって、どげん言葉より、力強いっち思うな」

 くるり、と世界が回り、すぱあん、と背負い投げを決められた。

 なんてことだ、まったく気づいていなかった。子供を笑わせるのが好きで、生命力のかたまりのような彼らといっしょにいたくてこの道を選んだつもりだった。でも、あの日からずっと、心の奥の西本を開放してやりたかったのかもしれない。言葉を失っている俺のかたわらで、さあちゃんがお日さまみたいに笑っている。

 ああ、さあちゃん、これだからさあちゃんは素敵なのだ。俺はほほえんでさあちゃんにうなずいた。さあちゃんは嬉しそうにいそいそと言い足す。

「じゃあ、フォーマルなスカートもそろえんとな? 通勤用は長めで落ち着いた色合いのものがいいやろうし。えへへ、そのうち、また、買いに行かんといけんな」

「うん。さあちゃん、一緒に選んでくれる?」

「もちろん!」


 ヤマガラから出ると日はすっかり落ちていた。

「駅前のイルミネーション、見に行かん?」

「行く!」

 木枯らしがロングスカートの裾をはためかせ、さあちゃんを身震いさせた。俺はさあちゃんの左手をぎゅっと握る。おそろいのスカートで、俺は彼女とならんで歩く。南の空には三日月と金星がならんで輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おそろいのスカートで、俺は彼女と散歩する 佐藤宇佳子 @satoukako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画