焼酎ロック・アンセム

葉月氷菓

浮かぶ雲のように、誰もキミを掴めない

「なにガンくれてんだてめえ」

「そ、そっちがぶつかってきたんでしょうが」

「てめぇ嘗めてんのか」

 大柄の男が椅子を蹴り飛ばす。「きゃあー!」と女性の悲鳴がバーの店内に響く。


「でさぁ、やっぱラルクの『STAY AWAY』のMVの最後のアレ、めっちゃ好きなんよね」

「由衣、なんか向こうの客がヤバそうな雰囲気だからさ……なんか喧嘩始まっちゃいそうだから、俺ちょっと止めてくるわ」

 カウンター席に座る俺は立ち上がり、騒ぎのあった方を見る。金髪のプロレスラー体型の男が体格の一回り小さい男に絡んでいる。今にも掴みかかりそうな雰囲気で、しかし小柄な男の方も引くつもりは無さそうだった。行きつけのバーで、一触即発の雰囲気。店内の客は、大柄な男の怒りを買わぬよう、見て見ぬふり。世話になっているマスターの手前、ここは俺がどうにかして場を収めるべきだ。

「あのぉ、なんていうの? 脈絡のないダンスっていうかさ。『何? 何?』みたいな空気を一気に打ち破る勢いっていうかさ。めっちゃツボなわけ」

 知っていた。何度も聞いた話だ。由衣が酔って好きなMVの話を始めたら止まらないのは出会った頃から変わらないし、一通り話したらまたループするのもよく知っている。ただ、今の状況はもっと深刻なものだった。


「なにガンくれてんだてめえ」

「そ、そっちがぶつかってきたんでしょうが」

「てめぇ嘗めてんのか」

 大柄の男が椅子を蹴り飛ばす。「きゃあー!」と女性の悲鳴がバーの店内に響く。


 まただ。また始まった。

「由衣。なんか向こうで揉めてるみたいだし、俺止めてくるわ」

「ビシっとしたダンスも好きだけどさ。なんか気の抜けたのとか、素人くさかったりするのも、いいんだよね。リトルビッグも好き。タバスコディスコとか……ってかオジさんが躍ってるのがフェチなんかも。いや、HYDEはおじさんじゃないし! てか今のHYDE見てみ? マジで平成のMVから全く歳とってないから」

 由衣は俺の話をまるで聞いちゃいなかった。完全に泥酔している。


「なにガンくれてんだてめえ」

「そ、そっちがぶつかってきたんでしょうが」

「てめぇ嘗めてんのか」

 大柄の男が椅子を蹴り飛ばす。「きゃあー!」と女性の悲鳴がバーの店内に響く。


 確か八度目くらいだ。一時間ほど前から、このバーの店内では状況がループを繰り返している。金髪の男ががなり、椅子を蹴る。女性が悲鳴を上げる。

 幸いにも由衣はループにまるで気付いていなかった。それ自体は、いい。何故なら、このループの原因は分かっていた。原因は、俺だ。もう一度、カウンター席に座りなおす。

「若い女の子もいいよね。オンリーワンダーとか。てか、あたし802のヘビロテでオドループ流れる前から推してっからね。ふしだらフラミンゴ聞いたことある?」

「前に由衣の家で聞いたよ。いいよね。なあ由衣。なんか向こうで喧嘩してるし、俺止めてくるわ」

「タケちゃんのさー。教えてよ好きなMV」

「……夜ダンの『WHERE?』」

「いいねー」

 由衣は俺の肩にパンチする。酔っていて加減のないそれは、俺の上腕二頭筋にそれなりのダメージを与えた。このパンチも今日、八度目くらいだろうか。俺はいいのだが、むしろ由衣の拳の方が心配だった。腫れたりしてないだろうか。


「なにガンくれてんだてめえ」

「そ、そっちがぶつかってきたんでしょうが」

「てめぇ嘗めてんのか」

 大柄の男が椅子を蹴り飛ばす。「きゃあー!」と女性の悲鳴がバーの店内に響く。


 九度目。俺は立ち上がる。由衣が強引に俺のネクタイを引っ張って着席させる。

「由衣ごめん。ちょっと俺、行ってこなきゃ」

 ループの原因ははっきりしている。俺だ。そして、ループを止められるのは、この店内でただ一人。俺だけなのだ。だから行かなくてはならなかった。

 金髪の男がチラリとこちらに視線を寄こす。俺は気まずくて視線を逸らす。勇気が、足りない。

「いいよねー。なんか徳島人の血が騒ぐんよね。てか、めっちゃカラオケ行きたくなってきた。行かん?」

 屈託のない笑顔。思わず、ある言葉が口から漏れ出そうになる。けれど、それだけは許されなかった。このループを抜け出すまで、その言葉は決して口にしてはならなかった。


「なにガンくれてんだてめえ」

「そ、そっちがぶつかってきたんでしょうが」

「てめぇ嘗めてんのか」

 大柄の男が椅子を蹴り飛ばす。「きゃあー!」と女性の悲鳴がバーの店内に響く。


 金髪の男の凄みが一段と増したような錯覚を覚える。止めなくては。喧嘩を止めなくては。

「由衣、俺……トイレ!」

 由衣がまた離席しようとする俺のネクタイを掴んだので首が締まりかける。どうにかするりと抜け出して、俺は店内のトイレに駆け込んだ。


 洗面台で顔を洗う。ダメだ。勇気が足りない。

 出し抜けに、トイレのドアが開いた。ドアの向こうから、現れたのはプロレスラー体型の金髪の男。一触即発の男だ。俺を追ってきたのだ。




「タケさーん! マジどうなってんすか⁉ タケさんが止めてくれないと、次いけないっすよ!」

 金髪の男は苦笑しつつ、俺にせがむようにそう言った。

「本っ当にごめん木下くん! ちょっと彼女が酔っちゃってタイミング掴めないんだよ」

「マジ根性みせてくださいよ。もうだいぶ予定過ぎちゃってますよ」


 彼女が酔った所為だってのは全くの責任転嫁だった。全ては俺の勇気が足りない所為だった。


 プロポーズがしたかった。普段から懇意にしている後輩である木下くんや会社の仲間に協力をお願いして、いわゆるアレをやる予定だった。フラッシュモブってやつだ。


「なにガンくれてんだてめえ」

「そ、そっちがぶつかってきたんでしょうが」

「てめぇ嘗めてんのか」

 大柄の男が椅子を蹴り飛ばす。「きゃあー!」と女性の悲鳴がバーの店内に響く。

「由衣。俺ちょっと止めてくるわ」

「タケちゃん……危ないよ。やめとこうよ」

「大丈夫だって。ちょっと注意するだけだから」

 不安げに俺を見送る由衣。

「誰だてめえ」

「みんな迷惑してるし、やめましょうよ」

 金髪の大柄の男は俺の胸倉を掴み、突き飛ばす。俺は背中から床に叩きつけられる。なおも手を緩めず、男は俺を無理矢理に引き起こす。

「んだとてめえ。言いてえことがあるならハッキリ言ってみろよ」

「ああ。言ってやるよ」

 店内が静まり返る中、俺は由衣に向き直る。

「愛してます。結婚してください」

 ポケットから婚約指輪を取り出し、俺は由衣の前で跪く。

 顔を真っ赤にして、口元を抑える由衣。

「ちょ……サブいからこういうの!」

 照れ隠しに悪態をつきながらも、指輪を受け取る由衣。

 店内にブルーノ・マーズの楽曲が流れ、金髪の男も、小柄の男も、悲鳴を上げた女性も、マスターも、その他の客も、一斉に踊り出す。素人くさい微妙なダンスに由衣はケラケラと笑い泣きしながら、祝福を一身に受け取る。




 ……という具合で、プロポーズ大作戦は進行するはずだった。足りなかったのは俺の勇気だ。バーカウンターに座って三十分きっかり、俺はビールを一杯飲み、彼女はシャンディガフを一杯。そこらで、茶番は始まるはずだった。

 けど、緊張でどうしても合図が送れず、もう一杯だけビールを注文した。その時、由衣がメニューの中に焼酎を見つけてしまったことがループの始まりだった。ロックの焼酎をかぱかぱと開けていく由衣。こうなったら止まらないのは知っていて、けれどどうにもならなかった。

 ようやく俺が合図を送って、予定通りに木下くんが喧嘩を始めてくれるも、由衣は周りのことなんか見えちゃいなかった。ひたすらに好きなMVを語った。片時も俺の離席を許すことなく。


 そういうところが好きだった。この酒癖の悪さに付き合えるのは世界で俺だけだという自負があった。その笑顔を見る度、あの言葉を口に出したくなってしまう。けれど我慢だ。このループを抜け出すまでは。


「マジ応援してますからタケさん。マジ頑張ってくださいよ」

「よしっ! 次こそバシっと決める。ごめんね。ラスト一回だけ付き合ってくれ」


 俺と木下くんはさりげなくバラけて店内に戻る。何か妙だ。やけに静かだ。静かな空間で、なにかがかすかに聞こえてくる。

 目に入ったのは、カウンターに突っ伏して熟睡している由衣の姿だった。耳に届くのは、彼女のいびきだった。変な女だった。そういうところが、

「マジで好きだ。結婚してくれ」

 俺の口から、つい気持ちが溢れ出した。けど彼女は今頃、夢の世界でヘタウマなダンスを踊っていて聞いちゃいないだろうから、今のはノーカウントだ。

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焼酎ロック・アンセム 葉月氷菓 @deshiLNS

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