プロローグで死んでしまうリゼの話

おてんば松尾

第1話プロローグ

リゼは屋敷の大きな門が閉まる音を背中で聞いた。

薄手のコート一枚で、この寒空の下追い出された。

彼女は鞄の中に着替えを入れるより、着込んでくればよかったと後悔した。

寒風が体を貫くように吹き付ける。彼女の吐く息は白く、凍てつく空気は肺に入れるだけで痛みを伴った。


屋敷を出た時には降っていなかった雪が、勢いよく空から落ちてくる。

冷たい石畳の道を一歩一歩踏みしめるたびに、靴の中に雪が入り込み、足先の感覚が次第に失われていく。


『当分、戻ってこないで下さいね。奥様がいらしたら屋敷の雰囲気が暗くて仕方がありません』


使用人からそう言われるとリゼは申し訳ない気持ちになった。

何があるのかは知らされていなかったが、リゼは急に帰郷するよう勧められた。


屋敷を数日空けると、執務の事務仕事が溜まってしまう。エドワードが困ってしまうかもしれないと思い、リゼはできるだけ仕事を片付けてから屋敷を出てきた。

彼女はそのせいで、睡眠時間が取れず、三日ほど眠っていなかった。


彼女の食事も、いつも通り固いパンと冷えたスープだけだったので、体力の限界がきていた。リゼは早く汽車に乗って座席に座りたいと思っていた。


(それにしても、この寒空の中、駅までの馬車を出してくれないとは思わなかった)

リゼは先程、屋敷で門衛に言われたことを思い出していた。


『お金はあるんですから、通りで辻馬車を拾って下さい』


しかしこの時期、外は氷点下になる。

(馬車は満員できっと何時間も待つことになるわ。それならば駅まで歩く方が早いだろうし、切符を買うお金が無くなるかもしれない)

彼女は、心もとない路銀しか渡されていなかったから、節約のために駅まで歩くことにした。


***



座席に腰を下ろすと、リゼはしばらく外の景色を見つめていた。

駅の喧騒が遠ざかり、徐々に静寂が訪れる。

リゼは窓の外に広がる雪景色を見つめながら、結婚した頃のことを思い出していた。


田舎の男爵家で、学業成績にも優れ、際立つ美しさを持って生まれたリゼは皆の期待を一身に受けて、王都の伯爵家に嫁いだ。

夫のエドワードは伯爵家の当主で、社交界でも一際目立つ存在だった。

カリスマ性に満ちており、彼の周りには常に人が集まってくる。知識が豊富で、文武両道の人物だった。常に清潔感があり、スタイルも流行を抑えていたため、令嬢たちからの人気も高かった。


そんな人気のエドワードが、舞踏会でリゼを見初めてくれた。

結婚することが決まり、リゼは一生彼に尽くそうと決めた。


『旦那様は執務が忙しいので、奥様と過ごされる時間はないとお考え下さい』

『旦那様は、社交界の集まりに出席されます。田舎者の奥様は、足手まといになりますので、義妹のリンダ様を同伴されます』

『旦那様はいつも執務室で食事をされます。奥様も自室で食事をお摂り下さい』

『旦那様は……』

『旦那様は』

『旦那様』


リゼは自分が必要とされていないことに早い段階で気がついていた。

けれどエドワードは、寝室に来るときはリゼに丁寧に接してくれる。


リゼはエドワードを愛していたし、できるだけ我儘を言わないように、静かにしていることに決めた。


『あまり、旦那様に姿を見られないようにして下さいませ。気が散ってしまわれ、執務に影響を及ぼします』


仕事の邪魔になってしまってはいけないと思い、存在を隠すように、こっそりと生活した。

けれど、少しは役に立ちたかったから、リゼは執事や事務官から仕事をもらい、できる限り手伝っていた。


窓に顔を近づけ、流れる風景を見つめた。雪に覆われた草原や森が彼女の目の前を次々と通り過ぎていく。

機関車のリズムが彼女の心を落ち着かせ、日常の喧騒から離れた静かな時間が流れ始めた。

リゼは心地よい揺れとともに夢の世界へと引き込まれていった。


夜が更けるにつれ、機関車の暖房も効かなくなり、寒さが車内に忍び寄ってきた。

リゼは震える手でコートの襟を立て、体を丸めて寒さを凌ごうとした。

しかし、冷たい空気が彼女の体力を奪い、次第に意識が遠のいていく。



朝が訪れ、汽車がリゼの故郷の駅に着くころ、彼女はもう息をしていなかった。

まるで夢の中で幸せな場所にたどり着いたかのように穏やかな表情で、リゼは眠っているかのように死んでいた。



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