第7話

リゼは、隣国のサルーン大使の邸宅に滞在しているということだった。

石造りの門をくぐると、広大な芝生と、古典的な彫像が点在する中庭が見え、宮殿と言っても過言ではないほど、立派な建物だった。


「お久しぶりです。伯爵」

「ああ……リゼ……」


彼女の姿をみると、目頭が熱くなり、気付かないうちに涙が頬を濡らしていた。

私はリゼの元に駆け寄り、彼女をしっかりと抱きしめた。


「リゼ、もう二度と離さない。君を守ると誓うよ」


彼女は、私の胸をそっと押して、口元に微かな笑みを浮かべた。

10年ぶりに会ったリゼは、仕立ての良いドレスを身に纏い、まるで女神のように美しかった。

彼女は挨拶もそこそこに話を始めた。


「エドワード様は、私が虐げられていたことを知ったとき、その責任が全て使用人たちにあると考えてました」


その表情は一見すると穏やかであったが、その言葉の内容は冷たかった。


「すまなかった。私は……使用人達に騙されていたんだ」


自分が直接手を下したわけではないため、私は自分には非がないことを説明した。


「あの時の使用人たちから私の父に手紙が来ましたの。私に対する虐待は、自分たちの判断で行われたものであり、伯爵の命令ではなかったと。彼らは、私が反抗的で規則違反を犯したため、厳しく接することが必要だったと書いていました」


「な、なんだって!まるで君が悪かったように書いているではないか。私は、残された義父に対して謝罪をしろと命じ……手紙を」


「その手紙には、私に非があったと書いてありました。けれど、それと同時に、伯爵様には罪はないと書かれてありました」


使用人たちは、私の気持ちを考慮してそう書いたのだろう。

しかし、私に罪がないのは事実だ。


「エドワード様は、私の苦しみを理解し、自分が妻を守るべき立場にありながら、その責任を果たせなかったことに気づかれましたか?」


「私は使用人たちに対して厳しい処罰を下し、再び同じ過ちを繰り返さないように屋敷の規則を見直した」


「そうですね。けれど、ご自身の無関心が虐待を助長したとを認めていません。あなたは自分の行動が間接的に私を傷つけたことを理解していませんね」


「私は、君を失ったことで、深い後悔の念に苛まれた。君を失い、傍に君がいないことがどれほど空虚だったか。私は、リゼだけを愛していた」


「エドワード様、あなたが私をどれほど愛していても、あなたの愛は私を救うことはできなかった」


私はその言葉の意味を理解し、胸の奥に痛みを感じた。


「君に対して謝罪し、これからは君を守るために全力を尽くすことを誓うよ」


「遅いです。あなたの愛も、後悔も、謝罪も私にはもう何の意味もない」


彼女の声は柔らかいが、その言葉の意味は冷酷で、私の心を締めつけた。


「ならばなぜ、私をここへ呼んだんだ……」


彼女は彼の前に静かに立ち、ゆっくり呼吸をしてから口を開いた。


「報告しなければならないと思いましたの。私は、この屋敷のサルーン大使と結婚しました」


私は驚いて、言葉が出なかった。そしてリゼは、私を連れて裏庭へ向かった。

そこには黒髪の立派な紳士と、剣術の稽古をしている少年の姿があった。


私の唇がプルプルと震えだし、まさかという表情が浮かんだ。

なぜなら、その少年は子どものころの自分にそっくりだったからだ。


「エドワード、あれが私の夫と、あなたの息子よ」


「私の……息子……?」


「あなたの元を去る時、私は妊娠していたの。赤ちゃんを安全に産むために死を偽装し、国外へ渡ったのよ」


私は金髪の少年を見つめ、涙を流しながらその場に崩れ落ちた。

何もかもが意味を失い、未来が見えなくなる瞬間だった。


「……なっ」


リゼは説明した。


「私は別人として子どもを産んだわ。あの子は昨年、正式にサルーン大使の息子となったわ」


「教えてくれれば……リゼ……君がこんなことを……」


リゼが自らの死を偽装してまで逃れようとした理由を知った。

エドワードは真実に直面することとなった。


「エドワード、私は汽車に乗り寒さの中、本当に死んでいたかもしれない。このままでは子どもの命を危険にさらしてしまうと考えた。あの屋敷では、子どもは産めなかったわ」


「そ、それは……」


彼女が受けていた屋敷での虐待は彼女の命だけでなく、子どもの生命までも危険にさらす可能性があったのか。


「本当に……すまなかった」


エドワードな涙を流し謝罪した。

そして、本来なら自分がその場所に立っていたかもしれない、父親と子どもを見た。


「エドワード、私と息子はサルーン大使と家族になり深い絆で結ばれた。私たちは未来に向かって歩んでいるわ。新しい人生は、愛に満ちていてとても幸せよ」


リゼは微笑んだ。


「うっ……」


私はリゼも、血の繋がった自分の息子も、全てを失ってしまった。

あの時ちゃんと妻のことを見ていれば、こんなことにはならなかっただろう。後悔と絶望に近い苦しみが一気に押し寄せる。


「これからまだ人生は長いわ、エドワード、あなたは、あなたで自分の人生を生きてちょうだい」


リゼはその言葉を最後に、自分の新しい人生に向けて私の前から去っていった。


彼女の足取りは確かなものだった。






                                完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

プロローグで死んでしまうリゼの話 おてんば松尾 @otenba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画