第8話 死人に口なし
「おい、まあ今回もすげえ人
「そりゃあそうさ。なんたって、今日の目玉はロンドンハウラースの組員だ。マスケット銃工場を持つオーナーの屋敷に侵入して、身重だった婦人をナイフで刺し殺したらしい。」
「ハハ、やはり連中のやることは違うぜ。ここに来る金持ち共はどんなツラで首吊りを拝むんだろうな。」
屋台で買ったばかりの酒を既に飲み干そうかという勢いで飲み交わしていた男たちが、顔を赤くしながら歓談に耽っている。
「悪党がしばかれる様を見て鬱憤を晴らすんだろうよ。俺たち貧民にとっちゃハイウェイマンは英雄みたいなもんだけどな。」
「違いねえ。…だが、今回は意外だな。ハウラースは富裕層の間じゃ強盗として悪名高いが、殺しはほとんどやらないと思ってた。」
「そこなんだ。聞いた話によると、どうやらその工場で製造されていたマスケットには、”ライフリング”が実装されていたそうだ。…もちろん秘密裏にな。」
「本当か?…なるほど、闇が深い。だとしたら、教団がどういう立場になるのか…。そういや、さっき小路で……」
そのとき、押し寄せる人混みに止むなく流された一人の男が突然背中にぶつかってきた。
「すまない。」
男が体勢を保つため、二人のテーブルへ包帯で厳重に巻かれた右手をつくと、胸元から十字架のペンダントがこぼれ出る。
「エリオット、人波に逆らうな。一旦そのまま流されて脇の通路に出ろ!」
後ろの方からダニーの声が聞こえ、エリオットは体を起こし、指示通りにまた行列の中へ潜った。
貧しい者から富める者まで、まるで芸人でも観に来たかと思うほどに軽快な面持ちで列をなす。
そこら中で商売を始めた酒売りたちが道行く人々に声をかけ、金の入った小袋をジャラジャラと鳴らして景気よく闊歩している。
なんとか人気の薄い裏路地に逃げ出たエリオットが呼吸を整えていると、後から追いついたダニーが縒れたシャツの裾を叩きながら言った。
「気分はどうだ?」
「すこぶる…悪いよ。人の処刑を見世物にできる神経が、私には理解できない。」
「…ここがタイバーン。独裁者クロムウェルが遺体を墓から掘り起こされ、再び民衆に殺された場所だ。人間の猟奇性は100年前から変わらないってことだな。」
ダニーはエリオットの背中を擦るでもなく、ただそっと手をそえてきた。
「いずれにせよ、ここに集まるやつらは全員まともじゃない。…俺とお前を含めてな。仕事までに酒が抜けるなら、お前も何か飲んでくるといい。」
「…いや、そんな気分にはなれない。」
処刑までにはまだ時間がある。エリオットは「少し独りにしてくれ」と細く呟き、ペンダントを服の中に戻した。
「分かった。俺は役人と話を付けてくる。その辺で休んでて構わないが、気を付けろよ。さっき、ロンドンハウラースの参謀と教団の関係者らしき人物が小路で接触しているのを見た。何か嫌な予感がするから、できるだけこの村で人と関わるな。」
ダニーはそう言うと、出発前にイーサンから手渡されていた書面を鞄から引っ張り出し、その場を去ってしまった。
エリオットは暫くして裏路地のさらに奥まった一画へと歩み、既に飲み潰れ倒れている愚かな村民たちの横にしゃがみ込む。
…あの頃と何も変わっていない。
犯罪に満ちるこのイギリスでは、警察の手と治安維持システムが回らず、英国殺人法なる苦肉の策が施行された。
「罪を犯せば簡単に殺される」。犯人の捕縛率が低い代わりに、捕まれば即死刑という恐怖だけが犯罪率を抑える唯一の手段と判断されたのだ。
これはすなわち、人間の性善性を諦め、罪と罰の損得によって倫理を定義させる地上の法…。
天上の神がもたらす悪と正義の観念を切り捨てている。
エリオットが再び胸から十字のペンダントを出して眺めていると、対面に座っていた女がこちらをずっと見ていることに気が付き、視線を上げた。
「…あなたもきっと、そう思うのね。」
痩せ型で目立たない、地味な女性だ。
だが、その珍しいグレーの瞳には、突然人に話しかけても不自然だと思わせないミステリアスな気色が漂っている。
「…処刑の話だろうか?君は…いや、君もこれを見に来たのか?」
「どうかしら…。分からないわ、自分でも。」
女は焦点のよく分からない目で地面を見つめた。
「クロムウェルは一度目に英雄として死に、二度目には
「……そうだな。死んでしまえば、口のない本人の魂は議論の外だ。だからいつも彼らは私の前に呪い出て、恨みがましく追ってくるんだろう。」
「…もしかして、あなたも視える人なの…?」
エリオットが右腕を包帯の上から握りしめたとき、新たに見知らぬ男が路地にやってきて女の姿を認めた。
「カーラ、こんなところにいてはマズい。厄介なことになっている。ロンドンハウラースの連中が嗅ぎつけてこの村に到着していた。それに今、外科組合の署名を持った盗掘屋と役人の前で鉢合わせになったんだ。ダリルの回収は少なくとも…」
「待って、分かったわ。あっちで話しましょう。」
女はそう言って立ち上がると、去る前に一度エリオットの方を振り返った。
「…死人にも口はあるわ。きっと。」
彼女はあちらに向き直ると、胸の前で十字を切っていた。
常闇の理髪師 野志浪 @yashirou
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