第三話 消えた女性
「三号車の個室に乗車されているお客様から『友人が戻ってこない』とのお申し出がありました。品川駅を発車してから戻っていないそうで……。スマホに連絡してもつながらないので探してほしいと」
一気に話すと、車掌の西村は帽子をとってハンカチで額の汗をぬぐった。
丸田はジャケットの内ポケットから小さなメモ帳を取り出す。
「姿が見えないのは男性ですか、女性ですか」
「若い女性です」
「服装や特徴はお聞きになっていますね」
「はい」
すでに頭に入っているのか、西村は一言ずつ思い出すように答えていった。
「えーっと、年齢は27歳、身長は160㎝くらい、白いセーター、茶色のスカート、髪は茶系、肩ぐらいの長さで、サングラスを掛けていたそうです」
彼の答えを聞いている途中から、丸田はメモを取る手を止めていた。
「その女性なら見ましたよ」
「ほんとですか!」
「茶色いサングラスに、リボンのついた黒いパンプスを履いていましたね」
「そうです、そうです。茶色いサングラスとおっしゃっていました」
西村は体を乗り出した。
「服装も私の記憶と同じだし、間違いないでしょう」
「いつだったか覚えていらっしゃいますか」
「横浜駅を出てすぐでした」
丸田の答えを聞いて、西村は肩を落とした。
「そうですか……。先生がそうおっしゃるなら、確かでしょう」
「気になることでも」
「何らかの理由があって、その女性は横浜駅で下車したのではないかと思っていたんです」
「残念ながら、その可能性はないと言えますな」
丸田はゆっくりとかぶりを振る。
「そうなると、やはりまだこの列車の中に……」
西村は眉間にしわを寄せて首をひねった。
「車内には見当たらないのですね」
「はい。座席はもちろん、トイレやカフェテリアも確認したつもりなのですが」
丸田も小首をかしげて目を閉じた。
「その女性が後方へ向かったのは間違いないのですが、戻ってきた記憶がありませんね」
「えっ、それじゃ七号車か八号車にいらっしゃるのでしょうか」
「七号車へ入ったところを確認しているわけではないので、私のいる六号車の後方という可能性もあります。それに前方の車両へ向かった方が何人かいたので、車窓からの風景に気を取られて見過ごしていたかもしれない」
「先生に限って、見落としなんてことはありませんよ」
西村が屈託のない笑顔を見せる。
「そうだといいんですがね」
丸田も口角を上げて目を細めた。だがすぐに真剣なまなざしへ戻る。
「横浜から熱海までは停車しないので、その女性がまだ列車内にいることは間違いないでしょう。
でも車掌さんがくまなく探しても見つからないということは……」
蝶ネクタイに触れながら、探偵は車窓へと顔を向けた。
列車は茅ケ崎駅を通過しようとしている。
西村へ向き直ると静かに告げた。
「本人の意思で、変装して見つからないようにしているか、もしくは何らかの方法で前方へ連れていかれ、個室に監禁されているか、それとも――」
「監禁ですか!?」
思わず大きな声を上げてしまい、西村はあわてて周りを見回す。
幸い、デッキには誰もおらず、彼の声は車両の走行音に紛れていた。
「個室の中まで立ち入っていないでしょう? 可能性としてはゼロではありません」
メモ帳を内ポケットにしまい、深い息を吐く。
「まずは友人のお話を聞かせて頂きたいものですな。次の停車駅、熱海まではどれくらいかかりますか」
「十二時十七分着の予定です」
丸田はズボンの左ポケットから懐中時計を取り出した。
「あと三十五分しかない。急ぎましょう。熱海に着くまでには目星をつけないと
今度は丸田が車掌を促して、前方の車両へと向かう。
「どうやら私には車窓を楽しむ時間さえ与えてもらえないようだ」
西村の背中を追いながら蝶ネクタイを右手で撫で上げ、ひとりごちた。
*
特急サフィール踊り子号の個室は二号車、三号車に各四室ずつ設けられていた。
いずれも伊豆急下田に向かって左側、つまり眺めのいい海側にある。山側の通路にも天窓から陽光が差し込んでいた。
三号車、三番の個室ドアの前で西村が立ち止まり、ノックをする。
室内からの返事がないままドアは開いた。
「
胸元までの長い黒髪に白いシャツ姿の女性が現れた。七分丈のデニムに黒いスニーカーを履いている。
「いえ、それが……」と、頭を下げた西村を気にも留めず、彼女は恰幅のいい蝶ネクタイ姿の男性に視線を注いだ。
「そうですか……。こちらの方は?」
「ご紹介します。名探偵の丸田寅之助先生です」
「探偵……」
少し驚いた表情を見せた彼女の言葉が口の中で消えていく。
「ええ。偶然この列車に乗車されていたので、内密にご相談したところご協力いただけるそうです。こちらがご友人を探している片桐
「丸田です」
会釈をして視線を落とした探偵は、ほんの少しだけ体を右側に傾けた。
同じく頭を下げていた彼女はその様子に気づくことなく、二人を個室へ招き入れた。
次の更新予定
特急サフィール踊り子号 失踪事件 流々(るる) @ballgag
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