19 嵐、詐欺師、沈没船

 読み終えた本を持って図書館に行ったら、メイユールさんが迎えてくれた。今年に入ってからメイユールさんに会うのは初めてだったので、アリスはちゃんと新年のあいさつをしてから返却する本を渡した。

 メイユールさんの今日の爪は、薄紫とクリーム色みたいな金色のマーブル模様だ。それがなんとなく、おしゃれなお菓子の上に載っているクリームみたいで、アリスは不意にノーチラスで食べたキャロットケーキのことを思い出した。


「はい、いいわよ」とメイユールさんが言って、アリスは我に返った。

「あ、はい」

「次借りるものももう決まってるんだっけ?」

「いえ、まだ。でもこの作者のを全部読んでみようと思って……わたしが借りてないの、まだありますか?」

 アリスはきょろきょろしながら聞いた。メイユールさんは、ちょっと待ってねと言いながらパソコンを操作し、アリスに「この五巻ある長編は読んだのよね」と聞いた。

「あとほかに何読んだ? その長編以外に三冊ある。……アリス?」

「あ、はい」

「ルカと代わろうか? そろそろ電話も終わってるだろうし」

 心ここにあらずなアリスにメイユールさんは苦笑いしている。アリスは慌てて首を横に振った。今日探しているのはルカではないのだ。

「すみません。その、長編と一緒のところに置いてあった二冊は読みました。短編集と、一冊で終わるお話」

「じゃあ、もう一冊は本のサイズの関係で少し違うところにあるから、場所メモするわね。あと、その作者が編集した童話集もあるみたいなんだけど、これは興味ないかな?」

「それも教えてください」

 メイユールさんは、オッケー、とウインクすると二冊の本のタイトルと置き場所をメモして、アリスに渡してくれた。


 アリスが教えてもらった童話集は、アリスが思った子ども向けとはほど遠いところにあった。なんだかとても難しそうな本の集められたエリア。知らない地域の知らない文化についてまとめた本は、アリスが見慣れた本棚や、以前見た図鑑のところとかとは全然違って、本のサイズも背表紙の感じも、なにもかもがばらばら。かなり古い本もときどき混じっている。

 こんなところに本当に目当ての本があるんだろうかと不安になりながら探したけど、ちゃんとあった。アリスの親指両手分よりまだ厚みのありそうな大きな本に挟まれた、アリスの人差し指くらいの幅の本だ。アリスは背表紙の上のほうに人差し指をひっかけて、その本を取り出した。

 アリスは、先に借りた本と、今探し当てた本とを持って左右を見回してから、図鑑のあるほうの読書エリアに向かった。


 ここは人が少ない。アリスはこの間来たときと同じ席に座って、図鑑よりはずいぶん小さい本を開いた。童話集のほうだ。

 目次の前に編者のコメントがある。この本は、編者が出会った「昔話」のうち、昔から言い伝えられている形跡がなくて(つまりたぶん「新しくて」)、だからこそ怪しくて、その怪しさに編者が魅力を感じたものを集めたものだという。そこまで読んでアリスは、これってもしかして童話集じゃないんじゃないかなと思ったが、この本がどういう本なのかは読んだ人が自分で判断することだ。ちょうどネモ店長が、詐欺師のワタライさんについて言ったように。

 アリスは大きく息を吸い込むと、ゆっくり吐いてからページをめくった。目次で最初に飛び込んできたのは「呪いの宝石を産む、壺の話」だった。


 ゴトンと音がした。木の机に、布越しに、重たくて固いものが置かれた音。アリスは思わず顔を上げて周りを見たが、ワタライはいないし壺もない。でもこれってきっと、ネモ店長が話した、そしてワタライさんが持っていた、あの壺の話だ。アリスは慌てて、目次に書いてあるページを開いた。

 その壺はずっと昔、しっかりと蓋のされた状態で、沈没船から引き揚げられたのだという。割れていない壺が引き揚げられるのなんて珍しいから、見つけた人たちはとてもわくわくしながらその壺の蓋を慎重に開けた。

 でも中は空っぽだったそうだ。アリスはそこで、空っぽの壺(水も入ってない、という意味)が船と一緒に海に沈んでたのだとしたらおかしいなと思ったけれど、そのことにはこの話では何も手当てがされていない。それでアリスは、作り話なんだろうなとは思ったけれども、それでも興味が勝ったので、先を読み進めた。


 空っぽの壺は、みんなをがっかりはさせたものの、古いものであることには変わりがないし割れたりもしていないし、なにより蓋まで揃っているのは珍しい。それで一応、その港の近くで営業していた骨董品店が引き取った。でも、「割れてない、古い」だけの壺なんかほかにもいっぱいある。それでその壺はなかなか売れなくて、とうとうお店の人はその壺を売り物の棚から下ろして、お店の前に置いて傘立てにすることにしてしまった。海風を受けても倒れないように、底のほうに砂利を入れて重りにし、晴れている日は蓋をして、もしほしいって言ってくる人がいたらラッキー、くらいの感じ。

 だけど翌週の風はそんな砂利くらいじゃ持ちこたえられないくらい強くて、傘立ての壺はひっくり返ってしまった。大きな音がしたのでお店の人は表に出た。そしたら横倒しになった壺からは蓋がはずれて、砂利……じゃなくて、透き通ったきれいな石が、たくさんこぼれていた。


 アリスがネモ店長から雑誌コーナーで聞いたのは、きっとこの続きの話だ。この壺はこの骨董品店から宝石商の手に渡り、そして今、「詐欺師」エド・ワタライの手にある。

 アリスはごくりと唾を呑み込むと、もう一度周りを見、人がいないのを確認してから次のページに進んだ。

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アリス・シュミットとタイトルのない本 藤井 環 @1_7_8

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