18 ケーキ、紅茶、マーマレード
ワタライのお土産はキャロットケーキだった。ネモ店長はそれをパウンドケーキみたいに切って、少しずらして重ねた上にクリームを載せて出してくれた。
だからか、今日の紅茶はこの間みたいな甘い匂いはしていない。独特の匂いがする、これはアールグレイだ。アリスはそれらが全て揃いの、すごくお洒落な器で出されるのを、膝を揃え背筋を伸ばして見守った。緊張しているわけではないけれど、なんだかそうしたほうがいい気がしたので。
店長は自分の前には紅茶しか置いていない。でも、「じゃあ、いただこうか」と言われたので、アリスはうなずいてフォークを手にした。きっと店長はもう味見をしたんだろうな、と思って。
フォークで割ったひとかけらを口に運んでみる。ケーキ自体の甘さは控えめだけど、クリームと一緒になるとちょうどいい。クルミの食感や苦さがアクセントになっているし、紅茶を口に含むと、まろやかなクリームでほどけていた気持ちがちょっと、しゃんとする感じ。
実は、お母さんの会社の近くのカフェにつれていってもらうときにも、いつもアリスはキャロットケーキを頼む。一番人気はこれですよ、と別のを示されたって頑なにキャロットケーキだ。そのくらいキャロットケーキが好きなのだけど、これはアリスが食べた中で一番美味しい気がした。もしかしたらこのお店の雰囲気とかのせいもあるかもしれないけど。なんだか特別な感じがして。
アリスは、二枚出されたケーキの上のほうを食べ終えてしまうと、フォークを置いて、ふう、と息を吐いた。
「とっても美味しいです」
「実はね、マーマレードもあるんだけど」
ネモ店長はカウンターの下から瓶を取り出し、蓋を緩めるとアリスの前に置いた。
「二枚目はクリームじゃなくて、これでも」
「使ってみたいです」
アリスは遠慮なく答え、店長からスプーンを受け取って、たっぷりひとすくいをキャロットケーキの上に載せた。アリスから瓶とスプーンを受け取った店長は、自分もマーマレードをひとさじすくい、それを紅茶に入れてかき混ぜながら言った。
「そのキャロットケーキね、ワタライくんが焼いたんだって」
「え!?」
アリスは驚いて、慌てて口元を手で押さえた。口の中は空っぽだったから、何も落ちなかった。アリスはほっとしてため息をついてから聞いた。
「ワタライさんが? 自分で?」
「らしいよ。で、このマーマレードも仕込んだって」
「ワタライさんってもしかしてお菓子屋さんなんですか?」
「いや、詐欺師だよ。エドは」
アリスは思わず固まった。今、ワタライさんについて、お菓子屋さんであるよりも驚くべき、というか、よくないことを聞いた気がする。エドっていう名前らしいという新しい情報もあったけど、そんなこと吹き飛ぶくらいのインパクトだ。アリスは恐る恐る確かめた。
「詐欺師……って、悪い人じゃないですか?」
「だまされた人からしたら、そうだろうねえ」
「えっと……」
だまされてない人からしたら、悪い人じゃないってことなのだろうか。アリスはマーマレードが載ったキャロットケーキを見下ろして、考えた。キャロットケーキを作るのが上手な詐欺師。いや、詐欺師だから、自分で作ったっていうのも嘘なのかな? というかこのキャロットケーキ食べても大丈夫なのかな。ワタライさんのことを詐欺師だって知っているネモ店長は、食べていないのだし。
アリスはこわごわと、上目遣いで店長を見た。店長はすました顔で、マーマレードの溶けた紅茶を飲んでいる。アリスは顔を上げ、それから眉間に皺を寄せながら、改めてキャロットケーキを見下ろした。店長はそんなアリスを見て、カップを置きながら笑って言った。
「心配いらないよ。彼はだます人を選ぶし、少なくともここにはそういう目的では来ない」
「もしかしてあの壺も、詐欺と関係あるんですか?」
「あるといえば、あるけど。まあ、そのへんは本人に聞くといいよ。彼がどんな人かは、彼とどんな関係かによって変わる。それはエドに限らずね。僕とも、蔵書票くんとも」
アリスは店長の言っていることがよくわからなかったけれども、その言葉の意味を整理するように何度か瞬きをすると、わかりました、と言って、キャロットケーキの上のマーマレードをフォークですくい、口に運んだ。
苦みがあんまりない、でも甘過ぎない、生のオレンジみたいな後味の、すごくアリス好みのマーマレードだった。おばあちゃんが作るやつはもっと苦みが強くて、大人向けだ。
アリスは大きく息を吸い込んで、キャロットケーキを半分に割ると、それをフォークに乗せて思い切り口を開け、お行儀なんて気にせずに、一口で食べた。
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