第23話 運命の面会

 空泉そらいずみ本社ビルのロビーに一歩足を踏み入れた瞬間、歴史の重みが私を包み込んだ。百年以上の歴史を誇る財閥の本社は、大理石の床と木目の美しい壁面が調和した気品ある空間で、訪れる人々に畏怖の念を抱かせるように設計されているのだろう。


 受付カウンターでIDカードを受け取りながら、さりげなく腕時計を確認する。午後3時45分。空泉 剛志つよし会長との面会まであと15分。緊張で手が僅かに震えそうになるのを抑えるように、カバンの取っ手を握りしめた。


 エントランスホールの天井まで伸びる巨大なモニターには、グループ各社の最新技術が映し出されている。伝統と革新——その二つの価値を体現するかのように、古き良き時代を感じさせる空間に、最新のセキュリティゲートやデジタルサイネージが違和感なく溶け込んでいた。


 河羽田かわはた製作所での実証実験は成功した。職人技のデジタル化と技術継承へのガイドという僕たちの技術は、確かな手応えがある。それでもなお、この場所に漂う無言の威圧感は、私の背筋を自然と伸ばしていた。


九ヶ上くがうえ様、お待たせいたしました」


 受付の方の声に、私は静かに頷いた。これが、全ての始まりになるのかもしれない。


 最新鋭のエレベーターは、静かに上昇を始めた。液晶パネルに表示される階数が刻一刻と変わっていく。10階、20階、30階——。タブレットに映る資料を最終確認しながら、私は河羽田製作所でのデモンストレーションを思い返していた。


「こんなにわかりやすく身につけられるとは思わなかった。先輩方の手の動きと、自分の手の動きを重ねて比較できるので、今まで言われてきた指摘がどういうことなのかすごくわかりやすくなった」


 田仲さんをはじめとする若手職人の率直な感想が、今でも耳に残っている。年季の入った職人たちからも、静かな頷きを得られたあの瞬間は、確かな手応えだった。


 40階を過ぎたところで、スマートフォンが小さく震えた。空泉さんからのメッセージだ。


『頑張ってください。祖父は技術の価値を理解する人です』


 その言葉に背中を押され、僕は深く息を吸い込んだ。タブレットとスマートフォンをしまい、窓の外に広がる東京の景色を見つめる。50階——。扉が開く音とともに、新たな挑戦が始まろうとしていた。


◇◇◇


「会長は後ほど参ります。少々お待ちください」


 秘書に案内された応接室で、僕は黒檀の椅子に腰を下ろした。正面には会長室へと続く扉がある。何度も手入れされたであろう銘木の扉は、歴史の重みを纏っていた。


 空泉さんから伺った会長の人となりを思い返す。これまで数々の商談や投資家との面談をこなしてきたが、今日の緊張感は全く異なる。技術の価値を問われるだけでなく、人としての在り方までもが、試されているような気がした。


 そう思うと、背筋が自然と伸び、呼吸が僅かに早まるのを感じる。これは単なるビジネスの話ではない。伝統と革新、そして——。思考の先を辿る間もなく、重厚な扉がゆっくりと開かれていった。


「よく来てくれた」


 静かな声には、年齢を感じさせない力強さがあった。空泉 剛志つよし会長は、78歳という年齢を微塵も感じさせない凛とした佇まいで私を見据えていた。


「さて、早速だが御社の、TechFlow 社の理念について、聞かせてもらえるかな」


 最初の質問は、投資家との面談でも聞かれることだった。僕は一瞬の躊躇もなく答えた。


「技術の進歩は、人々の営みをより豊かにするためにあると考えています。特に、日本の製造業に脈々と受け継がれてきた職人の技。それを絶やすことなく、次世代に引き継ぐための手段として、テクノロジーが果たせる役割は大きいと考えております」


 会長は静かに頷き、次の質問を投げかけた。


「すべての職人技のデジタル化。それは本当に可能なのかね」


「はい。河羽田製作所での実証実験で、その手応えを得ています」


 タブレットを取り出しながら説明を続けた。


「職人の動作を3Dカメラと各種センサーでキャプチャし、それを人の目と AI で分析。これまで暗黙知とされてきた技術や職人の"癖"、呼吸の間といったものをを、誰もが理解できる形で可視化することに成功しました。若手職人の習得スピードは従来の3倍以上。そして何より、ベテラン職人からも高い評価を得ています」


「グローバル展開の構想は?」


 三つ目の質問に、僕は具体的な数字を示しながら答えた。


「アジアを中心に、今後5年間で50社への展開を計画しています。すでに、シンガポールとベトナムに工場のある企業から具体的な引き合いをいただいております」


 会長は黙って僕の説明を聞き終えると、ゆっくりと立ち上がった。夕暮れの東京を一望できる窓際に歩み寄り、しばらく景色を眺めている。その背中には、ある種の覚悟のようなものが感じられた。


「孫娘の亜里沙のことだが」


 突然の話題の転換に、私の心拍が早まる。


「君は彼女のことを、どう思っている?」


 この質問には、経営者としてではなく、一人の人間として答えるべきだと直感した。


「僕には空泉さん……亜里沙さんの持つ芸術への情熱と、伝統を守りながらも新しい価値を創造しようとする姿勢に、深い共感があります。そして」


 僅かな躊躇の後、僕は言葉を続けた。


「その想いは、単なる共感を超えたものになっていると自覚しております」


 会長は振り向くことなく、静かに頷いた。室内に、重い沈黙が落ちる。夕暮れの光が、会長の横顔を優しく照らしていた。


「私が経営を引き継いだ頃の空泉グループは、戦後の混乱で多くを失っていた」


 会長は再び席に戻りながら、静かに語り始めた。夕暮れの光が室内に差し込み、その表情を柔らかく照らしている。


「伝統を守るべきか、革新を求めるべきか。その選択に、随分と悩んだものだ。しかし結局のところ、その二つは相反するものではなかった。伝統とは、時代に合わせて進化を続けてきた知恵の結晶なのだからね」


 語気が強まることも、声が大きくなることもない。しかし、その言葉の一つ一つに、体験に裏打ちされた重みがあった。


「亜里沙は幼い頃から、芸術に対して人一倍の感性を持っていた。そして同時に、現代の技術にも強い関心を示していた。最初は、その両立に戸惑いを感じていたようだがね」


 会長の口元に、微かな笑みが浮かぶ。


「しかし彼女は、その二つを見事に調和させようとしている。君との出会いは、その契機の一つだったのかもしれない」


 私は黙って言葉を受け止めていた。会長は、机の上に置かれた私の技術資料に目を向けた。


「君の技術は、確かなものだ。しかしそれ以上に、その技術に込められた想いを評価したい。伝統を壊すのではなく、守り、発展させようとする姿勢。そして」


 会長は初めて、真っ直ぐに私の目を見た。


「経営者として、人として、誠実に生きようとする姿勢だ」


 その言葉に、僕は深く頭を下げた。単なる技術評価を超えた、人としての評価。それは私にとって、この上ない励みとなった。


「明日の文化芸術財団の理事会は、簡単な戦いにはならないだろう。しかし、君とあの子なら、きっと道を切り開けるはずだ」


 会長の声には、確かな信頼が込められていた。


「最後に一つ、助言をしておこう」


 会長は立ち上がり、私もそれに続いた。


「理事会では、必ず反対意見が出る。しかし、君の技術が本物なら、必ず理解者は現れる。大切なのは、ブレないことだ」


「ありがとうございます。必ず、期待に応えてみせます」


 僕の言葉に、会長は静かに頷いた。重厚な扉が開かれ、僕は会長室を後にした。


 エレベーターに乗り込んだ瞬間、緊張の糸が解けるのを感じた。深いため息が、自然と漏れる。しかし同時に、新たな決意が胸の中で固まっていくのを感じていた。


 スマートフォンを取り出し、空泉さんにメッセージを送る。


『会長との面会、終わりました。明日の理事会、必ず成功させましょう』


 送信ボタンを押した直後、即座に返信が届いた。


『信じています』


 その言葉に、僕は思わず微笑んでいた。

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真面目プログラマーと凛々しい令嬢 カユウ @kayuu

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