レイヤーさんの青い時代
クリスマスが終わり、年末を迎えた今日この頃。
夕方というよりほぼ夜である午後18時。レイコは仕事帰りに富橋駅のイルミネーションを見に来た。
周りはカップルや家族連れたちが、光り輝いているオブジェを背景に写真を撮っている。
寒いが体の芯から冷えるほどではない。富橋は風が強いが、夜になると止むことが多い。
レイコはペデストリアンデッキにあるベンチに座った。樹脂製で木と同じ色をしているが冷たい。なんとか自分の体温で温めようとじっと固まることにする。手にした缶コーヒーだけがあたたかい。
『年末ギリギリまでお互い仕事とか……』
『どっちも職場から必要とされているってことだ』
『そうね……』
『仕事納めだし、せっかくだから橋駅で晩御飯にしよう。イルミネーションやってるんだろ? 帰りに見に行こう』
というわけで来たのだが、きらびやかな世界が一面に広がっていた。
ペデストリアンデッキの頭上では端同士をつなぐ橋のようなものに、ストレートライトが放射線状に並んでいる。その真下にはチューブライトを使って作られた手筒花火や波のモチーフとえんじ色の壇があり、スマホを片手にした人たちが列を成している。
一面に白いネットライトが張り巡らされたエリアにはボールライトが配置され、富橋のマスコットキャラクターのオブジェが飾られていた。
花壇がある場所にはまるで鉱石のようなものがオーロラカラーに輝き、吊るされている。クリアケースにバラの造花を並べ、柱のように飾られているものはレイコのお気に入り。思わずスマホを向けた。
レイコの高校生時代、イルミネーションはここまで種類がなかった。
これからは毎年、貴義と見にくることができたら、と顔が綻んだ。その彼も仕事が終わってこちらに向かっているらしい。
レイコは結婚して24になり、住まいを移した。貴義とは相変わらず一緒にコスプレイベントに行き、共通の友人も増えた。
時々彼に、”黒鷹さんって彼女いるんですか?”と下心満載で聞く女性レイヤーがいる。その度にムッとするのだが、彼は”そんな人はいない”と軽く受け流す。
その後、イベントが終わってから立ち寄ったファミレスでこんな会話を交わした。
『彼女はいない、ねぇ……?』
『さっきのことか。いないよ。レイコが一番分かってるだろ』
『や、だって』
『レイコは彼女じゃなくて奥さんだ』
貴義はそう言って、テーブルに置かれたレイコの左手の薬指をなでる。
イベント中は外している結婚指輪。その存在を示唆するように。
レイコはフッと笑みを消し、視線を伏せた。
指輪で思い出してしまうことがある。いつしか彼女の意識は高校生の頃へさかのぼっていた。
これは彼女の、青い時代の恋の話。
「ひーやま」
「何よ
「お前って本当、たまに男らしくなるよな……。いよっ! 兄貴!」
「誰が兄貴よ」
レイコは桜井の首根っこをつかむ。女子の中では身長が高い部類に入る彼女は、小柄な桜井の頭をはたくことも容易だった。
彼────桜井
それは二年生の時の文化祭がきっかけ。
レイコの高校は私立。規模も市内で一、二を争う大きさだ。
もちろん文化祭も盛大で、後夜祭まで三日間に渡って行われる。
レイコのクラスはお好み焼き屋をやることになった。彼女はお好み焼きを作る係となったのだが、焼く姿がプロのように豪快だと女子生徒の目線を釘付けにした。
「レイコちゃんイケメンかよ……!」
「イケメン? ありがとう」
彼女は同じクラスの女子たちに笑ってみせる。
当時、短髪だったレイコはかっこいいとかイケメンとか褒められるのが好きだった。が。
「桧山可愛いよ~」
「はぁ?」
「出たゲス顔! せっかくの美人が台無し」
「桜井は黙ってなさい」
可愛いと言われるのは中学生の時から好きじゃなかった。喜んでいたのは小学生までだろうか。
それをおもしろがっている桜井とは定期的にこのやり取りをする。その度にゲス顔で返すのはもはや、クラスの日常の風景となっていた。
「出たよ夫婦喧嘩。早いとこ付き合えばー?」
「野次馬も黙りなさい。一緒に焼いてやろうか。とりあえず桜井はひなたまな」
「日向と卵!?」
爆笑が起き、模擬店の前を通り過ぎようとした一般の人が何事かと足を止めた。
文化祭も最終日を迎え、後夜祭を終えた帰り。レイコはたまたま帰るのが一緒になった桜井と並んで歩いていた。二人共自転車通学だ。
「じゃ、あたしはこっちに停めたから」
「ひ……桧山!」
呼び止める桜井の声が一瞬裏返った。吹き出しながら振り向くと、やけに緊張した顔の彼と目が合った。
何、とはいちいち言わなかった。いつからか、返事をせずに顔を向けるだけで許される仲になっていた。
「あのさ! 桧山が作るお好み焼き美味しかったよ! 」
「あ~そう? ありがと。粉モンはなぜか得意で……」
他にはたこ焼きも……と得意げに語ろうとしたら、桜井がツカツカと歩み寄ってきた。彼はレイコの首に腕を回すと、力強く引き寄せた。
「ちょ……何」
男友だちのように肩を組まれるのはしょっちゅうだったが、こうして抱きしめられたことはない。いきなり何を、と思ったが、無理矢理振り払うことはできない。抱きしめる腕に気持ちがこもっているのが伝わってくる。
小さい小さいと思っていたが出会って一年。自分と目線がほぼ同じになっていたことに初めて気がついた。
「ずっと好きだった。一年生の時から決めてたんだ、絶対コイツと付き合おうって」
ささやくように言い終えた桜井はゆっくりと離れた。
いきなり過ぎて顔を赤らめる可愛げなんてなかった。ただただ、驚いた表情で彼を見つめ返すことしかできなかった。
ちょっとうつむき、それからチラッと見上げると、桜井の瞳に期待が高まってこぼれ落ちそうになった。
「いい……よ。あたしも別に、あんたのこと嫌いじゃないし」
照れ隠しで短い髪を後ろになでつけると、再び思い切り抱きしめられた。思わずあとずさってしまうほどの勢いで。
「良かったー! 桧山さ、男の態度に下心があると超冷たくなるじゃん? だから怖かったんだよな……」
「下心ね……。あんたは大丈夫よ? そんなんないでしょ、あれば拒絶反応出るからすぐ分かる」
「何? 下心発見機でも体に埋め込んであるの?」
「あるかもね」
冗談を言って笑い合った。本当はレイコも、こんな日が来ることを待ち望んでいたのかもしれない。
こうしてレイコと桜井の交際が始まった。
彼氏彼女になったからと呼び方が変わるわけでもなく。相変わらず苗字で呼び合っていた。
二人が文化祭を境に付き合い始めたことはあっという間に知れ渡った。誰から見てもお似合いのカップルだと。
人懐っこくて誰からも好かれる桜井は見た目も良く、彼に想いを寄せる女子も多い。だが、ほとんどが儚い恋だった……とすんなり諦めた。
一部、レイコに反感を覚えた女子がいたが、彼女の時々強くなる気と口調に刃向かおうとする命知らずはいなかった。
レイコを想っていた男子もいたが、何も行動を起こせずに終わった。
彼女は初め、軽い気持ちで付き合うことを決めたのだが、一緒にいる時間が長くなるにつれて恋愛的な意味で彼に惹かれていった。
周りをよく見ていて細やかな気遣いができて、笑った顔が子どものように無邪気で見とれてしまう。
三年生の夏休み直前。最近は午前で授業が終わるので、午後は部活に参加する生徒以外はほとんど残っていない。
レイコは誰もいない教室でアイスを食べていた。食堂の自販機で買ったものだ。
クーラーを程よく効かせた教室で食べるアイスはおいしい。彼女のお気に入りはキャラメル味。夏になるとしょっちゅう食べる。
卒業したら就職すると決めている彼女は、入社試験を受ける会社がすでに決まっていた。
「桧山ー」
「あ、やっと来た」
「ごめんごめん。担任に呼び出されてた」
教室に現れた桜井は両手を合わせた。
三年生になってから彼とはクラスが別になった。
その代わりではないが、授業後に二人で勉強をするのが日課となっていた。彼は志望大学を受けるには今の成績では少し難しいらしい。
二人は一つの机で向かい合わせになって座った。
「お前なぁ……。一人だけ気楽そうに……」
「だってあんたの将来でしょ?」
「そうだけどさ~……」
「だーかーら、こうして一緒に勉強するんでしょ」
レイコは口の端を上げて片目を閉じ、桜井の頭をわしゃわしゃとなでた。
「ちょっガキか俺は!」
「ガキでしょ。あたしより数ヶ月誕生日遅いから」
「数ヶ月だけでいばるな! アイス俺にも寄越せコノヤロー!」
「ヤローじゃない! アイスは誰にもやらんわ!」
身を乗り出した桜井はバランスを崩し、慌てて机に手をついた。バンッという大きな音でレイコは肩をビクつかせ、近距離にある桜井の顔にも驚いて固まった。
気まずくなったのは桜井も同じか、レイコのことをまじまじと見つめていた。
徐々に互いの顔が赤くなり、さすがにうつむこうと思ったレイコは、アゴに手を優しく添えられた。
何よ、とは聞けなかった。気づけば桜井に唇の自由を奪われていた。
彼も慣れているわけではないらしい。重ねた唇はぎこちなく、ゆっくり離れると震える声を絞り出した。
「嫌だった……?」
無言で首を振る。
本当は誰かに自慢したいくらい嬉しい。しかし、そんな風に可愛らしく返せるわけがなく、レイコは火照った頬を冷まそうとアイスにがっつく。
溶けかけた残りを一気に食べてしまおうとすると、今度は唇の横にキスをされた。
「やっとアイス食えたわ。正確には舐めた?」
「そういう言い方すんな!」
いつもの調子に戻ったレイコに、桜井は柔らかく笑ってみせた。
そんな彼の家に初めて訪れたのは夏休みに入ってから。
”親いないから家に来る?”と誘われた。いつもは図書館で勉強しているのだが、同じことを考えている学生が多いのかにぎわっていたからだ。
「え~すご~……」
「そうか?」
「部屋いっぱいあんじゃん」
初めて入った桜井の家は大きく、立派な日本庭園まであった。聞けば両親と三人暮らしで、社会人の兄と姉二人は桜井が中学生の時に実家を出たらしい。
「ここは父さんの書斎」
「書斎? 本物初めて見る!」
彼は重たそうな扉のドアノブを回した。
中は壁一面に本棚が並べられ、ぎっちりと本がしきつめられていた。机はまるで明治時代の文豪が使っていそうな造りで、その上はすっきりと整頓されていた。
「ちょっとした図書館じゃん! 桜井のオトンは小説家なんか?」
「違う違う。でも小説を読むのは好きだよ」
「ふ~ん……」
彼はそれ以上この話を続ける気はなかったのか、”こっちが俺の部屋”と先だって歩いた。
桜井の勉強力は夏休みの間でメキメキと上がった。これなら二学期の成績は期待できる、と確信できるくらいまで。
休憩しようか、と彼は教科書やノートを閉じた。
「クーラー効いてるけど頭使うと暑いかも……」
「知恵熱か」
レイコは桜井の額に手をやった。日に焼けた彼の肌に、日焼け止めクリームを欠かさないレイコの肌が際立つ。
「桧山白すぎね? 吸血鬼かよ」
「これでもちょっと焼けた。吸血鬼にはなりきれんかった……」
「何目指してんだよ」
レイコはフッと笑い、タンクトップの襟をつまんであおいでいる桜井の首元を見て────チラ見が凝視に変わった。
くっきりと浮き出た鎖骨。声変わりしたと言っているが、心地よい高音の彼は意外と喉仏が目立つ。
「何? 俺に見とれた?」
気づけば桜井がニヤケている。事実だったので瞬時に言い返せず、上目遣いでにらむだけ。
するとレイコは細い腕を取られ、桜井の腕と並んだ。
自分より高い体温にふれ、自分の体温が跳ね上がった気がした。
夏休みが終わり、9月に入ると入社試験が行われた。レイコは無事に内定をもらうことができ、そわそわしながらスマホの電源を入れた。
授業中だが真っ先に桜井に結果を伝えたかった。きっと一緒に喜んでくれる。その様子を想像すると、授業中らしくないふやけた表情に変わる。
板書もせず机の中でスマホをさわっていると、元から暗い手元がさらに見えにくくなった。
「ひ~や~ま~……」
「あ゛っ!?」
「授業中にケータイ使うな!」
「ケータイじゃないですスマホですー!」
「同じだろうが!」
男性教師に見つかり、思わずスマホを持ったまま手を上げてしまった。そしてそのまま没収。
画面がついたままなのにと、恥ずかしさにうつむくと、目の前にスマホを差し出された。
「え……?」
「次は没収だからな。成績いいから今回だけ許す」
最後に肩にポン、と手を置かれた。
ポカンとしてからその後ろ姿に”ありがたや……”と手を合わせると、周りからくすくすと笑いがもれた。
隣の席の女子がシャーペンでレイコをつつく。
「何が起きた?」
「いや……。なんだろね?」
レイコはとぼけた顔で首をかしげ、こっそりと送信ボタンを押す。
文面は────
『内定もらったー! 夏休みに面接練習に付き合ってくれてありがと。次は桜井が頑張れ!!』
メッセージアプリの上部には桜井のフルネーム。二人が付き合っていることは教師たちにも知られている。
(もしかして相手が相手だから……?)
レイコはスマホの電源を切り、慌てて板書を取り始めた。
その日の下校時間。
桜井がレイコの教室に来た。お祝いにご飯でも食べに行くかと誘われて富橋駅まで自転車で走った。
レイコのリクエストで入ったのは牛丼屋。
店内は学校帰りの高校生や大学生、仕事帰りの社会人たち。
テーブル席に座ったレイコは幸せそうに牛丼を頬張った。豚汁も合わせて頼んだ。トッピングでチーズと温泉卵も。
「ていうか本当にいいの? 全部桜井のおごりで。割り勘にしない?」
「いーのいーの。男が財布出してんだからおごられて」
「あーそう? じゃあありがたく……。追加注文したいんですけど」
「まだ食うんか!?」
「デザートで締めなきゃ」
親指を立てるレイコに桜井は苦笑しながら、注文タブレットを引っこ抜いた。
店を出ると外は暗くなりつつあった。まだ日は短くないが、来月には日暮れが早くなってくる。
まだ話していたい、と言った桜井に付き合ってペデストリアンデッキのベンチに腰かけた。
「良かったよスマホ没収されなくて……」
「ホントそれな。それにしても……。授業中に連絡するほど俺のことが好きになってたのか~」
「そうよ、悪い?」
「悪くない。最高」
桜井はレイコの肩に両腕を回し、頬に唇を寄せる。わざとらしく押しのけると、二人の前を手を繋いだカップルが通りがかった。
「わぁ……」
偶然、彼らの左手の薬指が目に留まった。そこには同じきらめきを放つ指輪。レイコは思わず、うらやましい気持ちと共に声をこぼした。
考えていたことは桜井も同じか、姿勢を正すとレイコを片手で抱き寄せた。
「俺が買ってやるから。それまで待っとれ」
「可愛いヤツがいい」
「任せとけ」
レイコは返事をする代わりに彼に体を委ねた。
人生で最高に満たされた瞬間だと思った。
将来が約束され、恋人がいて。
卒業後も何も怖くないと────この時は何の迷いもなく思えた。
「……バカ」
罵倒と同時に涙がこぼれる。レイコは教室で一人、スクールバッグに横顔を押し付けた。力なくうなだれ、瞳を閉じる。
下校時間を迎えた教室は彼女以外に誰もいない。暖房を利かせたエアコンの機械音だけが響く。
いつもだったらこの時間は桜井が迎えに来て、一緒に自転車をこいでいるはず。
『ごめん。もうレイコとは会えない』
昨夜、いつものように電話したら彼に拒絶された。聞こえて来た言葉に硬直していると、彼は一人で話し始めた。
『大学の推薦枠に入れなかったんだ。一般を受けるために死ぬ気で勉強しなくちゃならない』
『それなら尚更一緒に勉強しようよ、夏休みの時みたいに』
『いつまでもお前に頼ってられないよ。……俺の将来の問題なんだから』
彼の絞り出すような声に心が痛くなった。
『だってあんたの将来でしょ?』
夏休み前に彼にかけた言葉。こんな形で彼から言われることになるとは。
(決して突き放すつもりで言ったんじゃない……。あんたの将来を誰よりも応援してたのは本当だよ……)
『……高校生活のいい思い出になったよ、桧山は』
唇をかんでかける言葉を迷っていたら、驚くほど低い声が聞こえた。
思い出。過去形にされ、自分たちの交際はここまでなのだと思い知らされた。
それから二人はお互いに避けるようになり、連絡も絶った。
卒業式間近、人伝いに桜井が一般入試で大学に難なく受かったことを聞いた。
市電が走り出す音で現実に引き戻された。
レイコはかすかに苦笑いを浮かべ、缶コーヒーをあおった。
「桧山?」
久しぶりに呼ばれた旧姓。別の誰かのことだろうか────と思いつつも振り返る。
「あ。やっぱり」
「やっぱり?」
怪訝な顔で相手の顔を見てハッとした。
こんなタイミングで再会するなんて、奇妙な偶然もあるものだ。
「……桜井?」
「桧山じゃんうわ懐かし! 何年ぶりだ?」
「さぁね。でも、久しぶりね」
あんな別れ方をしたのにごく自然に話せていた。その分、大人になったということだろうか。
桜井は幼さが抜け、外見の良さが上がっていた。スーツのせいもあるが雰囲気は落ち着き、大人っぽくなった。
「レイコは綺麗になったな」
「そりゃどうも」
レイコはドヤ顔で髪を後ろへ流してみせる。昔だったら"お世辞言っても何もやらんぞ"と返していた所だ。
「あの……さ」
「ん?」
「ごめん」
「何を今さら」
レイコは缶コーヒーを握りしめてうつむいた。
桜井はレイコの隣に座ると、ビジネスバッグを膝の上にのせた。
「俺があんなこと言わなければこんなことにはならなかったから……。今さらだけどさ、言い訳させてくれる? 話すと長いけど」
「……手短くまとめてくれ」
「お……おう。実は俺、理事長の孫で教員免許取るように言われてて────」
「は!? 理事長!? あんたロワイヤルファミリーだったの!?」
「ロワイヤルってそれ……戦ってね? 言うならロイヤルファミリーだろ……」
「で? で?」
「レイコが勉強を見てくれたのに大学の推薦枠に入れなくてさ、両親にしこたま怒られた。恋愛にうつつを抜かすからだって。だから別れろって言われて……。反発したら両親が直接レイコに言うって言いだして、仕方なく」
なんというローカルなルール。笑えるような笑ってはいけないような。
レイコはあえて何も言わずに苦笑いした。
「今はウチの学校で先生やってるよ。まだまだ新米みすごいけどね……」
「24なんだからこれからでしょ。頑張って」
「ありがと」
桜井は頭をかいて笑った。レイコが無言でコーヒーを煽ると、桜井は切り出した。
「ねぇ。久々に会って急に言うのもアレだけど……。俺、また桧山と────」
「レイコ」
聞こえた声に顔を上げ、レイコは顔を明るくさせた。缶コーヒーをそっと置き、スーツ姿の男前────レイコが心から決めた相手に走り寄り、彼の肩にグーパンを入れる。
「遅いわボケー」
「ごめん……。早く帰りたい時こそ帰れないんだよな…」
貴義はその拳を片手で受け止め、レイコの肩に手を置いてなだめた。
桜井は自分の存在に場違い感を感じずにはいられなかった。
「桧山……?」
「あたし結婚したのよ。この人と」
「どうも。黒瀬です」
長身でしれっとスーツを着こなす姿はさすがとしか言えない。出来る男感オーラがあふれていた。
「だからもう桧山じゃないの。びっくりした?」
「そりゃ……もう。年上の方?」
「そ、アラサー。おじさんって言ったら怒ります」
「そう、だったのか……。おめでとう」
「ありがと」
またレイコと付き合おうなんて浅はかだった。
レイコは付き合っている時に見せた笑顔よりずっと、女らしく大人らしく、幸せそうだった。
貴義に腕を絡める姿は、何か大きなものを乗り越えて一緒になれたという絆が目に見えた気がした。
そんな彼女を見下ろす貴義の視線は、何よりも愛おしいという感情が込められている。思わず目を背けたくなるほど。
「じゃ、俺は行くよ。二人の邪魔をするわけには、な」
「うん、バイバイ」
「気を付けて」
桜井は手を振り、二人の声を背中で聞きながら去った。振り返りたい衝動に駆られたが耐える。もう一度レイコの顔を見たら激しい後悔に襲われそうだった。自分は誰よりもいい女を逃した、と。
(うらやましいくらいお似合いのカップルじゃん……)
「幸せに……なれよ」
心からの言葉が、知らずうちにこぼれる。
冷たい手で目元を拭う。らしくなく、涙がこぼれた。
この手で守りたいと思える別の誰かにまた出会えますように。自分のではなく、その人の涙を優しく拭ってあげられますように────
桜井を見送り、レイコは貴義から腕をはなした。
物足りなさそうな表情に変わった貴義は、寂しくなった腕でレイコの頭をポンポンとなでる。
「……改めてお待たせ。寒い中ごめん」
「いいよ」
「……で。どちらさん? 彼は」
「高校の時の同級生。……または元カレ」
「ふーん……」
「どうした。ヤキモチ妬いた?」
「いや? まさかレイコの昔の男の趣味を知れるとは」
「ねぇそれ感心してんのバカにしてんの?」
レイコは細目で見上げて貴義の腹筋に拳を当てる。特別鍛えているわけではないのに硬い。
「今カレは俺だし」
「今カレじゃなくて夫ですよ」
レイコが再び腕を組んだのを合図に、二人は歩き出した。
「さっきグループできた、ルカさんといぬもろこしさんの家でコスプレ年越しパーティーやるって話、何やる?」
「それな……。桜嵐……はイベントで散々やったしな。そもそも和服だから家に合わないよね」
「撮影重視か。ただ過ごすだけだからなんでもいいだろ」
「じゃあ貴義は女装ね。いっつもやりたがらないけど室内ならいいでしょ?」
「……それは断る。俺に女装なんてレイコにメイド服キャラやれレベルの注文だぞ」
「え゛」
レイコが苦い表情で固まる。いかにも可愛い女の子が着るような衣装は相変わらず苦手だ。貴義には似合うからやればいいのに、とよく言われる。
レイコはしばらくうなりながら考え、ほんのり頬を染めて貴義のことを見上げた。
「じゃあ……あたしがメイド服キャラやったら女装してくれる?」
「え゛」
今度は貴義が固まる番だった。ただ、表情は苦くない。むしろちょっと嬉しそうな。彼の頭の中では、メイド服姿のレイコを侍らしているだろう。
「レイコが良ければ……ぜひ拝みたいと……」
貴義はたどたどしく言葉を紡ぎ出したが、レイコは残酷なほどにっこりと笑った。
「嘘。あたしがあっさりメイド服着るわけ。貴義も女装しなくていいから。あたしの推しのコスして隣にいてくれ」
「そうか……」
再び歩き出す二人。レイコは貴義に絡めた腕に、一層力を込めた。
「来年も一緒にいてね?」
「当たり前。レイコが嫌がっても隣にいてやる」
レイコは返事をする代わりに彼に体に押し付けた。
幸せなカップルの後ろ姿は、夜でもにぎやかな通りに向かった。
fin.
時をかけるコスプレイヤーと侍と隣人 堂宮ツキ乃 @tsukinovel
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