後篇

 それから何日か経って。

 ロビンと一緒に、近所のおばあさんに手作りのお菓子を届けにいった帰り道のこと。


 風が田んぼの水面を軽やかに撫で、まだ青い稲と土の香りを運んできた。

 田んぼ道を抜けると、土手には小さな野花がたくさん咲いていた。ロビンは私の視線に気がつくと、ひとつずつ花の名前を教えてくれた。

 手を繋ぎながら家へと続く坂を登りかけたそのとき、背後から聞き覚えのある声がした。


「おーい。今日もA2Rと一緒なのかよ」


 そこにはランドセルを背負った学校の同級生がいた。たしか、りくとあずさだ。

 あずさは麦わら帽子のつば越しに、少し気の強そうな瞳を覗かせている。

 わたしは彼らを少しだけみて、構わず帰りを急いだ。


「無視すんなって」


 りぐがわたしの肩をつかんだ。仕方なく、ふり返る。


「A2Rじゃないわ。ロビンよ」

「A2Rじゃないわ。ロビンよ」あずさが口を尖らせ、変な顔をしてわたしの真似をした。


 はあ、とため息をついた。

 全然似てないし。本当にくだらない。なにが楽しいんだろう。


「A2Rってなんでもできるんだろ? 空飛べるの? 手からビーム出してみろよ」


 りくが茶化すように笑った。


「空なんて飛べないし、ビームも出ない。でも、ロビンはすごいわ。料理も掃除もできるし、勉強も教えてくれるの」


 すると、あずさが横から口を挟んできた。


「ふーん。いいなあ。ちょっとかっこいいし。私も欲しい」


 りくはそれを聞いて肩をすくめて笑う。「こいつの家は、俺たちと違うから。でもA2Rが友だちって、変じゃね?」

「そんなことないわ。都会では、みんなA2Rと一緒らしてるのよ」


 お父さんとお母さんは昔は都市部に住んでいたらしく、前はよくその話をしてくれた。でも、この辺りでA2Rがいる家は珍しかった。

 変な目で見られるのも、もう慣れっこだ。


「へえ……。でも、どこに住んでたって、機械が友だちなんてやっぱり変だよ」

「変かどうかはわたしが決めるわ。からかうなら、あっちいってよ」


 少し大きな声を出すと、りくは少しだけ驚いた顔になった。

 しかし、怯んだようすはない。


「たとえばこうすると、ロビンはどうなんの?」


 そのとき、りくがふざけてわたしの肩を押した。

 軽い衝撃だったけれど、坂道で足元が不安定だったこともあり、わたしはついバランスを崩してしまった。


「きゃっ!」


 転んじゃう!

 そう思った瞬間、ロビンの腕が素早く伸びて、わたしの体を抱きとめてくれた。だが、その拍子にロビンの足元がぐらつき、一緒に少しだけ転がって、最後にずしんとロビンが下になって倒れる音がした。


「ありす様、ご無事ですか」

「ええ、ありがとう。大丈夫よ。あなたが守ってくれたから」


 ロビンはわたしを抱きかかえて、ゆっくりと立ち上がった。


「ちょっと、やりすぎ! 大丈夫なの?」


 あずさが駆け寄ってきて、声を掛けてくる。


「……ごめん」


 一緒に走ってきたりくが、気まずそうにいった。


「強く押すつもりじゃなかったんだよ。ただ……」


 彼の声が少しずつ小さくなる。


「ロビンがどんななのか、興味があって」


 わたしはロビンの腕から降りて、ふたりを睨みつけた。

 言葉が出てこなかった。

 わき上がる怒り。それに、彼らの不器用な謝罪。

 どう反応していいかわからない。


「ロビン、本当にありがとう」


 わたしは結局、それだけ口にした。

 ロビンはいつもの優しい目で見つめ返してくれた。


 でもその時、普段とは違うものが目に入った。

 ロビンの腕に、大きな亀裂が入っていたのだ。

 なんてことだろう。わたしをかばったときに、怪我しちゃったんだ!


「ロビン! 大丈夫!?」


 思わず叫んだ。

 破れた部分から複雑な金属骨格や配線が見えていて、見るからに痛々しい。


「見た目の損傷は派手ですが、異常はありません」


 ロビンはそういったものの、堪えきれなくて、つい泣きだしてしまった。

 お気に入りのお洋服も泥だらけだ。

 ねえ、教えて。わたしたち、なにか悪いことした?


「ひどいわ。あなたたちなんか大嫌い。お願いだから、構わないでよ」


 わたしはそれだけいうと、ロビンと一緒に自宅へ向かった。

 もう、ふたりは追いかけてこなかった。


 †


「ロビン、どうしたの? その腕、また故障!? ありすも、そんな泥だらけで!」


 家へ帰ると、お母さんが心配そうに駆け寄ってきた。


「さきほど転倒し、損傷しました」ロビンは淡々と答えた。

「転倒ですって? 修理したばかりなのに。やっぱり、買い替えるべきだったんだわ!」

「違うの! ロビンは私を庇って――」


 しかし、お父さんがわたしの言葉を遮った。


「ロビンの調子がおかしいのは事実だ。それに、新型はもっと優秀で安全なんだよ」

「でも……!」

「わがままもそこまでだ。お父さんもお母さんも、意地悪したいわけじゃない。残念だけど、仕方のないことなんだ」

「そうよ。形あるものは、いつか必ず壊れるの。お願いだからわかって。ありす。あなたのためなの」


 わたしは悔しさのあまり、口をつぐむことしかできなかった。


 隣りにいるロビンを見つめると、彼はわたしの方をみて、少しだけ頷いてくれた。

 何も言わなくていい、とでも言いたげな、無表情な彼の優しい仕草にみえた。


 その夜。

 怪我をしたロビンには隣の部屋で休んでもらって、夕食はデリバリーで済ませた。でも、届いた夕食は、いつもと違ってひどく味気なかった。


 お父さんとお母さんは、いまは最新型のA2Rを購入するためにインターネットでカタログを見て、どれを買うか相談している。

 時々笑顔でわたしにも意見を求めたけれど、どうしても答える気にはなれない。

 私は落ち着かなくて、思わず席を立った。


「どこにいくの?」

「ロビンのところよ。別にいいでしょ?」

「構わないけど……」


 お母さんはなんだか不安そうだった。

 調子の悪いロビンが、なにをするかわからないと思ってるのかもしれない。

 ……そんな心配、いらないのに。


 ロビンのいる部屋のドアを開けると、彼は暗い部屋の隅でじっと直立していた。


「ありす様。今まで、ありがとうございました」彼はいった。

「そんなこと言わないで……」わたしは、また泣きそうになる。

「これでいいのです」


 わたしには、なにがいいのかさっぱりわからなかった。

 それに、少しだけ気になることもあった。

 彼の行動は確かにおかしなものも多かったけれど、危険が迫ったときはいつも助けてくれた。おかげで、わたしには怪我のひとつもない。


 ……もしかしたら。


 わたしはロビンの方へ歩きながら、足がもつれるふりをしてわざとバランスを崩した。少しずつ、床が目の前に近づいてくる――。

 すると、ロビンが即座に反応して、わたしをやさしく抱きかかえてくれた。

 すごく精密な動きだった。


「ロビン、本当は壊れてないんでしょ」わたしは彼に抱き抱えられながら、思ったことを口にした。

「そんなことは……」

「AR2も嘘をつくのね。壊れていたら、こんなに正確に反応できないはずだわ」


 ロビンはしばらく沈黙していた。


「どういうこと? ねえ、ちゃんと答えて」

「……その通りです、ありす様。私は壊れたふりをしていました」

「どうしてそんなことを?」

「私の役割は終わったのです」

「説明になってないよ」


 ロビンの瞳が、ほんの少し動揺にゆれた気がした。


「壊れているふりをしてまで、わたしと離れ離れになりたかったの? どうしてそんなに悲しいことするのよ。私たち、ずっと友だちだって言ったじゃない。それも嘘だったの?」


 わたしは堪えきれなくて、ロビンの前でついぼろぼろ涙を溢してしまった。


「ちゃんと答えて!」

「…………」

「わたしたち、ずっと友だちだっていったわよね」

「はい」

「じゃあ、どうして……」

「あなたのことが、大切です。ありす様」

「それは、あらかじめプログラムされた応答なの?」

「いいえ。たぶん、違います。あなたのことが、大切です。世界中の誰よりも」

「どうしてそう思うの……?」


「あなただけは、私の話を、いつだって真剣に聞こうとしてくれたからです」


 それからロビンは、少しずつ言葉を選びながら語りはじめた。


  A2Rは、人間の役に立つ目的で設計された。

 与えられた仕事を全うする――それが彼らが存在する理由だ。

 でもわたしは、A2Rであるロビンにそれ以上の役割を求めた。


 あなたの話を聞かせて。

 あなたの考えを聞かせて。

 ロビンがどう思っているのか、知りたいのよ。


 そういって、わたしはいつも彼を困らせた。

 そのたびに彼は感じたのだという。

 自分は人間ではないし、人間になれないこともわかっていると。


 それでもロビンは、嬉しかった。

 自分のことを人格のある個人とみとめて、機械ではなく、まるでひとりの人間のように接してくれたことが。


 そして、いつからかロビンも、与えられた役割以上にわたしのことを本当に大切に思うようになったのだという。


 わたしを守りたい。わたしに幸せになってもらいたい。

 その思いは、与えられた役割を超えて、彼が存在する目的になっていった。


 だけど、彼はわかっていた。

 旧型の自分では、もう満足にわたしの役に立てないことを。

 最新型のA2Rなら、高度な教育をはじめ、わたしにもっと多くの貢献ができることを。


――だから、ロビンは決めた。


 『壊れふりをしよう』と。

 

「ばかみたい」わたしは涙を拭いた。「あなたってたまに抜けてるわ。最新型にだって、できないことがあるってわからなかったのね」

「それは、なんでしょうか」

「あなたの代わりは、他の誰にもできないのよ」


 彼の無機質な瞳に、わずかに光が宿るようにみえたのは気のせいだろうか。

 物音がしてふり返ると、後ろにはお父さんとお母さんが立っていた。


「ロビン。まさか、お前がそんな風に思ってたなんて。気づいてやれなくて、すまなかった」

「あなたは、心からありすの友だちでいてくれたのね」


 お母さんが手を差し伸べると、ロビンがゆっくりとその手を取った。

 わたしたちは、ぎゅっと抱き合った。ロビンの体も含めて、みんなすごく温かかい。

 いつまでも、こうしていたかった。


 そのとき、家のチャイムが鳴り響いた。

 こんな時間に、誰だろう?


 みんなで玄関のほうにいって、ドアをあけると、現れたのは少しだけ沈んだ顔をした、りくとあずさだった。


「ロビンが壊れちゃったのは、俺たちのせいなんです。ごめんなさい」

「ごめんなさい」


 そういって、ふたりは深々と頭をさげた。


 それから。

 わたしたちは、ロビンが不調になるたび、修理を繰り返しながら彼のことを家族みんなで大切に扱った。

 もう、誰も買い替えようとは言わなかった。


 みんなから愛されたまま、彼はわたしの一番の友だちでありつづけた。

 完全に動かなくなる、その日まで。


 いや、動かなくなってしまったあとも。

 ずっと、ずっと。



 了

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ありすとちょっとだけ壊れたロボット つきかげ @serpentium

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