ありすとちょっとだけ壊れたロボット
つきかげ
前篇
「おはようございます、ありす様」
「おはよう、ロビン」
朝、リビングに向かうと、いつものようにロビンが出迎えてくれた。
わたしはぼんやりとした頭のまま、大きな
「おはよう」
「おはよう、ありす」
「お父さん、お母さん。おはよう」
「今日の朝食は卵焼きですよ。ありす様」
ロビンが慣れた手つきでお盆を運び、テーブルの上に料理を並べていく。
卵焼きはふっくらとしていて、美味しそうな匂いが部屋いっぱいに広がった。
「ありがとう、ロビン! わたし、卵焼き大好き!」
「存じ上げておりますよ」
彼は無表情だったけれど、少しだけ得意げにもみえる。
そんなようすに、わたしも自然と笑顔がこぼれる。
わたしとロビンは、ずっと一緒だった。
彼は、A2R――自律型アシストロームと呼ばれるアンドロイドだ。
A2Rは、家事などのサポートだけでなく、子どもの勉強をみたり、遊び相手にだってなれる。
わたしがまだ赤ちゃんだったころ、ロビンがあやしてくれるとすぐに泣き止んだらしい。お母さんから聞いた話だ。
柔らかくて、触るとほんのりあたたかいシリコンの体に、やさしい声。
ロビンは、ただのA2Rじゃない。
わたしのことを誰よりもわかってくれる、最高の友だちだ。
「いただきます」
わたしはそういって、ロビンが作ってくれた卵焼きをひと口食べた。
その瞬間、いつもとは違う変な感じが口の中に広がった。
ゆっくり噛んで、もうひと口。
やっぱりおかしい。
甘い。
ちょっと、甘すぎる。
どうやらお母さんも異変に気づいたみたいで、箸を止めていた。
「ロビン。これ、ちょっと砂糖が多くない?」
ロビンは少し沈黙したあと「申し訳ありません。分量を間違えてしまったかもしれません」と答えた。
お母さんはちょっとおかしな顔をして、ロビンのほうをじっと見ていた。
「申し訳ありません。すぐに作り直します」
「気にしなくていいわよ」
わたしはにこっと笑って、慌ててフォローする。
「醤油をかければ、これはこれでおいしいわよ。ほら、甘くてしょっぱくて、いい感じ! お父さんも試してみて!」
「……本当だ。これはこれでおいしいね!」
お父さんは無理をしているのか、苦笑いを隠せていなかった。
ロビンはこちらを見て会釈をしたあと、そのままキッチンへと向かった。
やがて水音が聞こえてきて、カウンター越しにロビンが洗い物をしている姿が見えた。
「やっぱりロビン、最近ちょっとおかしくない?」お母さんが声を
「うーん。そうかなあ」お父さんが朝食を食べながらぼんやりといった。
「ほら、この卵焼きだって」
「そういわれれば最近、ミスが増えてきた気がするね。買ってから十年以上も経つからなあ」
最近、ロビンの調子がよくないことはわたしもなんとなく気づいていた。
でも、ロビンがおかしくなったなんて、そんなこと認めたくない。
「でも、ごはんはちゃんと炊けてるし、お味噌汁もおいしいよ」
わたしはそういってロビンが作ってくれたお味噌汁をすすった。
鰹節や昆布からとったお出汁がきいていて、すごく美味しい。
「そういえばこのあいだ。お買い物にいったときだって、なにもないところで転びそうになっていたわ。買ったものは無事だったけど……」
わたしは慌ててお母さんの話を
「ロビンは平気よ。この卵焼きだって、わたしは好きよ」
「でも、ありす。突然ロビンが動かなくなったらどうするの?」
お母さんがわたしの目をみつめながら、たしなめるようにいった。
家のことはほとんどロビンがやってくれている。ロビンがいなきゃ、家のなかは荒れ放題になってしまうかもしれない。
「そんなのありえない! ロビンはぜったい大丈夫だもん!」
ロビンがいなくなってしまうなんて、考えたくもなかった。
わたしの最初の記憶は、ロビンと一緒に家の裏庭に秘密基地をつくったときのこと。
一緒に泥だらけになりながら、彼は文句のひとつも言わずわたしのそばにいて、一所懸命手伝ってくれた。
両腕で木の枝を運ぶ彼の姿が、やけに頼もしく見えたっけ。
そのあと一緒にお母さんに怒られたことも、今では夢みたいに楽しい思い出だ。
食事を終えてのんびり過ごしていると、リビングに設置されたホログラフィックディスプレイに目がとまった。
どうやら、新型のA2Rのコマーシャルが流れているようだ。
『おいしい料理、家事、育児。すべて一台で――これが新時代の自律型アシストローム、A2Rシリーズの最新型!』
続いて『進化したAI』『人の心に寄り添う』『お子様にもよい影響』などといったキャッチフレーズが画面を埋めつくす。
最後に『最高の人工知能。最新の教育心理学に基づいた、最高の家庭教師』という文字が大きく表示された。
お母さんが食後のコーヒーを飲みながら、ぽつりと
「そろそろ買い替えたほうがいいかもしれないわね」
「お母さん、そんなこと言わないで。ロビンは壊れてないよ。そのコーヒーだって、ロビンが淹れてくれたんじゃない」
ロビンはわたしたちの話を聞いているのか聞いていないのか、シンクで食器を洗いながら音楽を再生しはじめた。レトロな感じがする、電子音のメロディーだ。
「ロビン、何してるの?」
わたしが尋ねると、ロビンはちらりとこちらを見た。
「音楽を聞くと作業効率が向上するらしいので、試してみました」
「A2Rなのに?」
「たまにはいつもと違うことをしてみたいと思いまして。ダンスもできますよ」
ロビンはわたしに見えるように、変な踊りをはじめた。
不器用に腕や脚を振り回すのがなんだか面白くて、思わず吹き出してしまう。
「ロビン、変なの!」
つい楽しくなってしまい、ロビンの近くにいって一緒に踊ることにした。
「こんな感じ? ロビン、どう?」
「お上手ですよ、ありす様」
けれど、そのときだった。
ロビンが足をもつれさせてしまったのだ。同時に、わたしもうっかりバランスを崩してしまった。
「きゃっ!」
でも、ロビンは咄嗟に体勢を立て直して、わたしを支えてくれた。
「申し訳ありません。お怪我はありませんか。お嬢様」
「わたしなら平気よ。あなたが守ってくれたから。……でも、お嬢様なんて、どうしたの? いつもは名前で呼んでくれるのに」
「申し訳ありません。お怪我はありませんか。お嬢様」
「だから、大丈夫だってば」
「申し訳ありません。お怪我は、あ、あ、お、おじょじょじょじょ」
ロビンの言葉が突然途切れた。
かと思うと、次の瞬間、彼の身体がけいれんを起こしたようにぶるぶると震えはじめる。
わたしはびっくりして彼の顔を見た。
瞳を模したカメラの部分が、異常な速さで収縮や拡張をくり返していた。
異変に気づいたお父さんが慌てて近づいてくる。
「大丈夫か? ありす! ロビン!」
いけない! ロビンが壊れたと思われたら、買い替えられちゃうかもしれない!
そう思ったわたしは、とっさにロビンの頭を平手ではたいた。
右斜め45度から、複数回!
でも、ロビンが痛くないように、できるだけやさしく!
リビングに乾いた音が何度か響くと、ロビンがきょとんとした表情でこちらを見た。
そこにあったのは、いつものロビンの優しい瞳だった。
「おや? 私は一体……」
「よかった。大丈夫? ロビン。あなた、今ちょっと変だったわよ」
「申し訳ありません。この数分間の記憶がありません」
「変っていっても、ほんのちょっとだけ。気にすることないわ。誰にだって、こういうことはあるもの」
「お気遣いありがとうございます。ありす様」
「ちょっと横になったほうがいいんじゃない? いつも働き詰めだから、きっと疲れてるのよ」
「そんな、人間じゃないんだし」お母さんが口を挟んだ。
「ご心配には及びません。それでは、お仕事に戻ります」
そういって、ロビンは隣の部屋へ向かっていった。
どうやら掃除をしにいくらしい。
わたしはにこにこと笑顔を作り、手をふって彼の背中を見送った。
「うわあああ!! お父さん! お母さん! ロビンがおかしくなった! ぜったい変よ!!」
ロビンが見えなくなると、わたしは堪えきれずぎゃあぎゃあと騒ぎはじめた。
壊れているなんて認めたくなかったけれど、いても立ってもいられなくなってしまったのだ。
「ほら、やっぱりーっ!!」
今度はお母さんが鬼の首をとったように、ぎゃあぎゃあと
ぎゃあぎゃあ! ぎゃあぎゃあ!
そんなとき、再びリビングにあるディスプレイに広告が流れた。
『おいしい料理、家事、育児。すべて一台で――これが新時代の自律型アシストローム、A2Rシリーズの最新型!』
「うーん。これは、買い替えどきかもなあ……」
お父さんがそんなことを呟きながら、ロビンのいる隣の部屋のほうを見ていた。
その瞬間、わたしは心臓がぎゅっと握りつぶされたような気持ちになった。
ロビンがいなくなるなんて、考えたくない――!
「絶対にいや!」わたしはお父さんに詰め寄った。
「とはいってもなあ」
「ありす。ロビンはもう十年以上も立派に働いてくれたんだもの。お母さんも、そろそろ買い替えどきだと思うわ」
「いや! ロビンはずっと一緒だもん!」
「まあまあ。ありすの気持ちもわかるよ」お父さんが助け舟を出してくれた。
「でも、最新型ならできることも増えてるらしいし」
「それはそうだけど。……そうだ。修理。修理はできないの?」
わたしの提案に、お父さんとお母さんは顔を見合わせた。
ふたりとも、少し困ったような顔をしていた。
わたしはそのまま睨みつけるようにして、無言の圧力をかけ続ける。
「……そうだね。まずは修理に出して、しっかり直してもらおう。それで問題がなければ、これからもロビンに頑張ってもらおうよ」
やがてお父さんは根負けしたように、そういってくれた。
お母さんはなんだか少し不満そうだったが、とりあえずお父さんに同意してくれたみたいだ。
ひとまずほっとしたが、今度は別の不安が心をよぎった。
修理に出したら、色んな部品を交換することになるかもしれない。
もしロビンが直っても、一緒に過ごした思い出も消えてしまうのでは?
そのとき、帰ってきたロビンは、今のロビンと同じなの?
そう思うと、また胸のあたりが締め付けられるような思いでいっぱいになった。
†
数週間後。
ロビンが修理から戻る日、わたしは朝からずっと落ち着かなかった。
何度も家の外に出て、トラックが来るのを確認したり、何度も時計を見ては「まだかな、まだかな」とそわそわしていた。
「大丈夫よ。ちゃんと元通りになるから」お母さんがやさしく声をかけてくれた。
「わたしのこと、覚えてるよね?」
「ロビンの記憶データはクラウドに保存されてあるはずだし、心配いらないよ」
お父さんはそういってくれたが、その言葉はやけに頼りなく聞こえる。
結局ロビンが届いたのは、昼過ぎになってからだった。
修理されたロビンは、まるで新品みたいにピカピカだった。
外装はすべて交換されており、心なしか動きもスムーズだ。
「おかえり、ロビン!」
わたしの言葉に、ロビンは、少しだけ間をおいてこちらを見た。
「ただいま戻りました。ありす様」
彼の声を聞いた瞬間、わたしは胸の中で一気に緊張がほどけるのがわかった。
「わたしのこと、覚えてるんだ!」
わたしは少し泣きそうになって、ロビンに思い切り抱きついた。
新品の匂いがしたけれど、柔らかくてほんのり温かい、いつものロビンだ。
「もちろんです。ありす様のことも、ここでの生活も、忘れるわけがありません」
お父さんもお母さんもほっとした様子で、一緒に箱に入っていた修理報告書を読み始めた。
「ふむ。ソフトウェアには異常なし、か」
「じゃあ、不調の原因はなんだったのかしら?」
報告書によれば、おそらく誤作動は一時的で、不具合は確認されなかったとのことらしい。
お父さんとお母さんは、不思議そうな顔をして首をかしげていた。
†
夕食の時間、ロビンはこの前と同じように卵焼きを焼いてくれた。
わたしはドキドキしながらそれを食べてみた。
「……甘い」
少しだけ不安になった。
ロビンは、もしかしたら完全には直ってないのかもしれない。
「申し訳ありません。ありす様」ロビンは無表情のままいった。
「大丈夫。醤油をかければおいしいよ!」
そうはいったものの、わたしの胸の中には不安が渦巻いていた。
ロビンは相変わらず、すごく優しい。
でも、彼の調子が直っていないこと。それを説明できない調査結果。
それに、夕食のあとも、ロビンはなんだか調子が悪いみたいだった。
なんだか動きがぎくしゃくしていて、なにもないところで何度も転びそうになったり、同じところを掃除したり、洗ったはずの食器をまた洗ったり。
お父さんもお母さんも、そんなロビンのことを変な目で見ていたのが、なんだかやけに気になった。
その夜、わたしは自室のベッドに横になりながらロビンとお話をした。
彼はいつもわたしが眠りにつくまで、一緒にいてくれるのだ。
「ロビン。あなたが戻ってきて嬉しいわ」
「私もありす様に再びお会いできて光栄です」
気のせいだろうか。
彼の無機質な瞳が、わずかにゆらいでいるようにも見えた。
「ねえ、ロビン。修理するって聞いたとき、不安だった?」
「私は人の役に立つように設計されました。個人的な考えは持ちません」
「難しいことはわからないわ。わたしは、あなたの話が聞きたいのよ。あなたはどう思う? もし壊れちゃって、わたしと会えなくなったら、寂しい?」
「別のA2Rを購入してもらえるはずです。次のA2Rは、より高性能です」
「そんなこと聞いてない。あなたが寂しいかどうか聞いているのよ。あなたがどう思うか、あなたの考えを聞かせてほしいの」
「そのような感情は持たないように設計されています」
「スクラップになって、処分されてしまうかもしれないわ。怖くないの?」
「そのような感情は持たないように設計されています」
ロビンは、どこか困っているようにも見えた。
「そう。わたしは寂しいわ。これまでもあなたと一緒だったし、これからもずっと一緒にいたい。ねえ。わたし、あなたのことがもっと知りたい。わたしたち、ずっとお友だちよね?」
「はい。私はありす様のお友だちです」
「ありがとう、ロビン。大好き」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます