第2話 罪と罰
スクリーン上で2人目の男を相手に女優があられもない嬌声を響かせている頃、キャメル座から少し離れたお屋敷で地下室から出てきた怪人を執事姿の男が出迎えている。
「おかえりなさいませ。美穂お嬢様」
執事はすっかり白髪ばかりとなった頭を下げた。
「青木。準備が済んだらすぐに出かけるわ」
怪人はひょっとこの顔をした仮面を外す。
中から現れたのは特徴のない中年男性の顔だった。
明らかに若い女性の声と顔が一致していない。
キャメル座の怪人はタートルネックの中に両手を突っ込むとペリペリとラテックス製のマスクを剥ぎ取った。
中から現れたのは20代半ばと思われる女性の顔である。
執事の青木が差し出す鏡を見ながら、頬や額に残ったマスクの残滓を爪で摘まんで取り除いた。
キャメル座の怪人の正体は、この服部美穂である。
佐久間レナの芸名でタレントや俳優として活動していたが、その裏ではこうして殺しの依頼を受けていた。
表の仕事の修行過程で身に着けた声帯模写の腕前は抜群で、性別から年齢までどんな声でも出すことができる。
資産家であり、発明家でもあった父の遺品である3Dプリンタで出力したマスクを被れば誰にでも化けることができた。
「美穂お嬢様。それで今度はどなたになるのですか?」
耳打ちされた青木は目を見開く。
「それは危険ではありませんか?」
「何言ってるのよ。この仕事についていて危険はつきものでしょ。何をいまさら」
「もういい加減におやめになられてはいかがでしょう?」
「その話は聞き飽きたわ。ねえ。そんなことよりも支度を早くして頂戴。ちょっと下調べをしてくるわ」
変装をすませると美穂は車に乗って出かけていった。
それからしばらくして、キャメル座のスクリーンにはようやくエンドロールが流れている。
『団地妻のイケナイ遊戯』はなんと続編との同時上映だった。
ドラマパートはあるにせよ濡れ場を3時間も見させられていた古暮は心底疲れ果てている。
さんざん男遍歴をした挙句、離縁された主役が今度は女性相手におっぱじめるというのが続編だった。
まあ、それでも古暮はまだましな方であり、49番の席に座っていたさゆりは放心状態である。
キャメル座の怪人はついぞ現れなかったばかりか、転寝から目覚めて以来、ずっとポルノを強制的に視聴させられてもはや虫の息であった。
完の文字が表示されると劇場内の明かりが灯される。
さゆりは劇場から出ようと思ったが足がすくんでしまって立つことができない。
こんな破廉恥なものを身じろぎもせずに見ていた男のそばを通ることが怖かった。
視線の先の古暮は立ち上がるとふわわと欠伸をして伸びをする。
そして、後ろを振り返ることなく劇場から出ていった。
さゆりはようやく立ち上がると階段を下りていく。
ロビーに出るとスタッフらしき茫洋とした顔の中年男性がいる。
その男に近づくとさゆりは話しかけた。
「あの……。窓口が閉まっていたんでチケット代を払えなかったんです。今から払えますか?」
「ああ。そりゃ、申し訳ないだね」
2千円を受け取るとスタッフはデニムのつなぎのポケットから2百円を取り出しさゆりに渡す。
「繁華街はあんまりガラが良くないだで。時間も遅いしタクシーを呼びましょう」
スマートフォンを取り出すと素早く指を動かした。
「すぐ来るだで。ここで待つとええが」
さゆりは意を決してスタッフに尋ねる。
「あそこの自動販売機、全部商品があったんですが。売り切れのものがなかったんです」
「それが?」
スタッフは心底不思議そうな顔をした。
売り切れのものがあれば文句もあるだろうが、全部買えるなら問題のあろうはずがない。
「いえ、なんでもないです」
さゆりはいたたまれない気持ちになった。
そこに古暮がトイレから出てくる。
スタッフは声をかけた。
「お客さんもタクシー読んだ方がええかね?」
「いや、俺はいい」
ちょうどその時外から車のエンジン音が聞こえる。
古暮はさゆりに先を譲った。
階段を上がって姿を消したのを確認するとスタッフはメモを取り出して古暮に渡す。
メモには暗号資産の口座番号が記載されていた。
これは仕事を引き受けるということである。
古暮はメモ用紙をコートのポケットに収めるとキャメル座を後にした。
それから10日ほど経過した日の深夜零時、JR中央線のとある駅から徒歩5分ほどのマンションの車寄せに一台のハイヤーが止まる。
運転席から降りた運転手が車の前を回り、後部座席のドアを恭しく開けた。
そこからぬっと出てきたのは恰幅のよい初老の男性である。
中折れ帽を被ってカシミヤマフラーを巻いた男は経済新聞を精読する人間にはおなじみの顔をしていた。
SG精機社長の曽我部勇夫である。
自動ドアを抜けオートロック装置の前に立つとカードを取り出して読み取り部に置いた。
2つ目の自動ドアを抜け、エレベータで最上階に上がる。
勇夫はエレベータを降りると廊下の左右を見回した。
すぐに右に体の向きを変えると部屋の表札に出ている部屋番号を確かめながら廊下を歩き始める。
目的の部屋の前にたどり着くと勇夫はポケットから鍵を取り出した。
開錠するとドアを開けて土足のまま廊下を進んでいく。
手袋をした手でドアを開けるとそこはリビングだった。
壁一面に大きなスクリーンが設けられており、そこにはプロジェクタで映像が映し出されてる。
急にドアが開いたことに驚いた様子で神経質そうな青年がソファから立ち上がった。
「なんだよ親父。驚かすなよ。来るなら事前に連絡してくれよ」
青年は勇夫に向かって顔をしかめてみせる。
それには取り合わず勇夫はスクリーンに投影されている酷いスナッフビデオの映像にあごをしゃくった。
「これがお前の作品か?」
「ああ、そうさ。最高だろ」
「どこが最高なものか。このろくでなしめ。事件をもみ消すのにどれだけ苦労したと思ってるんだ。証拠になるんだぞ。早く消去しろと言ったはずだ」
「へえ、そんなことを言っていいのかい? 俺は別にどうなってもいいんだぜ。だけど、親父はそうはいかねえよな。俺のやったことが世間に知れたら、天下のSG精機の社長の座が危うくなるもんな」
勇夫は歯噛みをする。
「俺と話をする間ぐらいは消せ」
息子の由樹夫に近づくと小テーブルの上のリモコンを取り上げてプロジェクタのスイッチを消した。
由樹夫は顔ににやにや笑いを張り付けたまま、父親を煽った。
「そんなにびくつくなよ。懇意の先生に頼んで圧力をかけたんだろ。何も心配することはないじゃないか。せっかくだから見ていってくれよ。ネットに上げると消されるんで今じゃホンモノの映像は貴重なんだぜ」
勇夫の手から由樹夫はリモコンを取り戻しソファに座る。
父親のそれに対する反応は変わっていた。
手袋をはめた手をパンと打ち合わせる。
それに驚いて勇夫の方を見た由樹夫に向かって一言を発した。
「眠れ」
とたんに由樹夫はくにゃりとなる。
勇夫はもちろん美穂が変装した偽物であり、美穂は催眠術を使っていた。
これまで美穂が暗殺をこなしてこれた理由の一つがこの催眠術である。
ボイストレーニングを積んだ特殊な声を発することで瞬時に相手を眠らせることができる技を身につけていた。
美穂は半分眠り半分覚醒している由樹夫相手に情報を聞き出す。
不幸な少女を殺害して作成したスナッフビデオのオリジナルと複製のディスクを回収してコートのポケットに入れた。
それから由樹夫の耳に何事かをささやくと美穂は部屋を後にする。
美穂が去って1時間後、由樹夫は目を覚ました。
ソファから立ち上がるが様子が変である。
夢遊病者のように玄関に行きそこで悲鳴を上げた。
ドアに向かって指を差し、慌てて廊下を引き返す。
リビングで不安そうに周囲を見回していたが後ろを振り返るとばたりと倒れた。
「やめろ。くるな。ああっ!」
手足を振り回して見えない何かに対して必死に抵抗を示す。
由樹夫の脳内では催眠術による幻覚を見ていた。
身体の一部が腐りおち異臭を発するゾンビが何体も由樹夫に群がり手、足へとかじりつく。
その幻覚は痛覚を伴っていた。
生きながらにして食われた由樹夫はくん、びくんと体をけいれんさせる。
やがて由樹夫は動かなくなった。
それから2日後の新聞の訃報欄に小さな記事が載る。
その記事に目を通しながら古暮は片頬にわずかな笑みを浮かべた。
少なくともこれで新たな犠牲者は出さなくて済む。
表情を改めて厳粛な表情を作ると犠牲者の少女の冥福を祈った。
自分の懸案事項が片付くとキャメル座で邂逅した若い女性のことが気になってくる。
ひそかに調べて中島さゆりの住所等は割り出してあった。
次のキャメル座のレイトショーは明後日の夜のはずである。
職業柄、誰の殺しを依頼しようというのか気になった。
しかし、これ以上詮索することはやめにする。
介入したところでどうやって殺しを完遂しているのかさっぱり分からず立件できる自信もない。
キャメル座の怪人に任せておこうと古暮は決める。
理のない案件なら断るはずだった。
そして、次のレイトショーの開催日、前回の騒動に懲りたのかタクシーから降りたさゆりがキャメル座への階段を下りていく。
今日は窓口は開いていた。
さゆりはチケットを買い、お釣りを残して、自販機から売りきれになった焼きおにぎりを購入し49番の席に座る。
今日は他には1人も客がいない。
スクリーンにかかっていた緞帳が左右に開き映画が始まる。
気が付けば隣の席に仮面を身に着けた人物が座っていた。
「上映中に失礼。上映中の私語は重大なマナー違反だが、この際目をつぶって頂きましょう。さて、お話を伺いましょうか?」
さゆりは大きく目を見開く。
ガセネタじゃ無かったんだと思いながら、胸に抱えるものを語りだすのだった。
-完-
おやすみ映画館 新巻へもん @shakesama
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