おやすみ映画館

新巻へもん

第1話 キャメル座の怪人

 つむじ風が路上の枯れ葉を集め黄色や赤、茶色の混じった渦を作る。

 枯れ葉以外にもビニール袋や空きペットボトルが騒々しい不協和音を奏でていた。

 少し猥雑な感じのする通りをトレンチコートの襟を立てた男が歩いていく。

 男は疲れた顔をしていた。

 風をはらんで膨らむコートも持ち主と変わらぬほどくたびれている。

 元々は小銃などを吊り下げるための肩のエポレット、そのボタンも片方が取れて無くなっていた。

 疲れきった顔をしているが、男は鋼の雰囲気をまとっている。

 足取りは規則正しく靴底はコツコツというリズムを刻んでいた。

 両サイドのいかがわしいネオンサインには目もくれず男は前方をひたと見据えたように歩を進める。

 もうすぐ煌びやかな場所を抜けようというところて、ワハハと馬鹿笑いをする若者の一団と貧相な小男が話をしているところに行き合わせた。

「そんな子に構わなくても、お兄さんたち、いい店あるよ。可愛い子ばっかりで2万円ぽっきり。天国すぐそこよ」

 チョビ髭を生やし髪の毛を整髪料でかっちりとオールバックにした小男は誠実そうな顔を作る。

「うるせえな。すっこんでろ」

 そんな集団など目に入らないようにコートの男は進んだ。

 虫の知らせか横を向いた小男はこちらに向かってくる男を見てそそくさと細い路地に消える。

 4人の若者は怪訝そうにコートの男を見た。

 大柄な男たちの向こうに若い女の子が怯えた表情で身をすくませている。

 これからお楽しみという途中で水を差されたことに気分を害したのか4人組は喧嘩腰で突っかかってきた。

「あ? なんだよ、おっさん。文句あんのかよ」

「気分悪いわ。慰謝料置いてけよ」

「ちょっとお金貸してくんなーい」

 コートの男は表情一つ変えずに1番手前の男の金的に膝蹴りを入れる。

 その男が白目を剥いて朽ち木倒しになるまでの間にさらに2人が無力化されていた。

 1人は顎にフックを食らい、もう1人は延髄を蹴られている。

 女性の側にいた男がカチャリとバタフライナイフの刃を出して身構えた。

 コートの男は無造作に前に出る。

 刃を水平にしてナイフを突き出してくる腕を右手で流しつつ左手の裏拳を鼻に叩き込んだ。

 そのまま右手で相手の手首を掴み肘と肩の関節を極めて足を払う。

 人間の体から鳴ってはいけない音がした。

 4人はおろか、目を見開く女性も置き去りにしてコートの男はそのまま歩み去る。

 小男が暗がりから出てくると独りごちた。

「古暮さん、荒れてんなあ」

 首を振ると取り残されていた女性に手を振る。

「さあ、今のうちに。この連中が意識を戻したら面倒だ」

 幽霊でも見たような顔をしていた若い女性ははっとした。

「何か用があるんだろうが、今日はお帰り」

 胡散臭い外見の小男は意外と優しい声を出す。

 女性は通りの左右を見たが意を決したようにコートの男を追いかけるように早足で歩きだした。

 小男はやれやれという顔をして見送る。

 そして、ようやく姿を現した怖いお兄さんたちに会釈をすると何事もなかったように客引きに戻った。

 

 古暮と呼ばれた男はその後もペースを乱すことなく歩き続ける。

 さらに5分ほど歩き続けて古ぼけた1軒のビルの前で足を止めた。

 見る者に令和の世になってもまだ生きのびていたのかという思いを自然と呼び覚まされるような古い建物である。

 一見ではなんの建物か気にも留めず通り過ぎてしまいそうな外観だった。

 この建物には映画館が入っている。

 もちろん、複数の銀幕を有する複合映画館などではない。

 1スクリーンだけ、しかも座席数はそれほど多くない上に、外観からも分かりにくいというハンデも負っていた。

 わずかにキャメル座という看板が映画館であることを主張している。

 古暮は建物の右手にある階段を地下に降りていった。

 階段には絨毯が敷いてあるが、長い年月の間に上り下りする人の靴によって擦り切れている。

 地階のロビーに立つと古暮はすぐ脇にある窓口に向かった。

 窓口の仕切りはスモークガラスが張ってあり中の売り子の様子を見ることはできない。

 映画館の窓口というよりはパチンコ店のそばにある景品交換所という趣きがあった。

「最終回、大人1枚」

 古暮は仕切りの下の窪みに千円札を2枚置く。

 革の手袋をした手がちらりと見え、千円札が消えた。

 代わりに上映時間を手書きで書いてあるチケットと釣りの2百円が窪みに姿を現し、チャリンという音を立てる。

 古暮はチケットだけを受け取ると窓口から離れた。

 腕時計にちらりと視線を落とすと短針は8と9の間にある。

 何枚ものポスターが張り出されているロビー内を見渡し、片隅に置いてある自販機に向かった。

 表面のパネルには焼きおにぎりやたこ焼きなどの写真が並んでいる。

 古暮は小銭を投入すると売り切れランプが点灯しているソース焼きそばのボタンを押した。

 1度、2度、3度。

 ピッという音がして中で機械が動き始める音がする。

 商品パネルの下の出来上がりまでの秒数を表示する数字もカウントダウンを始めた。

 出来上がりまでの間、古暮は腕組みをしてパネルの写真を睨みつけている。

 ガタンという音がして自動販売機の取出し口に箱が落ちてきた。

 身をかがめると古暮は箱を取り出して手近な椅子に座る。

 正直なところ、ここに来るに至った事情にはらわたが煮えくり返っており、あまり食事をする気分ではなかった。 

 しかし、食べ物を粗末にするともったいないお化けが出ると育てられた世代である。

 箱を開けると付属のプラフォークで焼きそばを食べ始めた。

 階段を誰かが降りてくる気配がして、そちらに目をやる。

 古暮は顔をしかめた。

 この後のことを考えると他に客がいるのは困る。

 階段をおりきった人物が姿を現したが、なんと先ほど4人組に絡まれていた女性だった。

 古暮に気が付いたらしく女性は驚きの表情を見せた後に頭を下げる。

 女性は窓口に向かうが、いつの間にか仕切りのところに休憩中の札が出ていた。

「すいません」

 隙間に向かって女性は声をかけてみるが反応はない。

 周囲を見回していた女性は意を決したように古暮の方にやってくる。

 近くに来ると丁寧に頭を下げた。

「先ほどは助けていただきどうもありがとうございました」

 焼きそばをすすっていた古暮は内心ため息をつきながら女性を見上げる。

 年のころは20を少し過ぎたばかり、きちんとした格好をしておりいかがわしい繁華街やうらびれた映画館には似つかわしくなかった。

「別に」

 それだけ言うと食事を再開する。

 取り付く島もないという格好だったが、女性はめげなかった。

「私、中島さゆりと言います。お食事中申し訳ないのですが、ご存じだったら教えてください。映画館の係の人が居ないようですが、こういう場合どうすればチケットを買えるのでしょうか?」

 古暮はさゆりの顔をまじまじと見る。

 それから少し首をずらして、今日の上映スケジュールを書いてあるボードの文字を確かめた。

 『団地妻のイケナイ遊戯』

 どんな趣味をしてようが、どんな映画を見ようが個人の自由である。

 しかし、身持ちの堅そうな若いお嬢さんが夜の映画館で見たいと思うタイトルからは少なく見積もっても3光年ほどは離れていた。

 キャメル座にはそういう客はいないはずだが、場所によっては不埒なことをする輩がいることもある。

 古暮は顔をしかめた。

「さあな。俺はここの従業員じゃない」

「そうですか」

 さゆりは困った顔をするが、頭を下げると自動販売機のところへ向かう。

 それを見て古暮は心の中で舌打ちをした。

 目をすがめて自販機を見るとソース焼きそばのボタンの売り切れの文字が消えている。

 少しほっとしながら古暮は残りをかきこみ、空き容器を手にしたまま劇場の入口へを歩みを進めた。

 重厚な扉を開けて中に入る。

 扉が閉まる寸前に隙間から見るとさゆりは自販機の前でパネルを凝視していた。

 劇場内は階段状になっている。

 横に5つ席が並び、少しずつ高くなりながら10段の列があった。

 古ぼけてはいるが手入れは行き届いている。

 場末のこういう場所にありがちなゴミくずや注射針、使用済みのゴムなどは落ちていなかった。

 ただ、案の定というか、客席に先客の姿はない。

 古暮は少し考えると1番前の列の5番の席に座る。

 腕時計を見ると上映開始まではまだ20分ほどあった。

 1分もしないうちに劇場の扉が開く。

 細いシルエットはさゆりのものだった。

 古暮は暗い天井を見上げてそっとため息をつく。

 さゆりは階段を上ると最後尾の奥から2つ目の席に座った。

 49番の席。

 そこは本当は古暮が目指していた席である。

 瞑目してどうしたものかと考えた。

 さゆりという娘はどういうわけかこの映画館の約束事を知っている。

 それは別に構わないのだが、このままでは自分の目的が果たせない。

 一旦出直すか、と考えるがそういうわけにもいかなかった。

 さゆりを脅して映画館から追い出すことを考えるが、あの思いつめた顔では大人しく従うとも思えない。

 どうする?

 考え込むうちに意識がすっと遠のいた。

 はっと気が付くとスクリーンが明るくなっていて、女性が妖艶な笑みを浮かべながら新聞配達員を玄関から招き入れるシーンが映し出されている。

 どうやら疲れから不覚にも眠てしまったらしい。

 古暮は歯噛みをする。

 くそ、この俺が寝てしまうとは!

 スクリーンの中では女優が男性の前にゆっくりと跪きズボンを撫であげながら相手の目を見つめ唇を尖らせている。

「上映中に失礼」

 突然横から話かけられて古暮は飛び上がりそうになった。

 横を見るといつの間にか黒のタートルネックにスリムジーンズを身に着けた仮面の人物が座っている。

 男か女かも分からない。

「上映中の私語は重大なマナー違反だが、この際目をつぶって頂きましょう」

 古暮ははっとして後ろの席を振り返った。

「大丈夫ですよ。49番の方は良く眠ってます」

 横の席の男の声には面白がるような調べがある。

「さて、お話を伺いましょうか?」

 古暮の方に顔を向けず仮面の人物は映画を熱心に鑑賞しているように見えた。

 衝撃から立ち直ると古暮はぼそぼそと語る。

 小学生女児を狙った誘拐殺人事件。

 捜査1課に属する古暮が追ってきた事件である。

 そして、謎の圧力がかかり今日捜査終了を命じられたヤマでもあった。

 胸糞が悪くなる事件の内容を淡々と説明し、最後に容疑者の住所と名前を告げる。

 話を終えると仮面の人物は深く頷いた。

「映画は最後まで。このマナーは守ってください」

 それだけ囁くと体を屈めて映画鑑賞の邪魔にならないように館内から出ていく。

 もちろん、仮に立ったままでも文句を言う客はいないのだが、仮面の人物は当然のように姿勢を低くしていた。

 仮面の人物は通称キャメル座の怪人と呼ばれる殺し屋である。

 所定の手順を踏んで49番のシートに座った鑑賞客から依頼を受けていた。

 依頼に着手をしても必ずしも完遂するわけではない。

 途中で断ってくることもある。

 しかし、暗殺を実行した際には確実に相手をことで業界では有名な男だった。

 そのため、キャメル座は半ば冗談で「おやすみ映画館」と呼ばれている。

 キャメル座の怪人はこの案件は断ってこない自信が古暮にはあった。

 正規の手続きで罪を償わせることができないのは残念だが、何も罰せられないよりはマシだろう。

 古暮は依頼を終えたことに安堵しながらシートに体を深く沈ませた。

 エンドクレジットが出るまで席を立ってはならない。

 これは絶対の約束である。

 スクリーンではいまや一糸まとわぬ姿になった女性が男と絡み合いながら嬌声をあげていた。

「ああっ。もっと、もっと、これじゃあ、あああ!」

 古暮はやれやれと首を振る。

 ちらりと腕時計に目をやるとあと1時間も上映時間が残っており、うんざりしたように目を閉じた。

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