「場」の共有、「記憶」の共有

 カクコン10を盛り上げるためと称して短編部門応募者をやきもきさせる(新作が大量投下されるとランキング順位が下がるじゃん……)企画「お題で執筆!! 短編創作フェス」。第二回のお題「雪」に対し、本エッセイは「映画館」を組み合わせてきました。
「映画」ではなく「映画館」なのがポイント。作品中で取り上げている映画館、コロナ禍によるダメージもクラファンで乗り越えたとか。そうした映画館への想い――作者はもちろん、映画館の経営に関わる人たち、そして「ドラえもんの映画館」が共通認識になっている地元の人々の想い――がしみじみと伝わる良エッセイです。

 何故人は映画館で映画を観るのか? レンタルビデオやDVD、最近では動画配信など、映画を観る手段は他にいくらでもあります。しかしそれでも、あえて時間(とお金)をかけて映画館に行くのは何故か? それは、映画館に行くという行為自体に答えがあると思っています。
 映画館のスクリーンの前に座るのは、年齢も性別も職業もさまざまな人たちです。ほとんどの人とは面識もなく、この後の人生でももう一度会うかどうかという他人だらけ。しかし唯一、観客同士に共通していることがあります――今日、この時間に、この映画を観に来たんだ、ということ。まさに「場」の共有です。
 上映が始まれば、バラバラの観客は皆スクリーンで繰り広げられる世界に向き合います。観客全員が同じ感覚を共有し、一つの体験で結ばれるのです。そしてそれはドラえもん映画を観に来た子供でも同じ。私が見に行った「鉄人兵団」のクライマックスで、しずかちゃんがリルルの名を叫んだ時は、後ろの席からすすり泣きの声が聞こえました。「竜の騎士」エンディングで、のび太の0点の答案が戻って来た時は、会場のあちこちで笑いが漏れました。
 そんな観客たちの「記憶」が、映画館という施設を存続させようという原動力になっているんだと、改めて感じさせたエッセイです。是非ご一読を。

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