第3話

「よさげな獲物はいないものですか……」


 夜闇に浮かぶ陸の孤島、煌びやかな彩りに満たされた都市の一角。

 仕事の鎖縛から解き放たれた仕事人達が別の仕事人に癒しを求める中、ネオンライトで縁取られた看板の上から兎月刻未は眼下を見下ろした。

 求める者は竹刀を重ねるに値する──首級の掲げ甲斐を持つ存在。

 十把一絡げの雑兵よりも、昨日の鰐口のような強者にこそ兎月の肉体は高揚を示す。

 しかし常日頃から強き者と得物を重ね合えるはずもなく、むしろ確率で語れば徒労で終わる方が多い。


「やはり歓楽街は精々かつての強者、枯れ落ちた古豪がいいとこですね」


 嘆息を零し、気怠げな眼差しは落胆を視線に落とす。

 すると、偶然頭上を見上げた仕事人が驚愕の表情を返していた。


「き、君。なんて場所に。いや、それよりも」

「ん、えーと……下はすぱっつですけど、写真は勘弁です」

「そうじゃなくてッ……」


 仕事人は手元の腕時計を見つめた。

 自宅への足取りを取る大人が増えた時間帯。直接確認してこそいないが、凡そ短針が七か八辺りを指し示した頃合いだろうか。

 学生が大手を振って散策するには、少々遅い。

 騒ぎに発展するよりも早く、兎月は軽業師よろしく近場の看板へと跳躍を繰り返す。敏捷な動きは彼女を捉えた仕事人が顔を上げた頃には、本体の姿を影も形も残さない。

 やがて人混みを抜けた先、進行方向から看板が消え去ると少女もまた地面へと着地。周囲から奇異の目を注がれるよりも早く路地裏へと隠れる。


「さて、ここから先はどうしましょうか」


 既に結果は悲惨の様相を呈している。

 剣道部にしても鰐口が襲撃された昨日の今日で無警戒とは思えず、兎月としても複数対一は望ましくない。彼らが順々に連戦してくれるならば話も変わるが、相手に要求する要素としては高望みもいい所。

 止むを得ず、適当に夜風にでも当たっているかと思案したタイミングであった。


「……誰かの、声?」


 廃材と通風機、歓楽街の景観を損ねる万物を詰め込んだ空間に誰かの悲鳴が木霊する。

 短く、歯を食いしばる声音は兎月に既視感を覚えさせ、自然と音の方角へ舵を取った。


『あ、そういや今日さ、魚島うおしま達とカラオケ行こうって話出てんだけどお前も来ねぇ?』


 まさか、とは思うものの教室で交わした会話が忘れられない。

 焦燥に駆られたのか。徐々に足取りが早くなり、気づけば息を切らして疾走していた。額の汗を拭う時間をも惜しみ、普段は気怠げな両目の間に皺を寄せていく。

 角を三度曲がり、人目のつかない場所へと到達した時。彼女は眼前の光景が予想から外れていない事実に苦虫を噛み潰した。


「何をやってますか、下郎共」


 即ち、壁際に追い詰められて頬を俄かに紅葉させた亀海。そして彼を包囲して下卑た笑みを浮かべる五人の男達。


「あ゛ぁ゛?」


 自然と低くなった問いかけに、男の内一人が舌を突き出して振り返る。

 次いで他の三人も追随し、亀海もまた視線を兎月の方角へと注いだ。


「何って、見ての通りの集金活動だが?」

「なんだなんだ、お前も手伝ってくれんの? 俺らって今一〇〇万集めるチャレンジ中なんだけどよぉ」


 二人が包囲から離れ、兎月との距離を無遠慮に詰めた。二人並んで歩けるかどうかの隙間を進む様は声に含まれた威圧感とは異なり、どこか気の抜けた印象を受ける。

 しかし、自身に擦り寄ってくれる級友を傷つけられた少女に殺意以外の情念など皆無。

 反撃を度外視した男共が竹刀の間合いに入った刹那。


「そうですか、死ね」

「あ?」


 間の抜けた声ごとに一閃。

 背中の黒十字丸を引き抜くと、真一文字の振り下ろす。

 相方の意識を刈り取られ、もう一人が反応するよりも早く返しの振り上げで顎を打ち上げる。

 神速の剣閃で舞い上がった男の肉体が地面にぶつかり、派手な音を立てて沈黙。瞬く間の連撃に、残る男達も不意の襲撃者への警戒心を跳ね上げた。


「んだよ、コイツッ」

「辻斬り」

「ガキが、図に乗んな!」


 我先にと迫る男達の元へ、兎月もまた身を低く屈めて飛び込む。

 まずは先行していた男の首元、ではなく胸元へと刺突。相手も咄嗟に両腕を交差させて直撃こそ免れるものの、両者が加速している状況ではやや薄い。

 短く息を吐き出す音を合図に、男が背後へと吹き飛ぶ。

 手に伝わる昏い悦楽を味わう暇もなく腕を引き戻すと、次は掬い上げの一閃で顎先を狙う。


「ハッ、早々何度も──!」


 切先が鼻先数ミリを通過し、男は口端を吊り上げる。


「それはそう」

「ガッ……」


 腕を引き戻す反動を活かし、兎月は左足を振り上げる。

 勢い任せの乱雑な蹴り。キックボクサーから見れば噴飯ものの稚拙な代物だが、素人チンピラの動きを止めるには充分な威力は備えていた。

 足を振り下ろして地を掴むと、残る男へと駆け寄る。


「動くなよッ、クソガキッ!」

「チッ。ナイフって……せめて喧嘩相手わたしに向ける程度の器量は見せて下さいよ」

「うるせぇッ。これが俺らのやり方なんだよ!」


 亀海の首をナイフの腹で叩かれると、さしもの兎月にも打つ手はない。挑発の言葉を投げて隙を窺うも、男はむしろ誇らんがばかりに頬を吊り上げた。


「ちょッ、逃げて! 俺はいいから!」

「見捨てれるくらいなら始めから来ませんよ、こんな場所」

「おおっと、お前も静かにしてもらおうかぁ?」

「ヒッ」


 親切な誰かの危機に亀海は声を荒げるも、刃物が皮膚に振れると途端に口を閉ざしてしまう。


「さぁて、大人しくなった所でお前にはノされた連中の治療費でも請求しようかね」

「中学生に欲情ですか、気持ち悪い」

「お前には暴力こっちだよ!」

「え……?」


 横合いから声がした直後、頭に鈍い激痛が走る。衝撃で下がった視線を声の方角へ注ぐと、右腕を力なくぶら下げた男が反対の手にバールを握り締めていた。

 額が割れでもしたか。頬を伝う粘度の高い液体が一滴づつ、地面へと吸い込まれる。

 同時に衝撃でフードが外れ、桜の髪や鋭利に研ぎ澄まされた赤目が露わとなった。亀海はともかく、男達もまさか小娘が助けに来たとは毛頭思わなかったのか、歪に口端を歪める。


「兎月……?」

「おいおい、女じゃねぇかよ。どういうこったよ、俺らはジェンダーレスだぜ?!」

「チッ、先に言えよな。俺にそんな趣味はねぇんだよ」


 悪態をつく男の姿が滑稽に見え、自然と兎月の口は言葉を紡ぐ。


「中学生相手に、バールを振るう奴の趣味なんて……どうでもいいですよ」

「そうかいッ」


 少女の言葉にフラストレーションを跳ね上げ、男は再度バールを振り上げた。

 亀海の身柄を取られている以上、反撃はおろか回避すらもできず。迫る鉄の塊を前に、見上げる他に成す術もない。

 剣道大会準優勝とは比べるべくもない愚劣の一撃に奥歯を噛み締めた。

 刹那。


「あ、コイツッ」

「俺はいいからッ。兎月は逃げて!」


 亀海は男の意識が自分から離れている隙に暴れ、一時的に拘束から解き放たれた。

 そして、赤い瞳は横目で少年の抵抗を目の当たりにしている。


「……いいね、亀海」

「それがどうし……!」


 男の言葉が最後まで大気を震わせることはなく、目を置き去りにする竹刀の一閃が意識を刈り取る。

 頽れる姿を確認すると、少女の意識は今まさに男から腕を掴まれた少年へと注がれた。


「コイツゥッ!」


 振り上げたナイフは後一秒もあれば亀海に突き立てられ、生々しい赤を路地裏にぶちまけていたに違いない。

 兎月の投げ放った竹刀の先端が彼の額へ直撃さえしなければ。

 鈍い音を立て、最後まで残っていた男も意識を失う。数瞬前までナイフの切先を向けられていた亀海は流転する状況についていけず、ただ呆然としていた。


「え?」


 兎月も事情を話す余裕はないと判断を下すと、亀海の腕を掴むと引っ張って路地裏を駆けていく。


「早く」

「あ、ありがとう」


 促す言葉を綴りつつ、少女の胸中には不思議な感覚が渦を巻く。

 自分は生まれる時代を間違えていると考えていた。

 辻斬り紛いの行いを繰り返し、手に残る感触に昏い悦楽を覚える異端児だと。

 だが、兎月の心中にある感情は昨日満喫したものとは異なる達成感。

 今日の相手は取るに足らない下郎の群れ。昨日の鰐口と比べるべくもなく、かつて討ち取った首級と比較するまでもなく、彼らの首に等しく価値はない。

 なれば、仮に乱世として。

 討って当然の相手を切り捨て、果たして今の亀海ほど賞賛してくれるか。別の法を犯した自分を、あそこまで褒め称えてくれるか。


「違う」


 少女は自らの思案に被りを振る。

 話はもっと単純だ。

 果たして彼の時代に、彼のように親しく接してくれる人はいるのか。他者との距離感も分からぬ自分へ一方的に突っかかってくる奇特な人物がいるのか。


「兎月、その……さっきも言ったけど、ありがとう。危なかったんだ」

「……」


 現場を後にする中、亀海からの礼に逡巡する。

 が、数秒の間を置いて、兎月は言葉を絞り出した。顔を真っ赤に上気させて。


「せんきゅーするなら、その……今度カラオケ、ごーしましょう。できるなら、緊張なので……二人きりで」

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兎月刻未は満たされたい 幼縁会 @yo_en_kai

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