第2話
翌日、某所の中学校。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、教室の生徒が教師へ頭を下げるべく席を立つ。彼らの動きで机や椅子が床を擦る音をアラーム代わりに、兎月は長い眠りから目を覚ました。
「んぁ……?」
幸か不幸か、彼女が腰を下ろしている席は教室の奥。
背後の生徒が指摘しないまま前列が立ち上がってしまえば、教師からの目視も困難となる。
故に兎月が寝惚けた頭を揺らしている内に教師が姿を消す。
席から離れる面々を見て漸く授業中であったこと、そしてノートを開いて黒板を見た前後から記憶が曖昧になっていることに気づいた。
「おはよ。寝れたか、兎月?」
制服の上から背中を突かれ、気怠げな赤の眼差しを注ぐ。
眼差しの先では黒髪を後ろで束ねた優男がシャーペンを片手に喜色を満面に浮かべていた。
予想通りな姿に欠伸を一つ、兎月は呆れた表情で返答する。
「……亀海。本当に飽きないですね、君は」
兎月にとっては数少ない友人と呼べる人物の一人にして、教室をベッドと勘違いしている彼女へ積極的に話しかける奇特な少年。
「何がよ」
「私と喋るの」
夜には強者を求めて街を散策する彼女は、学校では人付き合いに乏しい少女で通していた。
否、通しているという表現には語弊があるか。
大仰に肩を竦めてみせ、兎月は口を開く。
「つまらなくないですか? 何か面白い話を振れる訳でもなければ、お世辞にも聞き上手でもない女の相手は」
他者との距離感がイマイチ掴み難い。キャラとしてどうではなく、兎月自身が自覚せざるを得ないほどに。
ただ切り捨てれば終わりな辻斬りとは異なり、会話で繋がる関係への比重が分からない。如何な虚飾を纏おうとも一刀両断の叶う竹刀と好きに言い繕える言葉、明確な終わりの見える戦いと比較すれば言葉のキャッチボールとやらの如何に大変なことか。
彼女なりの思案を知らず、何を言っているのかと言わんばかりの呆然とした表情で亀海は返した。
「つまらなくないかって……あのさぁ、つまんなかったらわざわざ休憩時間ごとに話しかけんでしょ。普通」
「亀海が普通側には見えないですけど。私が言うのも難ですが」
「自覚があんなら言うなよなぁ……」
溜息を一つ吐き、亀海は目を開く。
すると右目につけた青のカラーコンタクトが桜色のショートヘアを見つめた。
「てか、せっかく席が前後で繋がったんだから少しは距離を詰めようぜ。難しいことは考えずにさ」
「気持ちが分からない、とまで言わないけど……話すことが浮かばないし」
「そんなのなんでもいいだろ、家帰ってまで寝てるって訳じゃねぇだろ?」
「それは……そう……ですけど」
言い淀むのも無理はない。
まさか夜な夜な外へ飛び出しては辻斬りしてます、昨日は学校の先輩を斬れて楽しかったです。などと口走れる訳がないのだから。
口を閉ざす兎月を目の当たりにし、思わず亀海が目を伏せた。
「もしかして俺、鬱陶しかったか……?」
「そ、そんなことはないですッ。べ、べりーべりー楽しいだけど、こうッ。私がのっと渡せてる的なさむしんぐ的な……!」
亀海を悲しませる意図はなかった兎月は、咄嗟に言葉を並べ立てて弁明を述べる。
珍しく彼女が慌てる様、そして本土の人間が聞けば憤激間違いなしな雑発音の英語に思わず笑みが零れたのもまた自然というものか。
「そういうのそういうのッ。いやぁ、やっぱり面白いじゃん兎月!」
「そ、そうですか?」
「そうそうッ。
あ、そういや今日さ、
如何に級友と言えども、付き合いの絶無な相手とカラオケに行っても満喫できるとは思えない。
平時より少しだけ声を弾ませて、兎月は拒絶の意思を伝えた。
努めて、亀海の意思を傷つけないよう言葉を選びながら。
「気持ちは嬉しい、ですけど……魚島ってのを知らないですし、彼らも私と一緒でも退屈、でしょうし……気持ちだけ受け取っておきます」
「ただいま」
蝶番の軋む音をチャイム代わりに、兎月は玄関の扉を開いた。
途端に鼻腔をくすぐる臭気も、一四年も共にしていれば否応なく適応する。ただ眼差しが自然と鋭くなるのだけは、止むを得ない。
廊下に散乱したゴミ袋を乱雑に蹴り、少女の足取りは自室へと向かう。
そして開錠の上で扉を開け放つと、素早く真の安全圏へと飛び込んだ。
彼女の部屋も決して整理整頓の行き届いた快適空間ではない。窓から差し込む燈の光に沿って床へ目を向ければ、スプレーの空き缶や余った紐が散乱している。
が、なおも外の無法地帯と比較すれば上流階級とまで呼べた。
「……」
愛情をマトモに注がれなかった人間は注ぎ方を知らない、というのは誰の言説であったか。
提唱者の真意はともかく仮に兎月の姿を一目すれば、自説の補強に役立てていたことは疑うべくもない。
物心ついた頃から父の姿を見たことはなく、母は子供に関心を持たなかった。
自分を捨てた男との子に興味を持てとは言わないものの、結果として子供は親との会話という過程を挟まずに集団生活へ放り込まれる憂き目にあった。尤も、愚痴る気にもならない子供に文句をいう資格があるのかは甚だ疑問だが。
加えて──
「どうでもいいから、外に出ても文句を言われませんしね」
気怠げな赤の眼差しがハンガーに吊るされたパーカー、次いで立てかけてある竹刀へと注がれる。
乱雑に鞄を投げ捨てると、兎月は皺が出来るのも厭わず制服を脱ぎ捨て、代替として戦闘服を身に纏う。
黒とショッキングピンクのインナー。同色のソックス。見られても問題ない黒のスパッツ。そして兎耳の生えたパーカー。
忽ちの内に中学二年の少女は時代錯誤の辻斬りへと変貌を遂げ、愛刀たる黒十字丸を握り締める。途端に手に馴染む感触が昨日味わった昏い愉悦を呼び戻した。
試しに一、二度軽く振るってみれば、心地よい空を斬る音が帰ってくる。
「兎月ッ。晩飯はどうする?!」
「いらないです」
扉の奥から親子で性が共通する常識すらも理解しない女が喚き、辻斬りは一顧だにせず切り捨てた。
興を削がれた少女は側に置いてあった多数のベルトで装飾されたロングブーツを装着すると、勢いよく窓を開け放つ。未だ外の気温は季節相応とは言い難く、一筋の寒風が頬を撫で回す。
「さて、今日のべりーきゅーとな獲物はどこでしょうか」
喉を鳴らして期待の高まりを表明すると、兎月刻未は躊躇なく窓の縁へと跳び乗った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます