二度と私から離れないで

ねこ沢ふたよ@書籍発売中

人違い

 暑い夏の日に、喉の渇きを覚えてふと足を止めて喫茶店にはいる。

 この誰しもが経験したことがあるような行動が、全く違う人生を導くことがある。


 急用で遠方に出かけた帰りに、目にとまったのは、古い喫茶店。

 テント部分に書かれた赤字の店名は消えかけ、ショウケースには、ナポリタンスパゲッティやサンドイッチの商品サンプルが埃を被って並んでいる。


 普通ならば全く興味も沸かない小さな喫茶店に入ってみようと思ったのは、気まぐれであった。

 ……といっても、この近くに飲食店はここしか見当たらない。だから、それほど選択肢は多くはなかったのだが。


 用事は、昨日の内に済んでいる。

 荷物は宿泊したホテルから自宅へ送ったし、後は夕方の新幹線に乗って帰るだけ。

 時間は、まだ十分に余っていたのだ。

 だったら、コンビニで食べるよりかは、幾分かマシなモノにありつけるだろうと、俺は喫茶店を選んだのだ。


 どんな物を出すのかは知らないが、不味くても話のタネくらいにはなるだろうと、そんな安易な気持ちであった。

 カランと、扉を開けて入れば、中には案の定、客は少ない。


「いらっしゃいませ」


 ひょろりと細い白髪頭の店主が、あまりやる気のないような声をかける。

 目線をこちらに向けようともしないのが、何ともこの店主の商売っ気のなさをうかがわせる。

 案内もしないところをみると、勝手に好きなところに座れということだろう。

 俺は、店内をキョロキョロと見渡して、少しでも居心地の良さそうな場所を探す。


「こっちよ!」


 奥の席から、女がこちらへ手を振る。

 大きな瞳に白い肌。艶やかな長い髪の美女であった。

 不機嫌そうな顔をしているのは、女の待ち人が、よほど遅れているのであろう。

 俺は、その女を知らない。きっと、女の待ち人は、俺に背格好が似た人物なのであろう。だから、あの女は、俺を、その待ち人と人違いをしたのだ。


 これは……面白くなってきた。


 ちょっとした悪戯のつもりであった。

 どうせ、その女の待ち人とやらは、遅かれ早かれ、この喫茶店に現れるであろう。

 俺を待ち人と勘違いして話していた女は、待ち人が来た時に、どんな顔をみせてくれるのか。


「ああ、悪い!」


 俺はそう言うと、女の前に座った。

 

「良かった。来ないかと思っちゃった」

「悪い悪い。今度から気をつけるから」

「絶対に嘘だし」


 女は、テーブルに置かれているレモンスカッシュのストローをクルクルと回しながらこちらを睨む。

 女の手元にあるグラスの氷はずいぶんと溶けている。

 それほど、長い時間、女はここで待ち続けていたのだろう。

 どうやら、待ち人は、時間にルーズな人物のようだ。


「アイスコーヒーを……それと、サンドイッチを」


 俺に水を持ってきた店主にそう注文をすると、店主は、じっとこちらを見て何か物を言いたげな風を見せてから、「はい」と返事してカウンターの向こうへと下がっていった。


「ねぇ、思い出した?」


 店主がカウンター奥に引っ込んですぐ、女が俺の手を握って微笑みかけてくる。

 細めの顎で、すっと通った鼻筋、大きな瞳の女は、長い髪を後ろに束ねている。白いブラウスの似合う、美しい若い女に、そんな風に微笑みかけられれば、俺だって悪い気はしない。


「うん? ……ああ……そうだな……」


 何の返事を求められていたのか分からないから、曖昧な返答しか、俺は返せない。


「じらさないでよ、もう」

「まあ、そう怒るなって」

「男って肝心な時に、そんな風に曖昧なことばかりするんだから。だから、真美だってムキになったし、その結果あんなことになったんじゃない」


 もう……と、むくれている女は可愛らしいが、何故かその目の光がギラギラしていることが気にかかる。


「真美が……?」

「何よ。違うの? 元はと言えば、優吾さんが煮え切らないのが悪いんじゃない。真美も……葵もそう。優吾さんが元はと言えば悪いのよ。分かっているでしょう?」


 女が小首を傾げる。

 俺が演じている人物は、『優吾』という名らしい。

 この女の話によると優柔不断な『優吾』のせいで、『真美』『葵』に何かが起こったようだ。


「いい? 優吾さんは、私のなの。そして、優吾さんが悪かったって知っていたから。だから今日もここへ来た。ね?」

「う……ん」


 女の笑顔が眩しい。

 『優吾』は、やはり恋人なのだろう。『優吾』が浮気したのかどうかは分からないが、ともかく、ライバルであった『真美』『葵』に、女は何かをしたのだ。

 

「真美と葵はどうなった?」


 俺は聞いてしまった。

 聞かない方が良いと思うのに、止められなかった。


「死んだわ」


 ……死んだ?

 フフフッと笑顔で話し続ける女の言葉に、俺はゾッとした。


「で?  思い出したの?」


 先ほどの軽い声とは違う。低い口調に、俺の手は震える。

 この女、やばい奴ではないのだろうか。


「あ……」


 俺は震えて声が上手く出せない。

 二人も殺しておいて、笑顔で微笑みかけられてる人間が、何を『思い出した』と聞いているのか、さっぱり分からない。

 恋人である『優吾』は、何を思い出さなければならないのか?


「いやだな。怯えているの? なんで?」

「いや、だって死んだなんて言うから」

「馬鹿ね!」

「冗談……ってこと?」

「さあ、どうだか」


 なんだ。

 きっと、『優吾』の浮気に腹を立てていた女は、俺が浮気相手の行方を尋ねたことで、こんな悪質な冗談を言ったのだろう。

 人を二人も殺しておいて、こんな爽やかな笑顔を浮かべるわけがないのだ。

 そんなことが出来るモノは、人間ではない。化け物だ。


「驚いた……」


 俺は、ほっとしてテーブルのグラスに入った水を俺は飲み干す。

 きょろりと周囲を見ても、新しい客は来ない。

 この女の待っている『優吾』は、まだ来ないようだ。


「二度と離れないでね」


 蜂蜜のようにトロリと甘い女の言葉に、俺は全身がしびれる。


「あ、ああ……」


 女の言葉に、俺は『優吾』に成り代わって返事をする。

 この後に来る『優吾』が、女に何と返事をするのかなんて、知らない。

 だが、きっと、俺と同じ事をいうだろう。

 だって、女は、とても魅力的だ。どうして『優吾』が浮気したのかが分からないくらいに。

 もし、『優吾』が彼女と別れるのならば、本気で俺が『優吾』と成り代わりたいくらいだ。


「アイスコーヒーとサンドイッチをお持ちしました」


 コトンと俺の前に置かれたアイスコーヒーと、パサパサのパンのサンドイッチ。

 

「ご注文は以上ですね」


 不愛想な店主は俺の前に伝票を置くと、また、カウンターの向こうへと去っていった。

 裏返された伝票を何気なくめくって、俺は、さっと青くなる。

 そこには、注文した物の値段と共に、『逃げて』と書かれていたのだ。


「何? そんなに高かった?」

「う……うん。思ったのよりちょっとね」


 女に見られる前に、俺はクシャッとポケットに伝票を仕舞う。

 『逃げて』とは……どういうことだろう。

 女に掴まれてたままの右手が、だんだんと血の気を失って冷たくなってくる。

 やはり、先ほどの『真美』と『葵』は、この女が殺したということであろうか?

 ならば、「思い出した?」とは、その犯行のことだろうか? 

 だったら、『逃げて』という店主のメモとも辻褄が合う。

 『優吾』は、女の犯行を目撃したのだ。それで一旦逃げて……思い出した? なぜ、『優吾』は、女の犯行を忘れたのか。


 分からない。何もかもがも違っている気がするし、何もかもが分からない。


「ちょ、ちょっと、トイレに……水飲み過ぎた……」


 多少、強引な動作ではあったかもしれない。無理矢理に俺は、女に掴まれた右手を引きぬいて立ち上がる。


「っ!」


 右手に痛みが走った。

 俺の手には、女の爪で引っ掻かれた跡が残り、薄っすらを血がにじむ。


「もう……急に手を引っ込めるから……」


 傷を見ようと立ち上がる女を、「良いって、これくらい」と、慌てて俺は女を制する。傷のことなんて、どうでもいい。それよりは、一旦、この場を離れたい。


 ◇ ◇ ◇


 喫茶店のトイレ。古い洗面台で俺は自分の顔を見る。

 顔面蒼白だ。

 この喫茶店に裏口はあるのだろうか?

 あの女に見つからないように、逃げ出したい。だが、どうやれば良いのか分からない。


「どうして逃げないんです?」


 声を掛けられて驚いて振り返れば、喫茶店の店主がいた。


「逃げられるわけないだろう? 急に言われたって!」

「しっ! 外に聞こえる!」


 俺の腕を掴む店主の手が震えている。

 この店主も、あの女のことを恐れているのだろうか。

 キョロキョロと周囲を警戒して、店主はビクついているようにも見える。


「あんた、何者なんですか?」

「それは、こっちが聞きたいよ!」


 埒が明かない会話。言葉を交わしても何の実りも無い。

 

「俺は、ちょっと揶揄ってやろうと、『優吾』のフリをしただけで……」

「あんた、何を言っているんだ?」

「え?」

「『優吾』はとっくに死んでいる」

「は?」


 俺は、背筋が凍った。

 記憶を反芻してみても、確かに、俺を優吾とは、あの女は呼んだ覚えはない。

 会話には、出てきたが、あれは、目の前の俺のことを言っていたのではなかったのだ。


「あの女……長坂仁美ながさかひとみも、それを知らないわけがない」

「じゃあ、『優吾』ってのは……」

「こいつだ」


 店主に渡されたのは、一枚の写真。

 中肉中背の眼鏡の俺とは比べものにならない、痩せたイケメンの男。

 人違いなんて、する筈がないほど、俺と優吾は似ていない。


「ホストをしていたようだ」

「真美と葵の連続失踪事件。そして、今度の優吾の死亡……」

「待ってくれ。待って。俺……優吾を知っている」


 優吾が死んでいる人間だなんて、思いもよらなかったし、俺と背格好が似ている人間だと、ずっと思い込んでいた。

 だから……だから気づかなかった。

 俺は、斎藤優吾さいとうゆうごの葬儀に、昨日参列した。

 同じ高校だった優吾。優吾は、高校を卒業してすぐに上京した。華々しい生活を送っているはずの優吾が、こんな片田舎でホストになっているなんて知らなかったが、優吾の訃報は高校時代の友人であった俺の元にも届き、俺は、参列したのだ。

 ほんの少し前に、優吾と少しだけ電話した。「今度さ、田舎に帰った時にしばらく泊めてほしい」という優吾に、「いいよ」と、返事した。この短い電話の少し後に届いた訃報だったから、余計に俺は、遠方だろうが、参列したくなったのだ。


「何か思い出したか?」


 店主に聞かれて、「思い出した?」と尋ねる仁美の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 あの女は……仁美は、……何を言っていたのか……。誰に思い出したかと聞いたのか。


 ――俺だ。

 優吾ではないことは、最初から仁美は知っていたのだ。

 だったら、あの言葉は、俺ら自身に向けられた言葉だったに違いない。


 どこでだ。いつ、俺は、仁美と出会ったのだ?

 いや、会っていないはずだ。仁美のような女に会っていて、気付かないわけがない。じゃあ、どこで……どこで俺のことを仁美は知ったんだ。


「何か思い出したら、ここに連絡を」


 店主が混乱している俺に無理矢理握らせた名刺は、刑事のものであった。


「原西……?」

「それが、俺だ。あまり長いとあの女に気づかれる。俺は先に出るぞ。ゆっくりと時間を置いて出て来い。後は、何とか、俺が逃げる隙をつくるから」


 店主は、原西刑事は、そう言うと、足早にトイレを去っていった。


「落ち着け……落ち着け……」


 声に出してみても、手は震え、足は立っているのがやっとなくらいに膝が笑っている。

 大きく深呼吸をして息を整える。

 もう少しだ。事情は分からないが、刑事が助けてくれるなら、あの恐ろしい女と離れられる。


「二度と離れないでね」


 あれは、優吾にではない。俺に向けられた言葉。

 意味が分からない。

 あったことも無い仁美だ。

 なぜ? なぜそんなことを言うのか。


「あ……」


 俺は、思い出した。

 仁美の声を聞いたことがあるのだ。

 そう、優吾との電話の時だ。「今度さ、田舎に帰った時にしばらく泊めてほしい」という優吾の電話。その切る直前に「二度と離れないでね」という女の声が聞こえていた。

 

 あれは……仁美の声だ。

 そうだ。間違いない。

 嫌に急いで切るなと思ったら、女と会うところだったのかと、苦笑いしたのを覚えている。


 待て……優吾の死亡推定時刻は、いつだったんだ?

 ひょっとして、仁美が優吾を殺害した証拠を俺が握っているのか。


 渡された名刺には、原西刑事の携帯番号が書かれている。

 俺は自分のスマートフォンで原西刑事に電話をしてみるが、原西刑事は、電話にでない。


 代わりに……「はい」。と、女の声がした。

 仁美だ。


「思い出したのね。貴ちゃん」


 仁美は嬉しそうだった。『貴ちゃん』とは、優吾が呼んでいた、俺のあだ名だ。


「貴ちゃん、忘れているんだもの。心配しちゃった」


 コロコロと仁美が笑う。

 

「二度と離れないでね」

「そう。その言葉。思い出してくれたのね。ヒントを出したのに、分かってくれないんだもの。困っちゃった」


 自分の犯行が、明るみに出るかもしれないのに、どうして仁美がそんなに平然と笑っているのか、俺は分からない。

 まるで、狩りでとらえた獲物を弄ぶ猛獣のような仁美に、俺は震えあがる。


「ここに絶対来るはずだって思っていたの。だって、お腹は空くものね」

「うん……」

「貴ちゃんのお陰で、私を尾行した男も、今、ようやく始末で来たわ」

「うん……」

「さあ、後は、貴ちゃんだけよ?」

「う……ん」


 どうすればいい? トイレに出口はない。

 トイレの個室前に簡易な扉が一つあるだけ。これで仁美を防ぐことができるのか?

 分からない。

 だが、確実に仁美は、こちらに向かっているはずだ。


 あの頼りない扉一枚で、どうにか仁美を防ぎ、急ぎ百十番に掛けて、警察を呼ぶ。原西刑事の名前を出せば、きっと、きっと信じてもらえる。


 相手は、何人も殺めた化け物といっても、所詮は女だ。不意を突かれなければ、男の俺が負けるはずがないのだ。


「ねえ、二度と離れないでね」


 甘い声が、俺の後ろからした。


了。


 



 

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