ある偏屈教授についての話

霧屋堂

警備員と偏屈教授

 奇妙な出会いというのは世界中どこにでもある物で、長らく大学で警備員をしている私にも印象深い出会いがあった。

 ちょっとした小話にしては少々血なまぐさいが、このまま忘れていくのも寂しさを感じるので備忘録のような形で残そうと思う。


 それはある寒い日だった。その日は東北でも大して雪の降らないこの県でも初雪が降ったため、四十に差し掛かったこの身には辛い程だった。

 いつもの如く私はとある街中の私立大学で警備員の仕事をしていた。その日の担当は正門で、警備員としての業務の他、道路を挟んだ別館に行こうとする学生の為に横断歩道に立って車を整理する役割も兼ねねばならない、故に面倒臭がりな同僚は最も嫌がる担当場所である。

 だいたい昼前、2時限が後半に差し掛かっているぐらいの時刻、たまに来る学生を交通量に配慮しながら横断歩道を渡らせたりしていた。

 これから移動量が増える関係上、昼になっても大した休憩は取れないためこういった暇な時間は逆にありがたく感じる。

 しかし暇すぎるというのも悩み物であり、思わず欠伸が漏れてしまうのでは無いかと思える程に静かだった。カラスと車だけが下手なピアノのようにまばらに音を鳴らしていた。

 しかし、そんな緩んだ空気を1つの悲鳴が切り裂いた。

 最初は理解が追いつかず立っていたが、すぐに人の悲鳴だと理解し、同僚に業務を頼んで門の中へ、すると少し広い建物のあいだの空間に、人が倒れていた。彼から流れている血液が雪によって白く染まっていた地面を赤く染めている。

「おい!大丈夫か!」

 声をかけるが反応はない、よく見ると彼の胸元には深々とカッターナイフが刺さっているではないか。

 すぐさまトランシーバーで警備員室に緊急の連絡を入れ、そして学生たちの目に入らないようにブルーシートを用意しようと一時的に警備員室に行く。

 ブルーシートをとり、現場に戻ると1人の白髪混じりの男が倒れている人を眺めている。

「おいアンタ、何をしている!」

 声をかけると男はこちらを眺めもせず答える。

「何を?現場検証だろう。」

「現場検証って…アンタ警察じゃあないだろう、勝手に荒らしてどうする。」

「いや、私には今倒れている彼に関係があるのでね。せずにはいられない。」

「アンタは何者なんだ?」

「民族学科宗教学専門の中寺なかでら あつしだ。彼は私のゼミ生でね。とは言っても、サボり常習の男だからすっかり見放していたけれども。」

 中寺という教授の名前は聞いた事があった。この大学でも随分と名のある教授で、次期学長説があるとも聞く。

「教授の方でしたか、これは失礼を…」

「タメ口で構わないよ、敬語は苦手でね。私に言った言葉も気にしないでいい。」

 偏屈そうな見た目の割にはフランクなようだ。

「ちなみに彼の名前は?」

菅野かんの 友太ゆうた、3年、県外出身、一留で今年も留年予定。私のゼミに所属しながらその怠け癖からまともに励んだのはわずか2週間程度と救いようのない奴だ。」

 10年近く務めているためそれなりにそういう輩をみるが、彼もそういった典型的な存在のようだ。

「なぁ、これは殺人なのか?」

「まだ未遂だ。いくら彼が惰性大学生といえども、生きる事をサボる程のナマケモノではないだろう。それに人間が自分でこうやって自殺をするのは難しいだろうからな。」

「…となると彼が恨みを買う人間だったと?」

「それはこれからわかる、だがその前に…」

 言い終わるか言い終わらないかのうちに、けたたましいサイレンの音と共に、担架を担いだ救急隊員と、何名かの警察官が駆けつけて来た。

「彼らに対処しなければならないぞ警備員殿。」

 救急隊員に説明をした後、まだ息のあるようで彼はそのまま運ばれて行った。

 その後は警察官に事情聴取をされた。警備中に悲鳴が聞こえた為駆けつけたことを説明し、自分自身のアリバイに関しては同僚が説明してくれた。

 中寺はたまたま居合わせたこと、倒れていたのが自分のゼミ生である事を説明した後に名刺を警察官に手渡す。

 事情聴取をしていた警官2人のうち中年の方が名刺を見て目を見開いたかと思うと態度を改め

「中寺…と言うとあの中寺先生で?」

「如何にも、例の捜査一課長はまだいるか?」

「もうすぐ定年ですが未だにバリバリと働いております。」

 それを聞いた中寺はクックックと笑いながら言う

「それは結構、耄碌してないようで安心したよ。」

「ハハハ…ところで中寺先生、今回のことも強力していただけたり…」

「ああ、構わんよ。どうせゼミの奴らも連絡なぞ要らんだろうしな。」

 中年の警察官はそれを聞くとほっと胸を撫で下ろし、若い警察官に説明する。説明を聞いた若い警察官も驚いた様子を見せ、態度を切替える。

「では情報をお伝えします。ちなみにそちらの警備員の方はどうしますか?」

「彼にも教えてやってくれ。」

「おい勝手に…」

「君は真相が気になるんだろう?なら私に付き合う義務がある。」

「確かにそうだが…」

 図星を突かれ言葉に詰まる。このまま何も知らずに警備員の業務に戻ることもできる。だが、己に眠っていた少年のような好奇心が自分を掴んで離さない。

「わかった、自分も付き合う。」

 結局、承諾してしまったのである。

「よし、説明を始めてくれ。」

 警察官は既に知っていた情報に加えていくつかの事を教えてくれた、合わせて箇条書きにするとこうである。


 ・被害者 菅野 友太 22歳 出身はI県 弊学の3年

 ・被害者は右胸を深く刺されている。まだ存命。

 ・監視カメラには走って逃げていく怪しい人物が少しだけ写っているが、人相その他は判別できていない。

 ・指紋らしきものは採取できていない、靴跡はタイルで途切れてしまい追跡不可能


「ふむ…目撃者は?」

「今学生に聞き込みを行っています。そんなにはかかりません。」

 時刻的に昼休みになっていた為見つけ出すのは難しそうだが、そこは警察の優秀さという所だろうか。

「おそらく犯人は同じ学生であるとは思うが、目撃証言と容疑者候補が出ない事にはな。私の研究室に移動しよう、監視カメラの映像というのも気になるからね。よろしいかな?」

 警察官はそれを承諾し、トランシーバーらしきものに一言二言話しかけてから移動し始めた。


 案内されたのは別館の4階の奥で、オフィスのような外観をしている。

「すまないが茶は出ないから留意してくれ。」

 奥にはオフィスデスクのようなものがある、おそらく彼がいつも座っているのだろう。

 手前にある円卓に備えられたパイプ椅子に座る。中寺はホワイトボードを持ってきて全員が見やすい位置に置くと、説明された情報などを整理して書いていく。しかも被害者の顔を画家が顔負けするほどの出来で描いている。

「随分と絵が上手いんだな。」

「私は写生を至上のものだと考えていてね、写真が嫌いなのだよ。」

 まるで明治の人間のような事を言っている。理由は異なるだろうがこの現代では偏屈極まりない。

「私はあまり学生同士の人間関係には詳しくなくてね、何時もは気にすることもないが今回でそこを突かれるとはね。」

「自分のゼミ生でもか?」

「何人か気にかけているやつはいるとも。今日はアイツは休みだったから来ないだろうが、こういった事件が起きれば駆けつけてくるのが一人いる。」

「へぇ…」

「そう気にかけていらっしゃるとなれば…お弟子さんですか?」

 警察官に聞かれて少し悩む素振りを見せてから

「まぁそんな所だ。私の後釜にすれば私の自由時間が増えるから利用するのもいい。」と答える。

 そう話しているうちに2名ほど警察官が入ってきた。そのうち1人はパソコンを持っている。

「お待たせいたしました、こちら監視カメラの映像です。」

「ご苦労様、早速見せてくれ。」

 円卓の上に置かれたPCの画面には、画面の端を人影が猛スピードで通り過ぎる映像がループ再生されている。

「随分と小さいな…」

「1つわかることはある。」

 中寺は人影の腰あたりを指さして続ける

「この揺れ方はスカートだ、犯人はスカートを履いていたということだ。」

 注視すると確かに、腰より少々低めの位置が少しはためいている。よくもまぁ気づくものだ。

「でもまだ万が一がある、容疑者を集めていても女性だけにしないように。」

 中寺の指示を受けた警官は了解の意を示して退室する。

「目撃証言も集まりました。」

「仕事が早くて助かる、聞かせてくれ。」

 これも箇条書きでまとめておく。


 ・1人目「7号棟の上の方から覗いた。被害者が倒れるところは見たけど犯人は見なかった。」

 ・2人目「近くの6号棟の教室から見た、犯人らしき何かが広場の方へ走っていったのも見た。」

 ・3人目「礼拝堂の入口から見た。被害者は倒れるまで普通に立っていた。犯人は体格差で隠れていたのか見えなかった。」

 ・4人目「近くの書庫で被害者の声を聞いた。被害者は犯人と何か言い争っていたように感じる。内容は分からない。」


「ふむ…言い争っていたという事は顔見知りである可能性が大きいか」

「ならお前のゼミ生の可能性は?」

「有り得るな、容疑者は集まっているのか?」

「はい。大学の登録情報とWiFi接続情報から事件時講義が無い上で大学内にいた学生を集めました。」

「人数は?」

「6人です。」

「よろしい、全員通してくれ。」

 警察官に案内されて入ってきたのは男子学生が2名、女子学生が4名だった。

「自己紹介と二限時の時の行動の証言をしてくれ、順番は誰でも構わない。」

 中寺に言われ男子学生が先陣を切る。

「民族学科3年の大泉です。忘れ物を取りに駐輪場へ行こうとしてました。」

 眼鏡をかけた普通の男子学生だ、身長は高く見える。暑かったのか厚手の上着を手に掛けている。

「英文学科2年の内藤です。今日の講義は終わってたんですけど部室に用があって…」

 髪を奇抜な色に染めていて服装も派手に見える。防寒性があるのか微妙なコートを着ている。

「歴史学科4年の大川です。銀行にお金を引き出しに行ってました。」

 帽子が特徴的な女子学生、身長は低めだ。カーディガンらしきものを着ているが、本当にそれで寒くないのだろうか。

「民族学科3年の石橋です。図書館に用があって移動してました。」

 若者の言うサブカル系というタイプの服装をしている。彼女はスカートを履いていた。

「民族学科3年の名越です。生協に行こうと思って…」

 こちらの女子学生はジーンズを履いている、特徴といえばメガネぐらいだろうか。

「民族学科2年の小川です。4限を待っていただけなので用事は特にないです。」

 ファーコートと首にかけたヘッドホンが特徴と言ったところか、こちらもスカートを履いていた。

「ふむ、私のゼミ生なのは大泉、石橋の2人だな。」

「被害者について知っている可能性が大きいな。」

「そうさな、2人とも菅野については知っているな?」

 2人とも頷く

「彼についてどう思う?」

「嫌いです。噂によれば今年も留年らしいので安心してますよ。」

「まぁ嫌いですね、サボる上に人のやったレポートを平気で写そうとしてきますから。」

 思ったより他人からの評価が悪い。恨みをよく買っているようである。

「彼が襲われたということは聞いたと思うが、それについては?」

「驚きはしましたけど、アレならいつかそういう事があってもおかしくないと思ってました。ゼミの他の人からも嫌われていますし。」

「不謹慎だとは思うんですがそれを聞いてスカッとしましたね、今まで散々嫌がらせを受けてたので。」

 まぁ予想通りというか評判の悪さに比例した感想が出てきた。

「なるほど、とりあえず下がってよろしい。次に名越君だったかな。君は今のふたつについてどう思う?」

「え、ええと…菅野って人の悪い話は石橋さんから聞いてて、でもズルをする人だからって刺される事は無いと思います。」

 先程よりはマイルドな感想だ。自分に直接関わりがない人間に対する感想としては妥当に思える。

「そうか。まぁ関わりが無ければその程度だろう、下がっていい。次に2年の2人、君たちはどう思う。」

 指名された2名はいきなり問われて困惑していたが、小川と名乗った学生が先に口を開く

「ゼミ見学の時に菅野さんは見た事があったのですが、そんなに評判が悪い人だとは思いませんでした。でも襲われていいような道理はないと思います。」

「なるほど、君は?」

「自分は本当に関わりが無いので人物評価なんてものは出来ないですけど…ただ学内で人が襲われたなんて聞いてしまったのでこれから1人で歩けないですね。」

「ふむ、下がってよろしい。」

 2年の2人を下がらせた後、中寺は横にいた警官に一言二言耳打ちをする。それを聞いた警官はすぐさま部屋を出て行った。

「最後に4年の君はどうかな?」

「そうですね…彼とはサークルが一緒だったので名前は知っていましたけど。まぁサークル内でも評価は微妙でした。襲われたってのは驚きですし、そこまで嫌われていたとも思いませんでしたね。」

 聞き終わると大川を他の学生と同じように下がらせて、中寺はメモをまとめ始めた。


 メモをまとめ終わると中寺はこっちに耳打ちする。

「君は犯人がわかったか?」

「いや、全く。」

 今の発言だけで推理も何もあるのか?と思う。

「じゃあコイツは怪しいと思う容疑者は?」

「うーん…」

 改めて出ている情報と全員の発言、そして服装を見るが、これといったのは思いつかない。

「石橋ってのが1番怪しい。」

「それは何故だい?」

「まぁ被害者と関係があること、スカートを履いている事、スカッとしたって言っていた事だな。」

 それを聞いた中寺は手を口元にあててクックッと笑う、貶されたようで少々腹が立って聞き返す。

「何がおかしい」

「いやまぁ、一般人らしいと思ってね。君は自ら視点を狭めている。」

「どういうことだよ。」

「まぁ待て、もうすぐ証拠がやってくる。その前に解決してしまおう。こんな事件は私が手を貸さなくても警察連中がいずれ解決出来るほどシンプルだからね。」


 先程の学生たちと何名かの警察官をもう一度集め、立ち上がった中寺は教鞭を執るかのように話し始める。

「さて、推定菅野友太殺人未遂事件の犯人と真相について教えてあげよう。大泉と石橋、君たちは私の講義のスタイルを知っているな?言ってみたまえ。」

「『結論を言ってから解説し始めるのが私のモットーだ。』ですよね。」

「初めに単刀直入に結論を出す事です。」

「その通りだ、2人とも後で単位を1点くれてやる。」

 大泉と石橋の2人は単位をやるという発言に目を見開いて驚く。

「では結論から言おう。犯人は民族学科3年の名越、君だ。」

 指名された名越は少し同様するが、すぐさま反論する。

「な、なんでですか。し、証拠はあるんですか!?」

「では解説だ。君たちは私に何について聞かれたか覚えているかね、2年の小川君。」

「え、ええと。菅野友太さんについてと、彼が襲われたことについてどう思うか、です。」

「よろしい、その通りだ。私は確かに『襲われたことについてどう思うか』と聞いたな。では名越君、君はなんて発言したかもちろん覚えているだろう?」

 名越は何も言えず沈黙する、手を深く握りしめて震えている。

「言えないのか、なら私が繰り返してやろう。『え、ええと…菅野って人の悪い話は石橋さんから聞いてて、でもズルをする人だからって刺される事は無いと思います。』君はこういった。この発言と聞いた内容に発生する齟齬を、警備員殿答えてくれ。」

 急に振られたので驚くが、急いで思考する。聞かれたのは被害者についてと襲われたことに対して。答えた事は…

 そうか、と思考に電気が走った感覚がする。

「彼女は刺されたって答えてるのがおかしい、これか?」

「正解だ、うちの学生だったら評価点を10点くれてやるところだ。」

「別に嬉しかねぇよ。」

「ククク、では続けよう。君は何故か『襲われた』に対して『刺された』と答えた。君以降の人間が刺されたと言ってないからもっともな齟齬だ。」

「そ、それは警察の話を…」

「警察官殿、君たちは彼らを連れてくる時なんと説明した?」

「はっ!菅野友太さんが襲われたと説明いたしました。」

 若い警察官が敬礼して答える。

「優秀だね、簡単に詳細を明かさないのはとても良い働きだ。後で名前を聞かせてくれ、一課長に報告しておくよ。」

 そう言われた警察官は改めて敬礼する。

「で、でもそれじゃあ物理的証拠がないじゃないですか。だから…」

「それは今から来る。」

 その発言を同時として、部屋のドアがノックされる。

「入りたまえ」

 失礼しますという声とともに入ってきた警察官の手に握られていたのは、赤く染まったスカートと黒い上着、そして手袋であった。

「君の違和感をもう1つ教えてあげよう。こんな寒い冬の日だ、そんな薄着でよく過ごせるものだね。君が部屋に入って来た時からそこがどうにも気になっていた。」

 その発言を聞いて改めて全員の服装を全体から見ると、他が薄さを問わず何かしらの上着を羽織っていたりするのに対して、彼女は何も羽織っていない。骨身に沁みる寒さの中、こんな服装で過ごすのは死を覚悟するだろう。

「まだ何か言いたいなら、君の手と手袋の指紋を比べてみよう。結果は一目瞭然だと思うがね。」

「あ、あああああああ!!!!!!」

 突如彼女が何かを持って中寺に突進する、それはカッターナイフだった。

 警察官が慌ててかけ出す、自分もすぐさま椅子から立ち上がるが、間に合いそうにない

「中寺!」

 意味もなく叫ぶ、このまま刺されてしまうのでは無いかと思い飛びかかる。

 対して中寺は慌てもせず素早く身をかがめると、足元を素早く払う。

 ただ突撃だけを考えていた為だろうか、名越は簡単に足を取られ、地面に倒れる。その弾みでカッターナイフが名越の手を離れ転がっていった。

「立場上暴力はあまり宜しくないのでね、とりあえずこの危険物は預からせてもらう。」

 立ち上がろうとする名越を警察官が取り押さえ、その手に手錠をかけた。

「今から君は殺人容疑か未遂容疑、そして私への暴行容疑で現行犯逮捕をされる訳だが、その前に何故犯行を行ったか教えてくれないか?」

 諦めたようにうなだれた彼女は言葉を吐き出す。

「い、石橋さんから、菅野っていう悪い人が居るって聞いてて。わた、私はそういう曲がったが許せなかったんです。でも今まで関わりが無かったから、特にこれといった事はなくて。で、でも今日私が書庫で借りようと机に積み上げてた本を、勝手に持って行って借りていったんです。それでか、返してって言ったら『いいじゃん1週間ぐらい、俺が先に読もうと変わらないでしょ?』って言って逃げようとして。それ、それで、許せなくて、刺したんです。」

「アンタなんでそんな事を…」

 石橋が思わず言葉を漏らす。

「で、でも、みんな嫌いだったんでしょ?だ、だから…」

 中寺が机を叩いて言葉を遮る。

「ふざけるな!命の価値を決める権限なんぞ誰にもない。人格に優劣こそあれど人の命は皆平等だ。いくら恨まれる人間であれ、生きる権利は公平だ。それをたかが21年生きた程度のお前が奪って良い権利などない!」

 中寺の語気に押され、名越は何も言えず涙を流すしかなくなった。


 そのまま彼女は連行され、警察官たちは感謝の意を示してから去っていった。

「君たちも戻るなり帰るなりしてよろしい、もし遅刻した講義があったら私の名を出していい。どうにかしてやろう。」

 そう言われ大泉以外の全員は去っていった。

「大泉君、君は?」

「すっかりお忘れですね先生、あなたのゼミだったんですよ。」

 大泉はニヤリとして答える。それを聞いて「しまった」とでも言うように中寺は額に手を当てる。

「それはすまなかったな、君には評価点を10点くれてやろう。」

「へへ、ありがとうございます。石橋さんにもあげてくださいね。」

「わかったわかった。」

「こんなことに巻き込まれたもんですから杏崎きょうさき君がまた出張ってくると思ったんですが、彼はいないんですね。」

「アイツは別のところに私の代わりに行かせているよ、あと2日もすれば帰ってくる。」

「道理でここ数日見ないわけだ、この事は杏崎君には言わないでおきますよ。」

「ありがとう、追加で5点上げておくよ。」

 そのまま彼は去っていき、私と中寺だけになった。

「さて、どうだったかな。」

「どうだったって言われてもな…」

「真相を知らないまま過ごすよりは面白かったんじゃないか?」

「それは…」

 人の生死に関わる話を面白いと言うのは不謹慎ではないかと思うが、普段では体験出来ない出来事に高揚していたのも否定できない。

「まぁいいさ、私としてはタメ口を許してそれに乗っかった人間に初めて会ったから、対等な友人ができたような気分だよ。」

「友人ね。まぁ悪くない。」

「もし君が宗教や土着信仰に興味があるなら私の研究室に遊びに来るといい。えーと…そういえば名前を聞き忘れてたな。」

関野せきの 礼二れいじだ。中寺。」

「関野君か、覚えておくよ。」


 互いに遅めの自己紹介を終えた後、私は警備員の仕事に戻った。

 長らく立たされていたことに不満を持った同僚を宥めるため、終日まともに休憩をさせて貰えなかったのが痛い思い出でもある。

 菅野に関してはその後どうにか一命を取り留めたと中寺から聞き、ほっと胸を撫で下ろした。最近ではすっかり真面目になってしまったらしい。

 その後もたまに中寺が担当箇所を通りかかる度に挨拶を交わす程度には今でも関係が続いている。

 これが私の人生で最も奇妙な出会いであった。

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