彼らが戦う理由、再会の約束

白雪花房

昔話

 春を待つ冬のこと。


 聖剣を携えた男レオンハルトと、細やかな魔法で補助する付き人のセレーナは、無限に続く原っぱを通り抜けようとしていた。


 二人は国王からの命で復活した魔王を討伐するための、旅を進める。敵の根源たる闇の領域は大陸の奥地にあり、けわしい山脈を越えねばならない。


 夜の帳が降り、あたりが暗黒色に染まる中、前方にぽわんと光が見える。吸い寄せられるように歩みを寄せると、丸太小屋にたどり着いた。


 内部は宿らしく、カウンターには白髪を生やしメガネをかけた老人が構え、分厚い本をパタンと閉じる。


 相手は前を向くなり、目を丸く見開いた。


「主ら、とむらいにでもきたのかね?」


 予想外の問い掛けにきょとんとして、顔を見合わせた。


「ここ、下手人でもいるんですかい?」

「武器を取り出すな。なぐさめだけしておれぃ」


 冗談混じりに口にすると相手は本気で怒る。


「ここは神聖な場なるぞ」


 神聖、とむらい、すなわち鎮魂。


「申し訳ありません。こちらが霊園だとは知らず」

「俺が粗相そそうをしでかしたのが悪いってんなら、出ていきますが」


 老人は値踏みするように彼を見た。


「まあまあ、このような辺境で邂逅かいこうできたのも、なにかの縁。古の話にも付き合ってくれるかな」


 相手の視界からセレーナは外れている。老人が注目するのはレオンハルトのほうだという事実に、胸がざわめいた。


「長らく聞く価値はあるぞ。特に勇者とその付き人たる、主らにはな」


 彼は真剣な顔で青年と目を合わせた。

 こちらも気が引き締まる思いであごを引き、つばを飲み込む。

 かくして老人は話を始める、この霧辻苑という土地にまつわる話を。


 ***


 太陽のこよみに切り替わる間際の、月の世紀。

 現代のような魔道具による技術革新はなく、人類は慎ましく生きていた。


 魔物と隣合わせの危険な村に、オルランドという男が住む。ほどほどに鍛えた肉体に薄っぺらいチョッキを着た、木こりだった。


 ある春、勇猛さを自負する彼は、斧を担いで森に足を踏み入れる。

 案の定魔物に襲われ、逃げ道を塞ぐように無数の目が赤く光る。

 絶体絶命かと思われたとき、聖なる輝きが月華のように降り注ぐ。


 ドロドロした見た目の敵は浄化され振り向いた先には、謎の娘が全身にまばゆい光をまとい、女神のように立っていた。


 輝く銀髪をさらりと純白の背中に流し、切れ長の目で遠くを見つめる。オルランドにとってはあまりにも神秘的でこの世と一線を画した存在に思えた。


 彼女はおのれのことを単なる旅人だと話す。名をアンブロジーナ。行く宛もなく彷徨さまよっていたところ、彼を見つけたらしい。


「ならば我々のところに来ないかい?」


 手を差し伸べると、あいまいな反応を見せた後、娘はうなずいた。

 かくして二人は近場の村――クロスガーデンにおもむき、生活を始める。


 のどかな村ではでは時間がゆっくりと流れ、穏やかな日々が続いた。

 アンブロジーナは一人縁側に座り込み、ぼんやりと虚空こくうを見つめる。浮かない顔だった。まるで一人だけなにかを抱え込んだかのように。


 気になって声を掛ける。「なぜ、辛そうな顔をするのか」と。

 彼女は答えた。


「いつか、この日々が終わると知っているからです」


 なにが根拠で不穏なことを。

 オルランドは真顔になる。


「だけど、この村は私にとっては心地よい……」


 過去を思い出すようにもう一度視線を上げる。空は依然として晴れ渡っていた。



 娘は常に他者を気にかけ尽くしていた。


 村の一員として共に作物を育て、積極的に水くみに出かける。

 野菜を収穫すれば熱々のシチューを皆に振る舞い、冬場には手編みのマフラーや手袋などを住民に分け与えた。

 暖炉には常に暖かな火が炊かれ、彼女の周りは常にやわらかな空気がただよう。


 アンブロジーナのあり方は清く美しかったが、本人は頑なに眉を寄せ口を曲げた。


「私は優しくなど、ありません。むしろ、最低な人間です」



 時は流れ枯れ葉が舞い散り、乾いた地面にばらまかれる。


 娘がいつか話した通り。日常は崩れ去った。空は禍々まがまがしい深緋色に染まり、赤月が上る。災厄だ。古に文明を滅ぼしたものが、ふたたび巡ってくる。


 狂乱し逃げ回る者もいれば、武器を持って立ち向かわんとする戦士もいた。

 オルランドも斧を握りしめる傍ら、隣から儚げな声がこぼれる。


「ああ、あの日と同じ……」


 色をなくしたかと思うと、すぐにりんとした態度に切り替わる。

 一人で飛び出したアンブロジーナ、男も慌てて追いかけた。


 村から伸びた細長い道を駆け抜け、薄闇に包まれた平地で足を止める。


「早まるんじゃない。まずは落ち着いて」


 汗をかきながら声を張り上げると、娘はすぐに振り向く。

 黒い闇の中で彼女の白い顔が浮き出て見えた。


「こちらには立ち向かわなければならない理由があります」


 無表情が整った顔立ちを強調、それゆえに圧を感じた。

 いつの間にか彼女の周りには蛍のような淡い光が吸い寄せられる。ほっそりとした体の中心に、燃えるような赤がちらついた。


「私は聖女。かつて運命から逃れた者です」


 彼女はゆっくりと語りだす。

 おのれの過去を、かつての世界の運命を、確かな目で――


 二〇〇〇年前、世界は滅びた。降り積もった灰が罪の証だと、聖女は語る。

 本来なら我が身をかえりみずに立ち向かうべきだった。


 結論から言えば、アンブロジーナは真の聖女にはなれない。己が身のかわいさゆえに使命から逃れたのだから。


 一人、再生されゆく世界を見守りながら、行き場もなく流れ歩く。

 永い旅の果てにクロスガーデン村にたどり着いた。


 聖女から話を聞いて、オルランドは衝撃に固まる。

 娘の過去と正体を知った上で彼は真面目な顔で、視線を合わせた。


「あなたのせいではない。たった一人に押し付けなければ存続できない世界は、正しくはないよ」


 聖女は首を横に振った。


「その言葉こそ、正しいだけ。そこにはある勘定が含まれていません」


 目を伏せ、言葉をつむぐ。


「皆さん、生きたいとは願わないのですか?」


 冷涼な声に、無言になる。


「この世界で生きる人々。ご自分の命――大切なものは皆同じでしょう。それだけは誰も否定しないのに」


 なぜ、皆は潔く死を享受できるのだろうか。


 男が無言でいると娘は眉をキリリとつり上げ、目つきを鋭くする。両の虹彩からダイヤモンドのような輝きを放った。


「確かにこの世界は不確かで歪なのでしょう。私の貢献など、なんの意味もないかもしれない」


 素早い動きで背を向ける。純白のローブに合わせた外套が、激しくなびいた。


「それでも私は戦います。守りたいものがあるから。あなたの未来を、この村を――そのためだけに命を張ってもいいはずです」


 彼女の言葉に迷いはない。

 声は源流の水のように清く、透き通っていた。


「数千年前にできなかった責務を、今ここに、果たして見せます!」


 まずいと男は直感する。

 焦って顔を上げた彼に対して、彼女は柔らかな顔で見返る。


「大丈夫。安心して。私は必ずあなたの下へ戻ります」


 娘は目を細め、花開くように微笑みかけた。


「ああただ一つ――鍵を作っておけばよかったですね」


 ふと思い出したように口に出す。今から決死の戦いに赴く者とは思えぬ、世間話でもするようなさらりと軽い雰囲気で。


「そうであればここが私の家と証明出来たのに。帰る場所が、得られたのに」

「待ってくれ。私は君と――」


 名残惜しむように後ろ髪を揺らす彼女へ、手を伸ばす。


 彼の言葉を待たずに聖女は飛び立った。背には純白の翼が生え、天使のように舞い、ぐんぐんと上層する。


 残ったのは清々しい香りと、透明な薄明かりだけ。

 男はダラリと腕を下げ、立ち尽くした。





「おのれを封じる鍵を開く。今ここに真なる聖女の姿を見せよう」


 空中。体の中心から燃えるような光があふれ、全身を包んだ。


 不思議な力が上から衣服を編み、聖女らしい姿へと変わり、厄災へと立ち向かう。

 隕石のごとき闇の力。日食として世界を覆い、闇が全体を染め上げる。いずれは全てを壊すであろう現象を前にしても、聖女の意思は揺らがない。


 自身が燃え尽きるのも厭わずに全ての力を出し切る。

 バチバチと火花の音。彼女は炎をまといブーストをかけ、正面からぶつかった。





 オルランドは寂寞せきばくたる丘まで走ってくる。


 薄暗い空には花火のような輝きが打ち上がり、衝撃波が全体を薙いだ。

 まばゆい火花に顔を照らされながら、彼は目を見張る。


 刹那せつなの輝き。命を散らす光景があまりにも美しくて心が震え、ビリビリと全身がしびれた。


 同時に鼻をツンと抜ける、薄荷の匂い。

 凍りつくほど異様に張り詰めた闇の下、彼は悟る。


 きっと彼女はほかでもない自分聖女のために、羽ばたいたのだと。


 ***


「この話を聞きどう思い行動に移すのかは、主ら次第だ」


 説法をかます神父のような態度で目を閉じる老人。

 眉を曇らすセレーナの横でレオンはすっとマントをひるがえした。

 すぐに追いかけ外へ出る。


「レオン、どうしても行くのね?」


 闇に赤く浮き上がったシルエットへ向かって、呼びかける。か細い声。張り詰めた心境を隠そうとはしたものの、取り繕えてはいない。


「ああ」


 男は振り返りもせずに、告げる。ただ一言。


「その前に、勇者としての義務は果たさないとな」

「こんな夜に」

「暗い内だからこそだ。ほら」


 彼方にはぼんやりと青白い光が瞬く。誘い込まれるように奥へおもむくと、一面の花畑が広がっていた。


 足を踏み入れた途端、異空間に来たように空気が変わり、時が停まる。


「ここは」

「霊魂が眠る場所だ」


 波のように揺らめく白い花々。幽玄な雰囲気に呑まれ、動けなくなる。


 寂しさを含んだ静謐せいひつさ。神秘的なまである空間には何万と魂が眠るのだろう。

 スミレに似た澄み切った匂いがほのかに漂い、目を閉じれば大海原がさざ波を寄せる光景がまぶたの裏に浮かんだ。


 どうか、安らぎを。念ずるように祈りを捧げる。


 やるべきことも済み、後は帰るだけ。

 歩き出そうとしたとき突然、まぶしさが後光のように差し込む。

 二人は振り向き、揃って目を剥いた。


 濃紺の空に薔薇色とアクアマリン色の光がリボンを交差させるように舞い、揺らめく。甘い歌声が幻のように聞こえ、誰かが笑ったように感じた。


 張り詰めていたものが解け口元にほんのりと笑みが浮かぶ。


 よかった、聖女はきちんと戻ってこれたのだ。

 今度こそ二人一緒に。


 チラリと横を覗き見ると、彼も表情をゆるめていた。


 セレーナとレオンは寄り添うように、花畑に立つ。清らかな空気が甘く優しい花の香りと共に二人を包み、夜気がしみこんだ。まさしく闇に溶けるように――



 次の日の朝。

 淡い青一色に染まった空の下、レオンハルトは改めて彼女と向き合う。


「戦う理由が見つかったよ。俺もあの聖女と同じだ」


 力強い声が静寂を破る。

 眉がキリリとつり上がり、二対の目が鋭く輝いた。


「俺はもう二度と大切な人を失わない」


 彼の心に迷いはなかった。

 相対するだけで熱を感じ、セレーナは微妙に体を震わす。


 やっぱり、ここまでだ。

 分かっていた、ただの女では力不足だと。


 子どものころから雑用を押し付けられては台無しにされて、役立たずとののしられる。鬱屈うっくつした日々から解放されたくて故郷を飛び出し、都会で悪い男たちに囲まれたときに勇者と出会い、助けられた。


 彼と一緒ならまた違った自分になれるかと思ったのに。

 全ては泡に消える。


 空は今にも雨が降り出しそうなほど陰り、空気がじめっとし始め、足元から土の匂いが上ってきた。


 うつむきかけたとき、目の前になにかがチラつく。レオンが片手でつまんで吊るすように見せつけてきたのは、プラチナ色の鍵だった。


「こいつを君に預ける」


 引き継ぎでもするかのように受け取り、握り込んだ。冷たいはずなのにほのかな温かさを感じて、心が波立つ。


「俺には帰る場所がある。だから待っていてくれ」


 必ず戻る。生きて帰るのだと。

 とびっきりの笑顔で、高らかに言い放つ。


 ドキンを鼓動が跳ね上がり、目の前の景色が明るくなり、遠方の山にかかった霧が晴れた。


 セレーナも彼の気持ちに応え口角を上げ、目の縁に滲んだ涙がキラリと光る。





 かくして勇者は鉄靴で地を蹴った。


 原っぱの向こうへ陽炎のように消える影を、黙って見送る。

 怖くはなかった。彼は必ず約束を守ると信じるからこそ、うれいはない。


 背中を押すように風が吹き始め、暖かな空気が循環じゅんかんする。まばゆい光が降り注ぎ、春の匂いが近づいた。

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